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1 秋風が吹いて、美女と紳士が現れる(そりゃあ、猫もしゃべるよ)

 どんなに暑い夏も、やがては終わるもの。

 街外れの「トスナル魔法探偵事務所」にも、平等に秋がやって来たようだ。

 開けっ放しの事務所の窓からは、街路樹の黄色い枯葉とともに、時折、冷たい風がひゅうひゅうと音をたてて入りこんでいる。

 つい何日か前までは、うだるほどの暑さだった事務所の空気も、ひんやりと涼しい。空の青さはだいぶ薄くなり、羊のようなモコモコ雲が、足早に過ぎ去っていった。


 

「あのう……涼しくなりましたね。窓を閉めませんか?」

 弱々しい声でささやくようにそう云ったのは、この探偵事務所の所長、『トスナル』であった。

 まさに、借りてきた猫状態。お客様用の白いソファーの横に置かれたイス代わりの木製みかん箱の上に、ちょこんと腰掛けている。重そうな黒皮のローブを着ていることだけが、かろうじて彼が誇り高き魔法使いであることを示していた。

 銀色の髪に、蒼い瞳。フードを降ろしているために、彼のその沈んだ表情が、良く見える。二十歳そこそこくらいにしか見えないのは、彼の持つ魔法の力のせいだろうか――。本当は、三十八歳のおっさんである。良く見ると、その顔の白い肌の上には、ミミズのように腫れた引っ掻き傷が三本、斜めに赤く浮き出ていた。

 彼は、優秀な魔法使い警察官だった自分の兄を殺めた『暗黒魔法団』という組織を捜すため、魔法使いの修業をし、その後探偵となって、この街にいるのだった。


 

「ふん、だったら自分で閉めたら?」

 そう冷たく云い放ったのは、こちらの探偵事務所の秘書、田中たなか京子きょうこ

 その口調からは、自分が動こうという気持ちなど、まったく微塵も感じられない。トスナルの座るみかん箱の横に鎮座する、豪奢な淡い水色のソファーでくつろぎながら、ファッション雑誌を読みふけっていた。

 京子は数ヶ月前、飼い犬の「ナッキー」殴打事件の捜査依頼のためにこの事務所にやって来て以来、「事務所の秘書になる」と勝手に宣言して居座っている。勤務時間は、午前十時半から午後三時。優雅な、秘書ライフ。

 この事務所での呼び名は、「お京さん」だ。本人は「京子さん」と呼んでほしいと希望したが、その態度の偉大さから、まるで姉御あねごのように呼ばれるに至っている。運転手つきの巨大なリムジンで通勤してきており、かなりの金持ちの家のお譲様らしいということだけは確かである。が、しかし、それ以上の素性が解らないのは、探偵でもあるトスナルが「面倒くさい」いう理由のもと、よく調べていないからであった。


 

「…………」

 そして、この探偵事務所には、もう一人というか、もう一匹の関係者がいる。トスナルの呼び掛けに何の答える素振りも見せなかった、この魔法探偵事務所の助手、黒猫のクンネであった。

 京子の座るふかふかソファーの横のフローリングの床の上で、事務所に残った最後のカニ缶をふがふがとがっつくのに忙しい様子。それはまるで、つい五分前まで行なわれていたトスナルとの格闘で使ったエネルギーを、補給しているかのようでもあった。

 見るからに貧相で痩せぎす、艶消し黒の毛で全身を覆われた正真正銘の猫であるが、トスナルの過去を知っており、トスナルがここで探偵事務所を開いて以降はその片腕として、寄り添ってきたのであった。ただ最近は、京子の持ってきてくれるおみやげの高級カニ缶(大好物なのだ!)を楽しみに日々生きている、といって良いのかも知れなかった。



「ちぇっ、しょうがないなあ」

 誰も動く気がないことを確認した事務所の主人トスナルは、下唇をぷいと突き出し、ピンクの天井を忌々(いまいま)しそうに見上げながら、自分でそれを閉めるため、窓へと近寄って行った。

 と、窓の取っ手に手をかけたときだった。ぴたり、トスナルの動きが止まったのだ。


「あ、あれは……」

 向かい側アパートの、二階部分。開かれた窓からぼんやりと外を見つめる、一人の若い女性の姿があった。体の右半分をトスナルに見せた彼女は、まるで道路を通る車の台数を数えているかのような、そんな感じもする。

 さらさらの長い黒髪が、時折、風に揺れる。そのさまは、トスナルにはまるで、空から舞い降りた天女のように思えた。

「か、かわいい――。なんてったって、暴れなさそうなところがいい!」

 熱せられたフライパンの上で溶けたチーズのような、とろんとろんの顔をして、彼女を見つめるトスナル。


 ふと、七色の虹が大空で花開いたかのように、女性の顔つきが明るくなった。そして、その白く細い右腕を、道路に向かって大きく振ったのだ。

(な、なんだ? 誰かいるのか?)

