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AnfangSage  作者: 上月琴葉
第二部 精霊界編
33/51

18話 落日

「シュリっ!」


 神座ヴァラスキャルヴの小さな部屋でリヒトはそう叫んで飛び起きた。


 不吉な夢を見た。


 ――鋭い牙を持つ竜がシュリを丸呑みにする夢。


「兄さん、おはよう。兄さんも見たんだね。竜の夢」


「え、フィンスも見たの?」


 リヒトの問いに、フィンスは小さく頷く。あまり顔色はよくないようだ。それは夢のせいか、それとも──


「兄さん、多分この夢は真実だと思う。闇のマナがどんどんこの場所に充満してきてるのがわかるんだ」


「だったら!」


 リヒトとフィンスは目配せをすると、部屋に置いてあった適当な服を身につけ、武器を持って部屋を飛び出した。


「シュリを助けたい。フィンスも力を貸してくれるの?」


 フィンスは微笑んで頷く。


「兄さんが望むなら僕は何だってする。それにね、シュリや兄さんの仲間がいないと僕はきっとここに今いないってわかってるから」


「ありがとう!」


 城内を走りながら、少しずつ痛みが酷くなっていくのをフィンスは感じていた。


(そろそろタイムリミット、か……だけど、それなら尚更だね……助けられてばかりなのは……性に合わないんだ)


 彼はリヒトに見えないように、そっと微笑んだ。少しだけ、寂しそうに。


**


「どう、少しは落ち着いたかしら?」


「はい。取り乱して申し訳ありませんでした」


 ヴァラスキャルヴの城の中の一室で、結界を貼った上でニミュエとスヴァンフフィードは紅茶を飲んでいた。 クルクから分けてもらったラベンダーティー。気持ちを落ち着かせる効果がある。 体中の浅い傷はニミュエが回復呪文ですぐに治してしまった。


「では、お姉さんに話してもらえる?一体何があって、今何が起こっているのかを」


「単刀直入にいいます。ミトラ様が竜になって、暴れているのです」


「何ですって?」


 この言葉に思わずニミュエは息を呑んだ。


「ミトラ様がお気に入りのペンダントをつけられた直後、竜の姿に変わられてしまったのだとメイドから聞きました。今はもう自我がない様子です」


「……竜化毒……?だけどあの毒は簡単に作れるようなものじゃない。材料は簡単に入手できるけど分量は厳しいし、それこそユミルの一族の禁忌の、」


 そう言いかけてニミュエはあることに気付いた。


 イーサ・ユミル。ある一派がかつて彼の記憶を抜き出したが使えなかった。しかしその際に結界自体は壊されている。


 そしてロキ。スカアハと光精霊リューの息子。スカアハは「黒き者」であり、ユミル一族の血を濃く受け継いでいる。そして濃くはないがリューも。ならば彼はその知恵にアクセス出来た可能性がある。バルドルの元に居た彼を闇の眷属が攫ったという話も聞いた。


(もしも、闇の眷属がロキを使ってユミルの叡智を一部でも手に入れていたとしたら。そして遺産である機械類を動かせていたなら!)


 事態は思っているよりもずっと深刻なのかもしれない。


「ねえ、スヴァンフフィード。スカアハはどこで眠りの罰を?」


「確かヨトゥンへイムです。最も本当にあるかどうか怪しいと言われていますけど」


「ヨトゥンへイムですって?」


 ニミュエは血の気が引いていくのを感じた。


 彼女はその場所が本当にあることを知っていたからだ。そしてその場所にはユミルの遺産が詰まっていることも。


(最悪だわ。恐らくスカアハはそこを本拠地にしてるのね。そして恐らくはタナトス、彼女がユミル文字を解読している……だから竜化毒が作れたのね)


