AI利用状況設定が必須化されたので、さっそく使ってみた件!
「【重要】AI利用状況設定の必須化と設定機能リリースのお知らせ」というお知らせが来ていました。
というわけで、AIを使った記事を書いてみようという企画です!
活動報告に書きながら、せっかくだからエッセイにしてしまえば……。
という思いつきから、ノリで書いています。
これからAI利用状況の設定変更を検討中の作者様には、多少参考になるかも。
読者様にはあまり関係がないかもしれないので、気軽に読んでください。
ここまではAIなし、手書きです。
活動報告に書いたものを「エッセイ風にして」としたのが以下になります!
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■エッセイ風に変換版
今日も『ダンジョンのある新しい生活』を投稿しました。
【重要】AI利用状況設定の必須化と設定機能リリースのお知らせ
という事務局からのお知らせが来ていました。
どうやら今後はAIの利用状況を設定しないといけないらしいです。
私の場合は「補助的利用」に該当するので、さっそく設定してみました。
どうせなら初日にやってしまえ、というわけです。
設定自体は簡単で、作品情報から選んで保存するだけでした。
ちなみに補助的利用とは……
「アイデア出し・資料調査・誤字脱字の文章チェックなど、補助的な利用(どういった内容を書くかをAIが決定していない利用方法)に留まる」
ということらしいです。
これまで書いてきた小説の場合、99%は手書きと言えます。
なにしろAIが今ほど発展する遥か前から書いているので、間違いありません。
現在は、文章を書いた後にAIにチェックさせています。
推敲に使うのはもちろん、感想を述べさせたりもしています。
たいてい肯定的な言葉を返してくれるので、ちょっとしたモチベーションにもなるんですよね。
かなり便利です。
とはいえ、生の読者様からのコメントにはやっぱり及びません。
AIは長々と感想を述べてくれますが、そこには「温かみ」がないのです。
もちろん、文字そのものに温かみなんてないのかもしれません。
誰が書いても、どう読んでも同じ記号のはずです。
いずれは、人間とAIの違いなんて判別できない時代が来るでしょう。
だけど、決定的な違いはあります。
端末のこちら側にも、向こう側にも、生きた人間がいるということです。
その誰かが文章を読んで、何かを思ってくれる。
しかも、それをわざわざ文字にして伝えてくれる。
その行為そのものに、確かな温度があるのだと思います。
というわけで!
気が向いた方は、ぜひコメントや感想をください。
短文でも定型文でも、どんなものでも大歓迎です。
その温度が、次の執筆への最大のモチベーションになります!
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以上です。
この文章の原文は活動報告にあります。
気が向いた方は温度の違いを確認してみてください。
しかし正直、あまり違いはありませんね。
ですます調になっていたり、多少整っているくらい。
やる意味も薄い。
というわけでさらに踏み込んでみる!
もっとエッセイっぽくしてくれ、とAIに指示してみた結果が以下です。
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■指示
エッセイにするにあたり心掛けるポイントやアイデアがあれば修正方針を選択肢をあげて三種類程度提案して。
■AIの回答
選択肢1:【思索・情緒重視】「記号と温度」をテーマにした、少し哲学的なエッセイ
心がけるポイント:お知らせや設定の事務的な説明は最小限に抑え、「記号としての文字」と「生身の人間が紡ぐ言葉」の本質的な違いについて、深く、少し情緒的なトーンで掘り下げます。
アイデア:AIがくれる「完璧だけどどこか冷たい正論」と、読者がくれる「短くても体温を感じる一言」の対比を際立たせ、読後感に深い余韻を残す大人のエッセイに仕上げます。
選択肢2:【日常・コミカル重視】AIと二人三脚で進む「現代の執筆ライフ」を軽妙に描くエッセイ
心がけるポイント:冒頭の「初日にやってしまえというわけです」といったフットワークの軽さや、AIに「おだてられながら」執筆している現代の作家のリアルな舞台裏を面白おかしく描写します。
