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9話 守るべきもの

 白い部屋の床に座り、スケッチブックに絵を描いている純白のワンピースを着た少女が二人。


 一人は五歳ほど、もう一人は高校生ほどで共に部屋や服の白さと対照的な黒い髪をしていた。


 少女と言うにはまだ幼い女の子が、クレヨンで動物を画用紙いっぱいに描いている。


 年長の方の少女は、懸命に動物を描く女の子の姿をスケッチしている。


 女の子は動物図鑑とスケッチブックを交互に覗き込み、少女はその様子を見て微笑みながらその姿を描く。


 とある「事件」以降、失われたかに思える微笑ましいやり取り。


「おねえちゃん」


「どうしたの? 美月ちゃん」


 美月と呼ばれた女の子が動物図鑑から顔を上げて、姉であるもう一人の少女に話しかける。


「どうしておねえちゃんはいつもガラスのむこうにいるの?」


「それはお姉ちゃんがあの時東京を壊しちゃったから、かな」


 困り顔で答える少女の名は柊陽向。かつて東京に壊滅的ダメージを与えた「ヒイラギ・ヒナタ事件」のトリガーとなった存在。


 妹である柊美月と彼女は強化ガラスで隔たれている。


 無論、陽向の起こす現象が相手ではこの程度のガラスなど気休め程度にしかならない。


 しかし彼女を管理する大人たちは、そうでもしないと不安で仕方なかったのだ。


「どうしてこわしたの?」


「わざとじゃないよ。ただ怒って、夢中になってたら、そうなっちゃったんだ」


 自身の生んだ最悪の結果に対して何万回も思いを巡らせてきただろう陽向は、どこか達観したような表情で言った。


「……もうあえなくなるって、ほんとう?」


「多分ね。この研究所を出て美月ちゃんは地上に行くんだよ。そうしたらもうわたしとは会えない……ずっと」


 陽向は寂しそうに、そして諦めてしまったかのように淡々と答えた。


「さびしい? わたしのことわすれない?」


「寂しいよ。でも美月ちゃんの絵をたくさん描いたから、忘れないよ」


「どうしたらまたおねえちゃんといっしょにくらせるかな?」


 美月の問いに陽向は少しの間考え込んでから返事をした。


「東京を征服できたら、きっとまたわたしに会えるよ」


「せいふく?」


「東京で一番偉い人になれれば……ってこと」


 あまりに荒唐無稽な話に、自嘲気味な笑みを浮かべる陽向。


「美月さん、お時間です」


 美月の後ろにいた軍服の男達が近づいてくると、彼女は名残惜しそうにクレヨンを片付け始めた。


 そしてその一人に手を引かれながら陽向の居室を退室しようとする。


 厳重なセキュリティの扉が軍人の操作によって閉まる直前、美月は振り向きざまに言った。


 「じゃあ、なる」


 スケッチブックに目を落としていた陽向が驚いて顔を上げたときには、もう美月の姿はない。


 この去り際に交わした言葉が二人の人生を大きく狂わせることになるとは、まだ誰も知り得なかった。


 *


「ルナっち、おは~」


 突然の渚の声に驚いて眠りから目を覚ますルナ。


 ルナが寝ていたのは、彼女ら「便利屋コロシ部」が「部室」と呼ぶ廃ビルの一室にあるソファーだった。


 血痕や弾痕の残る壁を拾った家具などで上手く隠したビルの一室。


 香川の逃走後にルナたちは、捕虜にした兵士と共に「部室」に戻ったのだ。


「私、寝てたんだ。ちょっと気が緩んじゃったのかもね。尋問の方は?」


「全然ダメ~。疲れてそうだったからそっとしてたけど、もう手詰まりだったから起こしちゃった~。あとヨロシク」


 ルナが立ち上がると、アカネが捕虜と何か話しているのが聞こえる。


「だーかーらぁ! 他になんか言えないのかっつってんだよ!」


「……殺せ」


 ルナはその男が、帰りの車内でも同じ調子で黙秘を続けていたことを思い出した。


「めんどくせぇ! そろそろ代わってくれよルナ!」


「面倒だったらもう殺せばいいだろう」


「っせえなぁ!」


 拳を振り上げたアカネの手をルナが止める。


「アカネちゃん、ダメ。戦闘員をわざと見殺しにしたり、使い捨てる『極殺』にここまで忠誠を示して黙秘する理由があると思う? 絶対裏がある。殺すのだけはダメ」


「わかったよ……」


 ルナには捕虜の男の言動にぬぐえない違和感があった。


 渚の「念波」を最大出力で浴びたことによる全身打撲で一切の身動きが取れなくなったその男。


 彼は今に至るまでただ自分を殺させようとする以外の言葉を口にしなかった。


(こいつは何かを知ってる。この一件の裏を。元研究員の香川が『極殺』に狙われることになった理由を)