 慌てて道路の方に視線を移してみるトスナルであったが、そこに何があるのか、良くわからなかった。仕方なく視線を元に戻したときには、既に女性の姿はそこになく、目前にはただ冷たく光る窓ガラスが、あるだけだった。

「し、しまったあぁ」

 早くも一目惚れの恋は終わってしまうのか? トスナルは、一度溶けてしまったチーズが固まったしまったかのようなしょんぼり顔で窓をゆっくりと閉め、とぼとぼ居間リビングへと戻っていった。


「ちょっと聞こえたんだけど、暴れるとか暴れないとか、なんか云った?」

 トスナルがみかん箱の椅子に座った瞬間、京子が冷たく云い放つ。

 慌てて、トスナルが言い訳する。

「い、いいえぇ。なにかの聞き間違いですよ」

「ふん、ならいいけど」

(まったく、地獄耳なんだから……)

 トスナルは、声に出すことは止め、心の中だけでそう呟いた。


 そのとき聞こえた、ドアのノック音。

「失礼します。いらっしゃいませんか?」

 ドアの向こうからかすかに聞こえる、若い男の声。

「ほれ、お客さんだわ。あんた出なさいよ」

 京子は雑誌に目線を向けたまま、ピクリとも動かない。

(やれやれ――)

 トスナルは、ぎぃという音とともにみかん箱から重たい腰を上げ、事務所のドアへと向かった。


「ああ、いますよー。今、開けまーす」

 トスナルがドアを開けると、そこには背の高い優男やさおとこが立っていた。

 歳は二十代後半。見るからに、紳士だ。グレーの高級スーツとピカピカ光る黒い革靴を身に着け、真ん中で分けた髪の毛の間からは、彫りの深い面構えが覗いている。

「呼び鈴、壊れてるみたいですよ。何度も押したんですが」

 紳士は、やや不服そうに口を尖らした。

「ああ、すみません――。滅多に客が来ないので、壊れたままなんです……。それはそうと、まずは中にお入り下さい」

 トスナルが促すと、紳士は軽くお辞儀をして、来客用の白いソファーに腰を掛けた。


「イイ男ねえ……」

 ピンクの惚れ惚れビームは、京子。

「お金持ちそう……」

 金色のカネカネビームは、クンネ。

 一人と一匹が、向かいに座った紳士に熱い眼差しを向ける。それを感じた彼が、思わず腰を引く。

 そんなことは気にも留めずに、トスナル所長が口を開いた。

「私が、当探偵事務所の所長、トスナルです。そこの女と黒猫は私の秘書と助手らしいですが、まあ、気にしないで良いですよ」

 その意見に賛同するかのように、みかん箱がぎしっと音をたてた。


「ところで、今日はどんなご相談で――」

 そう云ってトスナルが相手の紳士の方を見やると、彼が両眼を飛び出さんばかりにひん剥いて、何かを驚いていることに気が付いた。

「どうしました?」落ち着き払って、訊くトスナル。

「い、今、この猫しゃべりましたよね?」上擦った声の、紳士。

「はい……でも、それがなにか?」怪訝けげんそうに答える、トスナル。

 紳士は、急に立ち上がると入口に向かって走り、ドアを開けた。

「おーい、翔子さん、斉藤! しゃべる猫がいる! 来てごらんよ」

「ええー? 本当?」

 廊下から、若い女性の、舌足らずの声がした。


「そういえばクンネちゃん、猫なのにしゃべれるわよね。どうして?」

 京子が、「今、気づきました」という顔付きで訊く。

「どうしてって……。今頃気付いたのかよ? うん、まあ、そうだなあ……。いつも魔法使いの傍にいるからかもな。エネルギーを貰ってるというか――」

「じゃあ、私もネコ語をしゃべれるようになる?」

「さあ……。って、ネコ語しゃべってどうすんの?」

 事務所に、新たなお客さんが二人、やって来た。

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