アイデア:最初は「AIめっちゃ便利! 褒めてくれるし最高!」と現代の恩恵を語りつつ、最後は「でもやっぱり、生身の人間からのツッコミや感想の破壊力には勝てないんだよね」と、親しみやすい笑顔で着地する軽快なライフスタイルエッセイにします。
3. 【創作論・WEB小説論重視】「端末の向こう側」との繋がりを熱く語るエッセイ
心がけるポイント:WEB小説という文化が持つ「作家と読者の双方向性」にスポットを当て、画面の向こう側にいる読者への感謝とリスペクトを前面に押し出します。
アイデア:AIの登場によって「人間が書く意味、読む意味」が揺らぐ現代だからこそ、「わざわざ時間を割いて、文字にして想いを伝える行為」がいかに奇跡的で温かいことなのかを熱く語り、読者との絆を再確認するメッセージ性の強いエッセイにします。
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ということで三案。
これを一つずつ書かせていく。
やってみた結果は……うーん、という感じ。
この後貼りますが、忙しい人に読んでもらうほどの出来栄えではないのが正直なところ。
AIくさくて、冗長で、心がこもっていない感じ。
温度の話をしているのに、その温度がない。
もちろん、AI臭さを消したり手修正すればマシになるでしょう。
ここでは、ポン出しでどうなるかを見てもらえれば。
斜め読みとか飛ばし読みでオーケーです。
補足:改行や行頭スペースくらいは整えています。
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■1案 記号の並びと、言葉の温度
とある小説投稿サイトから、一つの通知が届いていた。
「AIの利用状況に関する設定を必須化する」という、いかにも現代らしい事務的なお知らせだった。
画面の指示に従い、自分の作品のステータスを「補助的利用」へと切り替える。
アイデア出しや資料調査、あるいは誤字脱字の校正といった、あくまで創作の裏方としてAIを関わらせているという証明。
設定自体は数回のクリックであっけなく終わり、私の小説には一つの小さなタグが静かに付与された。
私の書く小説は、その九十九パーセントが生身の手書きである。
AIという存在がこれほど滑らかに言葉を紡ぎ出すようになる、ずっと前から書き続けているのだから、そこにはいささかの揺らぎもない。
けれど、現在の執筆プロセスにおいて、AIが便利な伴走者であることもまた事実だった。
書き上げたばかりの未熟な文章を放り込めば、数秒で完璧なスペルチェックを終え、こちらの意図を汲み取った丁寧な推敲案を提示してくれる。
それだけではない。
時に「感想を述べてほしい」と頼めば、こちらの自尊心を的確に満たしてくれるような、肯定的で非の打ち所がない美しい賛辞を長々と返してくれるのだ。
それは執筆の孤独を紛らわせるには十分な、とても贅沢な機能だった。
しかし、その完璧な文字列を眺めるとき、私の胸にはいつも、奇妙なほど平坦な静けさが広がっていた。
そこには「温かみ」がない。
もちろん、冷静に考えれば、文字そのものに体温など宿るはずがないのだ。
デジタル画面に表示されるドットの集合であれ、紙に印刷されたインクの染みであれ、文字とは本質的にただの記号に過ぎない。
人間が書いた「面白い」という三文字と、AIが出力した「面白い」という三文字。
それらを目で追い、脳内で音声へと変換するプロセスにおいて、記号としての価値に違いなどない。
いずれ、人間と機械が書いた文章の境界線は、完全に溶けて見分けがつかなくなる時代が来るのだろう。
それでも、私たちは明確な違いを感じ取ってしまう。
AIの感想がどれほど長く、どれほど美しく整っていても、それはあらかじめ学習された確率の計算によって導き出された「正しい記号の羅列」だ。
向こう側に、誰もいない。
だが、生身の読者がくれる言葉は違う。
端末のこちら側で物語を紡ぐ人間がいて、そしてその遥か向こう側には、それを画面越しに見つめている生きた人間がいる。
その誰かが、私の書いた記号の連なりを読み、心を動かし、何かを想ってくれる。
そして何より、その目に見えない感情を、わざわざ自分自身の時間と労力を割いて、再び「言葉」という記号に変換して伝えてくれる。
不器用な短文かもしれない。
