3 トスナルが部長になって、その秘書になるのを渋る京子(いまだってボクの秘書でしょうが)
京子にとっては、早朝の朝九時。
『神谷総業タワービル』
五十階建ての高層ビルの一階で合流した、二人と一匹。
「家に帰ってから気付いたんだけど、神谷さんて、あの有名な神谷コンツェルンの総帥のご子息なのよね。益々、やる気出てきたわ」
エレガントなブルーのドレスと派手な金銀のアクセサリーに身を包み、まるで舞台女優のような雰囲気を持った京子が、鼻息も荒くそう云った。
「ころんでるん? 何それ?」
真っ黒な皮のローブを身に纏い、肩に黒猫を乗っけた魔法使いのトスナルは、まるで舞台の黒子のようだった。朝の街を、彼の愛車『スーパー・ウイザード三号』(と云っても、以前ゴミ捨て場で拾ってきた配達用自転車なのだが……)で飛ばして来たらしく、まだ、息も落ち着いていない。
「コ・ン・ツェ・ル・ン。バカね、知らないの? たくさんの会社を経営している、財閥のことよ」
「ふうん、そうなんだ。じゃあ、すごい金持ちってことだね」
「おお、やったあ! 探偵料、五倍にしてもらえるかも!」
クンネの眼が、一層、輝き出した。
「でも、何でそれでお京さんのやる気が出るの? お金に興味がないんでしょ?」
京子は、切れ長の瞳にブキミな光を発してトスナルを睨みつけただけ。その問いには、答えなかった。
「エレベータがー来たわ。乗るわよ」
二人と一匹を乗せたエレベーターが、十階へと、昇っていく。
『カミー・ペットフード株式会社 受付』
「社長より、話は伺っております。どうぞ、こちらへ」
トスナルがその名を告げると、美人受付嬢がにこやかに笑って、トスナルたちを社内へと案内した。
一番奥の、社長室。
「やあ、お待ちしておりました」
ドアが開くなり、健二がにこやかな金持ち笑顔で、一同を出迎えた。
広い部屋。ふかふかの白いカーペット。大きなガラス窓から差し込む、明るい光。
受付嬢に見とれていたトスナルは、健二が握手を求めて右手を差し出したのに、しばらく気が付かなかった。
京子にどやされ、慌てて黒ローブの袖から握手の手を伸ばすトスナル。
「お忙しいところ、申し訳ありません」
(いえ、全然ヒマなんですけど……)
お決まりの挨拶の健二に、トスナルは心の中で密かに突っ込む。
「皆さんをここにお呼びしたのは、わが神谷コンツェルンの母体、神谷総業がこのビルの最上階、五十階にあるからなんです」
健二は、黒い皮の高級ソファーに腰掛けながら、そう云った。
トスナルと京子が、揃ってソファーに腰を下ろす。クンネがトスナルの肩からぴょん、と飛び降り、京子とトスナルの間に招き猫の置物のようにちょこんと座った。
「神谷総業の社長である父と、副社長の母は、大体いつもそこに居ります。ですから、トスナルさんたちにはペットフード会社の社員としてこのビルに潜入していただいて、私も含め、神谷家の人間を監視していただきたいのです」
「健二さんもですか?」
トスナルの質問に、健二は大きく頷いた。
「はい、そうです。私の言動からも、何かヒントが掴めるかも知れないじゃないですか」
(はあ……。毎日、ここに通うわけ?)
