先輩の部屋で
「どう思いますか」
「普通に考えればあの四方木って男が何かしたに違い無いんだが、状況証拠しか無いとなるとな」
「それにしてもここまできれいに証拠を消せるもんですかね」
「まぁ普通には無理だ…、あの男に前は無いんだったな」
「全くありませんね」
米田主任と山口巡査は難しい顔をして缶コーヒーを飲んでいた。
「そもそも帰しちゃって良かったんですか?」
「血痕の一つでも出れば押さえられたんだが、何も無くては事件として立件できん」
「女を消したというのは状況的に無理がありますよね」
「そうだな、2人が部屋に入った所を見ている目撃者がいる。時刻も合っている。そうなると1、2時間程度の間に殺害して死体を隠さなければならなくなる」
「それなら共犯者がいた可能性はどうですか? 例えば先に部屋に忍び込んで待ち構えていたとか…」
「髪の毛一本、指紋の1つも残さずにか? 女の指紋とやつの指紋が多数あることからすると、事前に拭き取った可能性は低い。争った跡も全く無いし、隣の住人もそれらしい音を聞いてはいない。可能性は低いだろうな」
「そうなるとやはり女が何らかの理由で雲隠れして、男がそれを胡麻化している…」
「その線で納まってくれればいいんだが、どうやったらあんなに綺麗に消える事が出来るかだ。しかもあの男、嘘を言っているようには見えん」
「そうですね、あの態度が演技だとすれば奴の演技力は化け物級ってことになりますね」
「まぁそこまでして雲隠れする動機があるかどうかだろうな。そこを調べれば何か出てくるだろうよ」
米田主任は空になったコーヒーの缶をゴミ箱に向かって放り投げた。
次の日、警察から会社に久谷が行方不明になった旨の連絡が入った。
直属の上司である久米川部長は事情徴収のために警察署に出頭したが、社内では体調不良による欠勤という扱いになったため、事件性を取りざたされるようなことは無かった。
しかしその後も久谷が会社に戻ることは無く、色々噂こそ流れたが人の噂も七十五日。やがて久谷の名が同僚の話題に上るようなことも無くなった。
警察の調査でも久谷の身辺から金銭トラブルや男性関係のような問題が出てくることは無く、原因は判らないが自分から失踪。事件性は無いということになり、捜査は打ち切られた。
一ヶ月程した頃、押収品を引き取るようにと警察から四方木に連絡が入った。
指定された警察署に出向くと、意外なことに久谷先輩の私物も一緒に渡された。肉親であるお兄さんは海外に居て受け取りが出来ないので、その場合は恋人が受取人になると言う事らしい。恋人ではないのだが、やはり警察ではそういう関係と思われていたらしい。
受け取らない場合には処分されると聞いた四方木は、そのまま黙って受け取ることにした。
「さてどうしようか」
四方木は駅のベンチに押収品が入った段ボールを置いた。どう考えても久谷先輩の荷物の方が多いし、このまま自分の部屋に持ち帰るのも気が引ける。
四方木は徐に立ち上がると段ボールを持ち上げ、ホームに入ってきた電車に向かった。先に久谷先輩のマンションに行ってこの荷物を置かせてもらおう。それが一番綺麗に収まるような気がする。
マンションの管理人室を尋ね、久谷先輩の荷物を置きに来たと告げると、管理人は愛想よく鍵を出して来た。
「しかし久谷さんは本当にどうしちゃったのかしらねぇ。急に居なくなるなんて、あなたも心配でしょ。警察でも調べて貰っているのよね…」
「…そうみたいですね」
話の流れに違和感を覚えたが、四方木は話を合わせることにした。
妙に話がすんなり進んだと思ったが、どうやらこの管理人は四方木のことを先輩の恋人と思っているようだ。警察でそういう扱いになったのは、この管理人の思い込みのせいだったのかもしれない。
「しかし警察が来た時には本当にビックリしたわ…」
玄関のカギを開けた管理人は勢いよくリビングのカーテンを開けた。静かな室内にカーテン金具が放つ甲高い音が響き、急に差し込む陽射しが室内の影を際立たせる。
「ちょっと空気入れ替えましょうね」
言葉が終わるのを待つまでもなく窓を開け放ち、室内の灯とエアコンのスイッチを入れた。管理人というよりは近所の小母さんという雰囲気だ。
四方木は床の上に警察で受け取った段ボールを置いた。
自分が食べたカップラーメンの空き容器がそのままになって干からびている。警察の見分が入ったせいなのだろうか。あちこちの引き出しが開けられたままになっており、部屋全体が荒れている。
「せっかくなので、少し掃除をしていいですか」
四方木は思わずそう口に出してしまった。
「あら、そうね。本当ならあたしがしなくちゃいけないんだけど、お願いしちゃっていいかしら。ゴミ袋はあるかしらね…」
管理人は満面の笑顔になって四方木の提案を受け入れると、台所のシンク周りの引き出しを漁りだした。何を始めたのかと訝しむ四方木に嬉しそうに管理人はゴミ袋を差し出す。