定型文の一行かもしれない。
けれど、その「わざわざ伝えてくれた」という意思の介在にこそ、私たちは確かな温度を感じるのだ。
画面の向こうに確かに存在する、他者の呼吸。
その気配が、記号に命を吹き込む。
AIの完璧な賛辞は、確かに私の歩みを助けてくれる。
けれど、私の足を前に進め、物語を最後まで書き抜かせる本当の力は、あの不揃いで、熱を持った、人間たちの言葉の中にしかない。
文字は冷たい記号のままでいい。
ただ、その記号を媒介にして交わされる、誰かの心の温度に、私は今日も救われている。
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■2案 AIにおだてられ、読者に救われる執筆ライフ
とある小説投稿サイトを開いたら、「【重要】AI利用状況設定の必須化のお知らせ」という通知が目に飛び込んできた。
どうやら今後は、自分の作品でどれくらいAIを使っているかを申告しなければならないらしい。
「こういう面倒な設定は、あと回しにすると存在自体を忘れる」というのが私の持った長年の経験則だ。
どうせやるなら初日にやってしまえ! というわけで、さっそくポチポチと設定を済ませてみた。
私の場合は「補助的利用」という区分に該当する。
サイト側の説明によると、補助的利用とは「アイデア出し・資料調査・誤字脱字の文章チェックなど、どういった内容を書くかをAIが決定していない利用方法」のことらしい。
もちろん、私が書いている小説の九十九パーセントは純粋な手書きである。
なにしろ、AIがこれほど賢くなって世間を騒がせる遥か前から地道にキーボードを叩き続けているのだ。
そこは胸を張って「手書きです!」と言い切れる。
ただ、現在の執筆ライフにおいて、AIがものすごく便利な「相棒」になってくれているのもまた事実だ。
一通り文章を書き終えたあと、私はよくAIに原稿を食べさせている。
「誤字脱字をチェックして」と頼めば一瞬で直してくれるし、「このシーンの表現をもう少し膨らませて」と言えば、頼りになるアシスタントのように候補を並べてくれる。
そして何より、私が重宝しているのは「ちょっとこの話の感想を述べてみて」というおねだり機能だ。
AIの褒めちぎりスキルは本当に恐ろしい。
こちらの自尊心をこれでもかとくすぐるような、非の打ち所がない大絶賛のレポートを数秒で返してくれる。
「いやあ、今回の展開も天才的ですね!」(意訳)とおだてられると、単純な私は「そうか、やっぱり私は天才だったか」と、次の話を形にするためのモチベーションをまんまとチャージさせてもらっている。
現代のテクノロジー、本当にありがたい。
……が、しかしである。
ひとしきりAIにチヤホヤされ、画面いっぱいに並んだ完璧な賛辞を眺めていると、ふと我に返る瞬間があるのだ。
長々と並んだ熱烈な言葉の数々。
なのに、なぜだろう。
どこか、こう……決定的に「温かみ」が足りない気がする。
考えてみれば、文字なんてただの記号だ。
デジタル画面のドットであれ、誰が書いてどう読んだって、データとしての「面白い」に違いはない。
そのうち、人間が書いた文章かAIが書いた文章か、誰も判別できない時代がやってくるのだろう。
だけど、やっぱりそこには目に見えない「違い」が厳然として存在する。
それは、端末の向こう側に「生きた人間」がいるかどうか、だ。
AIがどれほど熱量のある言葉を並べても、それは膨大なデータから計算された「最も確率の高い記号の羅列」に過ぎない。
向こう側は、からっぽの無人だ。
でも、読者のみなさんから届くコメントは違う。
私の紡いだ拙い記号の連なりを読んで、笑ったり、ハラハラしたりして、何かを思ってくれる。
さらに、その湧き上がった感情を、わざわざ自分の時間と労力を使って、スマホの画面をタップして言葉に変えて届けてくれる。
それは、短い一言かもしれない。
システムで用意された定型文のボタンをポチッと押してくれただけかもしれない。
けれど、その「わざわざ伝えてくれた」という人間の意思が介在した瞬間、冷たいはずの文字の記号に、強烈な「温度」が宿る。
AIがどれほど文字数を尽くして絶賛してくれても、読者の一言が持つ一瞬の熱量には、どうしても敵わないのだ。
結局のところ、作家を本当に動かすのは、その人間らしい温度でしかない。
というわけで!