 だけど今はそんなことを考えている場合ではない。だとすればシュリがより一層危なくなる。


 ニミュエはティーカップに残っていたお茶を一気に飲み干すと、部屋を飛び出した。


「無事でいなさいよ!シュリ!」


**


「シュリ!ここにいるの?」


 襲ってくる闇の眷属の配下の魔物達を蹴散らしながらマトリ達は玉座の間へと辿り着いていた。


 武器を構えたまま呼んでみるが返事はない。


「マトリ、開けてみてもいいか?」


 シュネルの問いにマトリは頷く。


「うん。だけどみんな武器は構えてて……シュネル、頼むよ」


 マトリの言葉に頷いてシュネルが扉を勢いよく開く。


「え……?」


 玉座の間にいたのは漆黒の体を持つ一匹のドラゴン。


「な、何でこんなところに竜が居るの?」


 プロミネは怯えた様子で竜を見つめる。


「わからないけど、友好的なフンイキじゃないよねー」


「イーサ。こういう時に気の抜ける発言をするな」


「え、ボクは真面目だよ?なんだか毒の匂いがあの竜からするなあ……」


「毒?」


 その発言にシュネルが顔をしかめる。彼はかつてジェンティアでノナに毒を使われて狼になった経験があるからだ。


「ってことは、あれは誰かが姿を変えたものだってことか?まさかシュリなのか?」


<シュリ……>


 その言葉を聞いた竜の目に、穏やかな色が宿った。


 そして竜は話し始める。自我が保たれるわずかな間だけ。


<貴方達はシュリの……お友達ですね。私は……ミトラ……気付けば自我を無くしてこんな姿になっていました。 そして、多くの精霊を傷つけシュリを……呑み込んでしまった……>


「何だって?」


「呑み込んだ?じゃあシュリさ……シュリは……」


 動揺するシュネルとアルヒェにミトラは苦しそうに告げる。


<大丈夫……あの子はまだ存在しています。だから、聖剣術士マトリ……そしてヒンメルファルトを持つアルヒェに頼みます……竜の腹を裂いてシュリを助けて! 酷でしょうけど……母としての願いです。私が存在を保てたとして、もう女王として力を振るうことはできません。真闇に穢された者は……決して>


「ミトラ様……」


<アルヒェ、貴方はよく知っている筈です。精霊が真闇に穢されるということがどういうことなのかを……もう時間がありません……どうか……>


「ミトラ様!それは一体……どういう……」


 アルヒェの問いに答えるかわりに、鋭い竜の牙がアルヒェに襲いかかる。


「きゃ……!」


「アルヒェ!」


 咄嗟にシュネルが彼女を庇い、その竜の牙はシュネルの腕をかすり傷を負わせた。


「大丈夫か?ったく……不意打ちとは卑怯だぜ……ってて」


「すぐ治しますから!ヒール!」


 アルヒェが回復呪文を唱えるとすぐにシュネルの傷は癒えた。


「どうやら会話は無理みたいだぜ。アルヒェもういけるか?」


「はい!」


 アルヒェとマトリが一歩前に出て剣を構える。


「僕たちは補助に徹する。イーサとシュネル、プロミネは前衛で援護。僕とクルクは後方支援だ」


 こうして全員が戦闘態勢に入り、落日竜との戦いは始まった。


**


 一面の暗闇の中に彼女はいた。


 深く、冷たく、どこまでも続く闇。


 淡い光の球体に護られて、彼女は眠っていた。


<っ!>


 不意に体を裂かれるような痛みが走り、彼女は目を覚ました。


(あれ、私どうなったんだろう。確か竜に呑み込まれて──)


<シュリ>


(この声……リヒト?リヒトなの?)