「ゴミは管理人室まで持ってきてくれればいいから」
管理人は四方木にゴミ袋を預けると、何事も無かったかのように去って行った。
「まあ、いいか…」
四方木は部屋を見渡した。
ごみを集めて、散らばっている小物を簡単に整え、引き出しを確認しながら閉じていく。掃除機を軽くかけるだけでそれなりに綺麗になった。
管理人が開けた窓を閉め、警察から預かってきた荷物をテーブルの上に置いた。1つずつビニールに詰められて、ラベルが張られているのを見ていると、何故か手を触れない方がいいような気がしてくる。
四方木は久谷先輩の押収品を段ボールに戻して蓋をすると、立ちあがった。他の部屋の掃除もしておこう。
リビングの奥にある寝室の扉を開け、中に足を踏み入れる。
想像していたよりも物が多い。床の上に雑然と物が置かれ、ベッドの上にも服が積み上げられている。これも警察が見分を行ったせいなのだろうか? そう思ったところで先輩が慌てていた姿を思い出し、思わず笑いがこみ上げてきた。
そうだ、あの日は直ぐに風呂場に押し込められたんだった。あの時に片付けと称してこの寝室に押し込んだわけか…。
「先輩、一体どこに行っちゃったんですか…」
急に何かがこみ上げ、四方木の頬を涙が伝った。
張られたままになっていた風呂の水を抜き、浴槽を軽く洗い流す。最後に換気扇のタイマーを入れ、四方木は久谷先輩の部屋を出た。
「終わったのでカギ閉めてもらえますか…」
管理人室の窓口から四方木が声を掛けると、管理人はパソコンの画面から顔を上げた。
「あらすまないわね。ゴミ袋はこっちに持ってきてね」
管理人はドアを開けて四方木を部屋の中に招き入れた。部屋の中には石油ストーブが置いてあってエアコンとは違う暖かさに包まれていた。
奥には簡単な倉庫のようなものが有り、ごみ袋はそこに置くようにと指示される。
「寒かったでしょ、お茶淹れるから一息ついていきなさい」
そう言う管理人は既に急須から湯呑にお茶を注いでいる。この誘いに乗ったら簡単に帰れそうにないが、ここまでされたら受けないわけにはいかないのだろう。
「すみません、ではお言葉に甘えて…」
とにかく一杯お茶を頂いたら逃げよう。そう思って四方木は差し出された丸椅子に腰を下ろした。
ふとパソコンの画面を見ると、表計算ソフトが起動している。息抜きをしていたわけでは無かったようだ。
「それにしても困ったわね、掃除してもらったばかりで申し訳ないんだけど、このまま久谷さん戻ってこないと部屋空けてもらわないといけないのよ」
「そうなんですか?」
まあそれはそうだろう、本人が居なければ家賃が入らなくなるのだから、そうなるのも理解ができる。
「ああ、そうだ。あなた久谷さんが戻ってくるまで替わりに住んでくれないかしら」
管理人はいいことを思いついたとでも言うかのように、パッと顔を輝かせて掌を打ち合わせた。
は? この小母さんは急に何を言い出すんだ? 四方木は持ち上げた湯呑を途中で止めて思わず管理人の目を見つめた。
「あなたもショックなのは解るけど、もし、もしもよ。久谷さんが帰ってきたとき部屋どころか荷物も何もかも無くなっていたらとっても困っちゃうと思うのよね。そこであなたが預かっていてくれたならきっと喜ぶわ。そうよ!」
あまりに急な話に言葉が出なくなっている四方木の様子を見て、管理人は身を乗り出した。
「実はね、大きな声じゃ言えないんだけど、久谷さんが行方不明のまま部屋を整理すると、あの部屋って事故物件になっちゃうのよ」
にじり寄る管理人からのきつい化粧品の匂いが鼻腔を擽る。趣味ではないが意外と美人なのかもしれない。仰け反りながら四方木はそう思った。
「そうなると中々次の借り手が見付からなくなるし、家賃も安くしなくちゃいけないのよ。あなたがそのまま住んでくれればすごく助かるわ」
管理人は体の位置を元に戻して座り直した。
「ああ、そうそう。あなたが続けて住んでくれるなら新規の契約料もいらないし、何なら少し安くしてもいいわよ。悪い話じゃないと思うけどどうかしら」
四方木が今住んでいる部屋は大学の時から借りていたので会社から遠く、おまけに間もなく更新の時期になる。遠く、また手狭でもあるので別の場所を探すつもりではいた。
「具体的には幾らになるんですか?」
四方木はお茶の隣に置かれた和菓子の包装紙を開いた。
その時は考えておきますと言って帰宅した四方木だったが、条件としては悪くない話に思えた。久谷先輩の部屋をそのままの状態で借りるということには抵抗があったが、管理人の言う『もし戻ってきたら困る』という言葉は正しい。
突然消え失せた先輩がまた戻ってくる。ありえない話ではないのかもしれない。
確かにその時に何もかもが無くなっていたら先輩は相当困るはずなのだ。
四方木は3日後に久谷先輩のマンションの管理人に電話を入れ、部屋を借り受けることを承諾した。その際、再度値段の交渉をしたのは言うまでもないだろう。