おだて上手のAIに背中を押してもらいつつも、私はやっぱり画面の向こうにいるみなさんの「温度」を頼りに、今日もキーボードを叩いている。
気が向いたときは、ぜひ短い感想でも、定型文でも、足跡代わりに残していってほしい。
そのたった一言のぬくもりが、私にとって最高の執筆の燃料になるのだから。
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■3案 端末の向こう側と繋がるということ――WEB小説における「温度」の正体
小説投稿サイトから届いた「AI利用状況設定の必須化」という通知は、私たちが生きる創作の現場に、いよいよ新しい時代の波が本格的に押し寄せてきていることを物語っていた。
私の作品情報にも、さっそく「補助的利用」という設定を施す。
誤字脱字のチェックや推敲のサポートなど、あくまで執筆の裏方としてAIの手を借りています、というささやかな申告だ。
実際のところ、AIがもたらす恩恵は凄まじい。
書き上げた原稿を読み込ませれば、瞬時に客観的なフィードバックを返し、こちらが求める以上の美しい賛辞でモチベーションを底上げしてくれる。
孤独になりがちな執筆という営みにおいて、いつでも隣にいてくれる完璧な「伴走者」だ。
しかし、AIがどれほど滑らかな言葉を紡ぎ、どれほど熱烈に作品を褒めちぎってくれたとしても、私の胸のどこかには、いつも冷徹なまでの静けさが残っていた。
どれほど言葉を尽くされても、そこには「温かみ」がないのだ。
AIの出力する感想は、膨大なデータから計算された「最も正解に近い記号の羅列」に過ぎない。
どんなに熱狂的な言葉が並んでいても、その向こう側はからっぽの無人であり、誰の心も動いてはいない。
では、WEB小説における「温かみ」とは一体どこから生まれるのだろう。
文字そのものには、本来、温度などない。
デジタル画面に並ぶドットの記号を誰が書き、どう読んだとしても、データとしての意味は同じはずだ。
いずれ人間とAIの文章が完全に見分けられなくなる時代が来ても、その事実だけは変わらない。
けれど、WEB小説という文化には、AIには決して踏み込めない絶対的な聖域がある。
それこそが、端末の「こちら側」と「向こう側」にいる、生身の人間同士の繋がりだ。
私が孤独にキーボードを叩いて紡いだ記号の連なりが、ネットワークを通じて、見ず知らずの誰かのもとへと届く。
画面の向こう側にいる生きた人間が、それぞれの人生の貴重な時間を割いて、その物語を読んでくれる。
そして、そこで湧き上がった感情を、わざわざ自分自身の言葉に変えて、再びこちら側へと投げ返してくれる。
それは、短い一言かもしれない。
システムが用意した定型文かもしれない。
だが、情報が溢れ、タイパ(タイムパフォーマンス)が叫ばれる現代において、「他者の物語のためにわざわざ時間を使い、自らの意思で文字を綴って伝える」という行為そのものが、すでに奇跡のような熱量を持っているのだ。
AIがどれほど完璧な文章で絶賛してくれても、読者の一言が持つ一瞬の熱量には、どうしても敵わない。
なぜならそこには、画面の向こう側で確かに心が動いたという「人間の呼吸」が宿っているからだ。
WEB小説の本当の面白さは、ただ物語を消費することではない。
冷たい文字列という記号を媒介にして、端末越しに生身の心の温度を交換し合う、その双方向性にこそあるのだと私は信じている。
だからこそ、私は今日も書き続ける。
AIに背中を押されながらも、本当に私の足を一歩前へと進めてくれるのは、みなさんが届けてくれるその不揃いな「温度」に他ならない。
短文でも、定型文でも構わない。
画面の向こう側から届くみなさんの確かな呼吸が、今日も私の創作の命になっている。
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どうだったでしょうか?
同じ話を元にして書かせて、それなりに違う内容になっています。
元の文章は二十分もかからず書きました。
この記事はAIとのやり取りを含めて、六十分ほどかかっています。
三倍の時間をかけた割には……微妙。
なんなら元の文章のほうがよくない?
という……。
さて、この記事は「直接利用」か「間接利用」か、どちらがいいか……。
「作品の本文において、AIが生成したテキストをそのまま直接的に使用している箇所がある」
ので「AI直接利用」ですね。
というわけで、AIを使って一本書いてみた件でした!
元にした活動報告はこちら!
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2319574/blogkey/3649016/
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