 シュリは口に出そうとするが、声が出ない。身につけていた筈の衣服も見当たらない。


 そこで彼女は、自分がいわゆる精神体となっていることに気付いた。


<大丈夫。今度は僕が君を助けるから。だから……信じて。消えないで>


**


「想像以上の……強さ……だね」


「ええ、本当に……」


「反則でしょ……これ……」


「闇属性の僕ですら……立っていられないなんて」


「くそっ……」


「負けたく……ないのに……」


「くらくら……するよ……」


「お姉さん……もうだめかも……」


 その後ニミュエを加えて善戦していたマトリ達だが、落日竜の「深淵の吐息」をまともに受けた彼らはもはや壊滅状態にあった。真闇あるいは冥──イーシェ。真闇の眷属のみが操ることのできる特別な属性。全ての属性に絶大なダメージを与えることが出来る。冥は生きるものから生命力であるマナを一瞬で奪い去ってしまうため、どんなに元気でも一撃で瀕死になってしまうのだ。


「……無理……なのかよ?」


 床に倒れたまま悔しそうにシュネルが言った。


「大丈夫です……あたしが回復を……」


 アルヒェはそう言って立ち上がろうとするが、体に力が全く入らない。


「無理するなアルヒェ……!」


「だけど……あたしが……やらないと……もう……嫌なんです……目の前で誰かを……失うの……は」


 アルヒェはヒンメルファルトを支えにふらつきながら立ち上がる。 そして呪文の詠唱を始めた。そんな彼女に向けて竜は爪で襲いかかる。


「避けろ!アルヒェっ!」


 その爪が彼女の体を裂こうとした刹那──


「月に集まりし想いの欠片 輝きの雫となりてこの地に落ちろ!シャイン・ティア!」


 竜の頭上から雫型の隕石が光を放ちながら落下し、直撃した。


「縛れ!ケイオスチェイン!」


 続いて黒い闇の鎖が竜の動きを封じる。


「大陽よ我らに癒しの光を!レジュレクシオン!」


 隙をついてアルヒェの回復呪文が発動し、それまでに受けた傷は全て癒えた。


「ごめん、遅くなって」


「兄さんと一緒に、僕も加勢させてもらうよ」


「リヒト!フィンス!無事だったんだな!」


「心配かけてごめんねみんな。……ただいま」


「フィンスさん、良かった……」


「大丈夫だよアルヒェ。心配してくれてありがとう」


 フィンスはそう言ってほんの少しだけ寂しげに微笑んだ。


 落日竜はふたたび息を吸い込み、ブレスの準備をする。


「またかよ?あの真闇のブレス喰らったら一発で──」


「……ああ、それはもう大丈夫だよ。僕に任せて。アルヒェとマトリはその隙に竜の腹を裂いてシュリを助けて!」


 フィンスはそう言うと一歩前に進みでて右手を天に翳す。


「フィンスさん……何を……!」


「……大丈夫だから、心配しないで。アルヒェはシュリを助けることだけ考えてて!」


 竜が再びブレスを放つが、そのブレスはリヒト達を護るように取り囲まれた闇のオーラに吸い込まれて消えた。


「残念でした。効かないよ……アルヒェ!マトリ!今だ!」


「はい!」「任せろ!」


 ふたりの斬撃が落日竜の腹を切り裂く。そしてシュネルが素早くシュリの体を引っ張りだした。目を覚ます様子は無いが、外傷は無い。同時に落日竜はミトラの姿へと戻り、床に倒れた。


