どこ?
リビングに残された四方木は、1人カップラーメンの麺を啜った。風呂から上がったばかりだとはいえ、先ほどまで雨に濡れて冷え切った身体に染みるラーメンの熱い汁は格別だ。
箸を止めると、静かなマンションの中に久谷先輩が使うシャワーの音が響いていた。
それにしても言われるまま先輩の家に上がりこんでしまったが、本当に良かったのだろうか?
今この部屋には四方木以外は誰もいない。もしここに彼氏が帰ってきたらどうなるのだろう。修羅場を見る事になるのだろうか…。
周りを見ると、女性の部屋にしては落ち着いているような気もする。大学の時の彼女の部屋はピンク色が多かったのだが、この部屋はナチュラルカラーが多く、そこまで女性らしさを押し出してはいないような気がした。
それでも落ち着いてみると何か女性らしい匂いを感じて落ち着かない。
カップラーメンを食べ終える頃にはシャワーの音が聞こえなくなった。きっと今頃は湯船に浸かっているのだろうか。
四方木は先輩の風呂の中の姿を想像して、すぐにその映像を頭から振り払った。マズい、マズい。あくまで先輩のご厚意で避難させてもらっているだけだ。ここで変な気を起こそうものなら明日からの仕事に差し障るのは間違いない。
雑念を振り払おうと四方木はスマホを取り出してゲームを起動した。これならば余計な事に気を遣わずに済むだろう。
ふと何かが気になって、四方木はスマホの画面から目を上げた。女性は長風呂だとは聞くが、それにしても少し遅すぎるような気がする…
耳を澄ますが、バスルームからは何の音も聞こえてこない。冷めたカップラーメンのスープを一息で飲み干して周りの様子を窺うが、冷たい雨が窓を打つ音が聞こえてくるだけだった。
四方木はそっと腰を上げると、バスルームの前に移動して耳をそばだてた。バスルームの中からは何の気配もしてこない。
「先輩、大丈夫ですか…」
ドアをノックするも返事は無い。
ドンドンとちょっと大き目に拳でドアを叩く。
「…先輩! 久谷先輩!」
ちょっと大きな声で呼ぶが、それに対する返事も無い。さすがにこれはおかしい。
ドアのノブに手を掛けるが、内からロックされている。四方木は簡易ロックであることを確認すると、外側からそのロックを外してドアを細目に開けた。
先輩の脱いだ服が無造作に置いてあるが、風呂場の模様ガラス越しに動くものは見えない。
「先輩!」
ドアを叩きながらカチャリとドアを開ける。
バスルームでは静かに湯面が揺れ、立ち込める湯気が脱衣場に漏れ出てきた。
四方木は背中に冷たいものを感じて後ろを振り返るがそこには誰も居ない。かごの中に久谷先輩が脱いだスウェットがあり、自分の脱いだ服がその下になっている。洗濯機の上には先輩が新しく用意した柔らかそうな室内着が畳まれたままになっていた。
四方木は脱衣場のドアを開けたままで廊下に出た。自分以外は誰も居ない。
ありとあらゆるドアを開けて久谷先輩を探す。クローゼット、ベランダ、トイレ…。どこを覗いても先輩の姿は無かった。
玄関のカギはロックされていて、チェーンも掛けられたままなので、外に出たという事はあり得ない。
おぼつかない足取りでバスルームに戻り、もう一度中を覗くと湯船からは静かに湯気が立ち昇っている。
何気なく先輩の着替えを持ち上げると、その下には真新しい下着が畳まれていた。
四方木はバスルームのドアを静かに閉じると、ダイニングの椅子にゆっくりと腰を下ろした。
テーブルの上のスマホに気が付くと、思い出したように手を伸ばす。先輩の電話をコールする指先が震える。
テーブルの下のカバンから振動が伝わって来たことを確認すると、四方木はスマホから静かに手を放した。テーブルの下のスマホは暫く震えていたが、やがて静かになった。
「はい、110番です、事故ですか、事件ですか?」
電話の向こうから女性オペレーターの声が聞こえた。
「…あのう。緊急かどうか解らないんですが…」
四方木の声は小さく震えている。
「構わないので説明してください」
「今、先輩の家にいるんですが。突然先輩が居なくなってしまって…」
「その部屋に閉じ込められているという事ですか?」
「いえ、そうではないんです。先輩が風呂に入って出てこないので見に行ったんですけど、どこにもいないんです…」
「もう少し、詳しく説明してもらえますか?」
「風呂にはカギが掛かっていたし外に出ている筈は無いんです。部屋ではボクがずっと待っていたし。チェーンロックも掛かっているから家の外に出ている筈も無いし。どうしたらいいんでしょう」
「解りました、あなたはその先輩の家というところに居て、その先輩が外に出ていないのに行方不明で困っているということでいいですか?」
「そ、それでいいと思います」
「それでは緊急がそちらに行きますので、あなたの名前と、今いる場所の住所をゆっくり言ってください」
四方木は玄関を出て部屋番号を確認し、自分の名前と久谷冬萌香の名前を伝えた。
「ではすぐにパトカーがそちらに向かいますが、けが人が居るということではないですね」
「僕だけなので、けが人はいません。それで、先輩に迷惑を掛けたくないのでサイレンって消してもらうことできるんですか?」
「それなら大丈夫です、近くに行ったらサイレンを消すよう伝えておきますから。10分ほどで警察官が着くと思いますので、玄関の呼び出しが鳴ったら出てください」
「解りました」
スマホの通話ボタンを切ると、四方木の脇と背中は汗でびっしょりになっていた。
警察を呼んでしまった。よくわからないが、四方木はもうどこにも逃げられないのだということを意識した。
インターホンの呼び出しに応答してから玄関を開けると、外には2人の強面の男が立っていた。警察官は制服を着て来るものと思っていた四方木は、差し出された警察手帳に目を丸くした。もしかして確認ではなく、事件扱いなのだろうか?
「まず、順番に説明してください」
玄関で靴を脱いだ私服の警察官は四方木から説明を聞き、一通り家の中を確認すると四方木にはリビングで座ったまま動かないように指示をした。
「風呂場のドアは鍵がかかっていて外からあなたが開けたんでしたね」
「そうです。簡易錠なので開け方は知っていましたから」
「ここの家の借主はあなたではないということでしたね。その人とあなたの関係は…」
四方木は取り調べを受けているかのように、警察官から様々な質問をされ、別の警察官がその内容を手帳に書き込んでいく。
一通り質問が終わったころ別の男がマンションの管理人を連れてやってきた。その男は四方木に警察手帳を提示すると、管理人に確認をしてもらいながら様々な場所の撮影を始めた。
先輩を見付けてもらうために警察に電話を入れたのだが、どうやらそういう流れではなさそうだった。
「現場の確認はこのまま続けますので、四方木さんは一緒に警察署の方に来ていただけますか?」
警察官の1人が四方木にそう告げた。ああ、これが噂に聞く任意同行というやつなのか…。
四方木は警察官に促されるまま、外に停めてあるパトカーに移動した。初めてパトカーに乗ることになるがそこに何の感動は無い。
後部座席に腰を深く下した四方木は力無く目を閉じた。