 香川の時計に記録されたデータは凛子が解析にかけている。


 その再生能力を見込まれ、かつては「新兵特殊訓練チーム」通称「特練」に所属していた凛子。


 再生能力とかみ合う彼女の得意分野を何とか見つけようと様々な訓練を受けさせた上官たちだったが、皮肉にも彼女が才覚を開花させた分野は「情報処理」と「狙撃」だった。


「先輩、何かわかったことはある?」


「時計の方はその、まだ……でも部長、これ見て……」


 凛子が事前に「極殺小隊」を調べた際の資料の中から一枚の紙をルナへと差し出す。


 今回捨て駒にされた「極殺小隊」下部組織に所属するとある男のプロフィール。


「あ、アカネちゃんより部長の方がその……有効に使ってくれそうな情報だった、から。あ、でもアカネちゃんがダメってことじゃなくて、あの、その……」


「流石リンちゃん先輩。その判断は正しいし、この情報はスゴく使える」


 凛子は周囲を見渡すとこっそりとルナに頭を差し出す。


 さりげなくルナはその頭をなでると、凛子は嬉しそうに目を細めた。


 そんな時。捕虜の男が怒鳴り散らす。


「早く殺せ。お前たちにその気がないなら自分で舌を噛み切ってやったっていいんだぜ!」


「嘘。何も言わずにそうしないのはそれが確実な死に方じゃないことを知ってるからでしょ」


 ルナにあっけなく言い負かされた捕虜の男は、目をふさがれながらも声の位置からルナの方向へ唾を吐く。


 放たれた唾は不自然な軌道を描いてルナには当たらなかった。


 ザクロとの戦いでも見せた、空間に関与するルナの能力。


「あなたからする違和感の正体。それは殺されることよりこのまま殺されないことを恐れてるっていうこと」


「……だからどうした。生きて帰ってもあの女に殺されるか、死ぬまで最前線で戦わされるだけだ。何がおかしい」


「得体の知れない私たちは、ザクロよりも惨たらしい殺し方をするかもしれないのに?」


 ルナの返答に男は黙ってしまう。


「あなたが考える本当に嫌なことはザクロに殺されることでも、私たちに惨たらしく殺されることでもない。そう、それは……」


「いいから! 殺せ!」


「このまま死ねないこと、でしょ」


 男は決死の思いで舌を噛みしめ始めた。


 ルナの指摘は全て正しかった。故に、男は不確実な自死の手段を取るしかなくなったのだ。


「取引しようよ。私が欲しい情報をあなたが提供してくれること。もしくは知らないなりに洗いざらい吐くことが条件」


「……そうしたら、俺を殺すのか?」


 男は口の端から血を流しながら言う。


 彼の不自然なまでの死への執着。それはルナが凛子から得た情報とは矛盾する内容だった。


 男の名前はセルバンテス・タムラ。元米兵であり、難病の息子がいた。


 治療に用いられる薬は今の東京では法外な値段が付けられている。


 故にセルバンテスは自身が率いる手練れの傭兵団を「極殺小隊」に売り込み、他の下部組織とは待遇の差を付けさせて働いていたのだ。


(家族を救おうと戦ってきたこの男がここまで執拗に死を望むわけ、ない)


「いいよ。情報の裏付けが取れるまでしばらく生きてもらうかもしれないけど」


(だって私とこの人は、本来同じ立場のはずだから……)


「……いいだろう。何の話が聞きたい?」


 どこかほっとした様子でセルバンテス。いや、自死できないままその体から逃れられず閉じ込められていた「極殺小隊」正規メンバーのオリーブが答える。


「香川を襲った理由。依頼人の素性。そして……」


 ルナは深く息を吐いてから言った。


「ヒイラギ・ヒナタについて」

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