 そしてほぼ同じタイミングで、フィンスもその場に崩れ落ちる。


「フィンス!」


 リヒトがその体を抱きとめる。酷く冷たかった。


「……良かった。シュリを助けられて。さすがに借りを残したまま逝くのは嫌だったからね……」


「逝くって……!」


「わかってたんだ……全部ね。僕は確かに生きることを願った。だけど多分ほんの少し……遅れるだけだって」


 リヒトの目から涙が一雫こぼれて、落ちた。


「悲しんでくれるんだ。兄さん。……良かった。思い出してくれて……これで僕は記憶に……ずっと……」


 フィンスはそう言って緋色の瞳を静かに閉じる。


「何なの?わけわかんないよ!勝手に兄さん呼ばわりして、つきまとって、というよりいつも助けてくれて……やっと思い出したらひとりで逝っちゃうの?」


「リヒト……」


「やっと思い出したんだ。これからじゃない……これからはずっと一緒にいれるのに!」


 フィンスを抱いたまま泣き続けるリヒトの肩に不意に温かい手が触れた。


「大丈夫。まだマナは尽きていないよ。……死なせはしない。リヒト、フィンスを抱いたままこっちに来てくれ。そしてマトリ、指輪を俺に」


「リートさん!」


 リートは指輪を受け取るとリヒトを連れて隣にある小さな部屋のドアを開けた。


「リヒト、フィンスをベッドに寝かせてやってくれ」


 リヒトは頷くとフィンスの細い体をベッドへと横たえた。リートはフィンスの左手をそっと持ち上げると薬指にアダマスの指輪をはめた。


「フィンス。これはあの日お前達を護れなかった俺たちからの償いだ。そして──」


 そしてそのままそっと体を起こして、フィンスに口づける。黒い光がフィンスの中から溢れ出して、リートの中へ吸い込まれていくのが見えた。


「これは、君の生と未来に贈る祝福のキス。俺にとってはきっと呪いのキスだけどな」


 リートはそう言って笑うと、再びそっとフィンスをベッドに横たえた。頬には赤みが戻り、胸は微かに上下している。冷たかった体は熱を取り戻していた。


「リートさん……貴方は……!」


 何かを言いかけたリヒトの唇を、リートは指でそっと塞ぐ。


「大丈夫だよ。俺も俺の生まれ変わりもきっと、後悔なんてしないから」


 リートは笑ってそう言って、二回空咳をした。


「リートさん!」


「大丈夫だから。行け、リヒト。シュリが心配だろ?フィンスもすぐに目が覚める。覚めたら連れて行ってやるから」


「はい」


 リヒトは踵を返すとぱたぱたと走り去っていった。


「行ったか……」


「……ん……」


 彼と入れ替わるようにフィンスは再び緋色の瞳を開いた。


「お、フィンス、目覚めたか」


「どうして……僕は生きて……まさか──」


 フィンスに見つめられて、リートはバツが悪そうに微笑む。これでフィンスは全てを察した。


「あなたはバカです……大バカですっ!転生の魂になるなら……永久に代償を背負うんですよ!」


 フィンスは普段は見せない取り乱した様子で、リートのことをぽかぽか殴り、そして隠すことも無く涙を流した。


「……ごめんな……」


 リートは何も言わずに優しくフィンスを抱きしめる。


「どうして、どうして壊れた僕なんか助けたの?どうして……」


 最後には言葉は嗚咽に変わってしまい、フィンスはもう言葉を話すことができなかった。


「フィンス、お前はやっぱり壊れてなんかいないよ。人のためにこうやって泣ける、優しい子だ」


「……っ」


「決めたんだろう?どんな犠牲を払ったとしても生きてやるって。だったら胸を張って生きろ」


「……はい……」


 フィンスは頷くと袖で涙を拭った。


「戻ってやれ。お前の居場所へ。みんな待ってるから」


 リートはそう言ってフィンスの肩をぽん、と叩く。彼は踵を返して部屋を出て行った。


「ふう……なんてな……カッコつけすぎ……か……」


 誰もいないのを確認してから、リートは壁にもたれ、そのまま床に座り込んだ。体中が鈍く痛む。いくら闇や真闇に耐性を持つといっても、『代償』までは無効化できない。


「……リート、大丈夫?……これで少しは楽になるといいけど……」


 開かれたままの扉からイージスが入って来た。彼はそういうとリートの前にしゃがみこみ、回復呪文を唱える。


「ありがとな、イージス。……ごめん、効いてはいないけど……気持ちはすごく嬉しいよ。お前が来たってことは時間か」


 リートの問いに、イージスは寂しげに睫毛を伏せて頷いた。


「うん……時間だよ」

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