トスナルは、げっそり。
「皆さんには、会社の役職を用意させていただきます。トスナルさんは販売企画部の部長、京子さんはその部長秘書ということで如何でしょう」
「ぶ、ぶちょお?」 思わずのけ反る、トスナル。
「ぶちょおって、えらいの?」
京子の左フックが、すかさずトスナルの頭にきまる。
「いたたたた……」
「アンタ、そんなことも知らないの? 部長ってのは課長とか次長の上で、結構偉いのよ」
まるで子供を叱るかのような、京子の説明。クンネはその話には無関心らしく、大欠伸を咬ます。
「私がコイツの秘書ですって? まあ、仕方ありません、よろしいですわ。おほほほほ」
(今だって、ボクの秘書でしょうが――)
トスナルが涙目になりながら、京子に非難の眼を向けた。
「そして、クンネさん。あなたには、我がカミー・ペットフードのイメージキャラクターとなっていただきたいのです」
「はあ?」 唖然とする、トスナルと京子。
クンネは欠伸の大口を開けたまま、きょとんとしている。
「翔子さんが、『どうしても』と云って聴かないもので……。まあ、もともと翔子さんが『大好きな動物のおいしい食事を作ってあげたい』という希望があって、この会社を作ったようなものですからね」
のろける健二に、「左様でございますか」と京子とトスナルが憮然とした表情を見せる。
「イケメンキャタピラーって、何すればいいの?」
真面目な顔して、クンネが訊ねた。
(コイツ、知ってる単語並べたな)
トスナルがニヤケながら、クンネを見つめる。
「イメージキャラクターですよ。テレビのCMに出たり、ペットフードの商品に写真が載ったりするんです」
「へええ」
クンネが、少し興味を示し出す。
「もちろん、探偵料とは別に、モデル料をお支払いします」
モデル料――。
その言葉に、完全にその気になった、クンネ。
「や、やる! 写真でも何でも使ってくれ!」
一介の黒猫クンネは、ゴールドのカニ缶とそれを取り巻く豪華な食事に囲まれた、バラ色の生活を想像した。
「なんて良い人なんだ――」
クンネが咽喉を鳴らしながら健二に近づき、すりすりと甘え出した。
(この、金の亡者め)
トスナルは、助手の黒猫を冷たい目で見下ろした。
「本日中に、販売企画部の場所と設備を整えておきますので、明日からそこに出社してください。それから、皆さんには信頼できる部下を一人つけます。渡辺という、私の大学時代の後輩です。彼には事情を話しておきますから、わからないことがあれば、何でもお訊きください」
「わかりました……」
トスナルたちは、健二と別れ、とりあえず探偵事務所に戻ることにした。
「さあ、作戦会議よ」
スーパー・ウイザード三号でトスナルとクンネが事務所に着くなり、先に高級車で戻っていた京子が、息巻いた。
「作戦会議って……。でもお京さん、こんな仕事引き受けて大丈夫かなあ。ボクは自信ないよ」
トスナルが、切ない表情を見せる。
「アンタ、バカねえ。それでも魔法使い? どうして私がこの仕事を引き受けたと思ってるの。あの二人の恋仲を、ぶち壊すために決まってるじゃない」
「へ?」
薄ら笑いの京子の顔を呆然と眺める、トスナルとクンネ。
「私、わかってんだから。トスナル、アンタ、翔子さんのことが好きなんでしょう?」
「えっ、そ、それは……」 トスナルが、分かり易くうろたえる。
「私たちの輝かしい未来は、あの二人が別れるか否か、それ一つに掛かってるのよ!」
ハデなドレスでバサバサと音をたてながら、ビシッと人差し指を突き立て、京子がポーズを決めた。
(そっかあ――。そうだよなあ)
みるみる、トスナルの表情が生き生きと輝きを増していく。
「わかったよ、お京さん。ボクも魔法使いのハシクレ。喜んでこの力をお貸しします!」
がっちりと握手を固める、京子とトスナル。
「いや、それよりさあ、ちゃんと解決してしっかり探偵料もらおうよ。もうカニ缶もないし、サバ缶も残り少ないんだからさ――」
不満気に、クンネが口を挟んだ。
「ほーお……。クンネちゃんは、私の『事務所営業方針』に反対ってこと?」
恐ろしい牙を剥きながら、京子がクンネへと迫って行く。
「うひゃあ」
震え慄き、眼をわなわなとさせるばかりの、黒猫。京子は、その小動物の背中を掴むと、燦然と輝く『金色のゴミ箱』の中に、ぽいっと投げ入れた。
「ふぎゃあ」
蓋をされ、暗闇の中で悶えるクンネ。
「そうねえ――。じゃあ、こんなのはどうかしら。協力してくれたら、毎日一つずつ、ゴールドのカニ缶をクンネちゃんに差し上げるなんてのは」
一瞬、しーんと静まり返った事務所。
「喜んで、ご協力いたしましょう」 こもった声で、ゴミ箱が云った。
「じゃ、これで決まりね」
にこやかに笑った美人秘書がゴミ箱の蓋を開けると、やる気に満ちた黒猫がそこから飛び出し、魔法使いの肩にぴょんと跳び乗った。
「絶対、あの二人を別れさせるわよ!」
力強い、京子の宣言。
「名付けて『ナイスカップル引っぱがし大作戦』、開始!」
三十八歳の魔法使いが、後に続く。
「よーし、やるぞぉ!」
高々と上げられた、クンネの肉球。
魔法探偵事務所のメンバー、二人と一匹は、このとき固い絆で結ばれた。