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襲撃、そして現れた騎士団の女

静寂に包まれたデルタ村に、再び不穏な影が忍び寄っていた。その日の朝、漂う土の匂いの中に、これまで嗅いだことのない、人工的な魔力の匂いが混じり始めた。空は鉛色に淀み、遠くからザワザワと、風ではないざわめきが聞こえてくる。それは、ただの風の音でも、遠吠えでもない。まるで、この世界の根底を揺るがすような、古びたギアの軋む音のように、ジークの耳には聞こえていた。最近、各地で報告される魔物の異常発生や、予測不能な局地的な嵐も、妙に整然としたパターンを描いている。どこか見えない大きな意志が、この世界を弄んでいるような、そんな薄気味悪い感覚がジークにはあった。

「何だ……? あの音は……」

畑で作業をしていたジークが、静かに空を見上げた。その彼の目に映ったのは、地平線の向こうから押し寄せてくる、無数の人影と、鈍く光る鋼鉄の輝きだった。彼らが使うのは、最新鋭の魔力増幅器を搭載した魔導銃や、自動追尾式の魔力探知ドローン。普段、村人が使う簡素な農耕機械とは、かけ離れた「力」の象徴だった。

「魔導軍だ! 隣国の、魔導軍が攻めてきたぞ!」

村人の悲鳴が響き渡る。人々の顔は恐怖に引きつり、子どもたちは親の服の裾を掴んで震え上がった。魔導軍の兵士たちは、整然と隊列を組み、機械的な足音を響かせながら村へと進軍してくる。彼らの進路にあるものはすべて破壊され、家屋がガラガラと音を立てて崩れ落ちる。この村の平和な日常が、あっという間に蹂躙されていく。魔物とは違う、人為的な「悪意」が、村全体を覆い尽くそうとしていた。ジークの心には、王都の貴族たちの、あの尊大で、しかし臆病な視線がフラッシュバックする。彼らは、力を持つ者を恐れ、同時に利用しようとする。そのちっぽけな欲望が、どれほど多くのものを破壊してきたか。

ジークは迷わず、村人たちを避難させるべく動いた。彼の地味な外見からは想像もつかない速さで駆け回り、影に潜り、混乱する村人を安全な場所へと誘導していく。そして、村人全員が避難を完了したのを見届けると、彼は静かに、魔導軍の前に立った。

「……静かに暮らしたいだけなのに、どうしてこう、僕の畑を荒らす連中ばかりなんだろう?」

小さく呟く。その瞬間、彼の存在感が、まるで濃密な闇のように膨れ上がった。

魔導軍の隊長が、不敵な笑みを浮かべ、魔導銃を構える。「この程度の田舎村、一瞬で消し去ってくれるわ!」その言葉が言い終わる前に、ジークはすでに動いていた。

ヒュッと風を切る音。それは、誰も認識できないほどの速さだった。魔導軍の兵士たちが、一体何が起こったのか理解する間もなく、次々と意識を失い、その場に倒れていく。ジークは影の中を縦横無尽に駆け巡り、まるで舞うように、あるいは影そのものが襲いかかるように、敵を無力化していく。彼の「影潜り」は、もはや単なる隠密スキルではない。それは、空間そのものを捻じ曲げ、時間を圧縮することで、誰も認識できない速度での移動を可能にする、根源的な「次元操作」の力だった。

ザシュッ!という乾いた音と共に、魔導兵の魔導銃が粉砕される。バチン!と火花が散り、魔力障壁が弾け飛ぶ。彼は一切の殺傷をせず、ただ無力化することに徹している。隊長が最後の抵抗とばかりに、最大出力の魔力弾を放つ。ゴオオオォッ!という轟音と共に、それはジークへと向かっていくが、彼は微動だにしなかった。魔力弾が彼に到達する寸前、ヌルリと空間が歪み、魔力弾はまるで幻のように消え去った。ジークは、漆黒の剣を構え、隊長の首筋にその切っ先を突きつけていた。

「これ以上、この村を荒らすな。次に畑の畝を乱したら、問答無用で肥料にするぞ」

彼の声は、静かだが、その場の空気を凍てつかせるほどの圧力を秘めていた。隊長の顔が青ざめる。肥料にするとは、なかなか洒落にならない脅しだ。

魔導軍は、為す術もなく全滅した。ジークが再び影に潜り、誰もその姿を見つけることができなくなった、まさにその時。

ドォン!と地鳴りのような音を立てて、一人の女性が大地に着地した。彼女は全身を煌びやかな銀色の甲冑に包み、背には巨大な両手剣を背負っている。その凛とした佇まいは、まさに「女騎士」という言葉を体現していた。彼女こそ、王国騎士団副団長、セイラだった。彼女の視線は、倒れ伏す魔導軍の兵士たちと、ジークが最後に姿を消したあたりの影を、鋭く射抜いていた。

セイラは、倒れた魔導兵の一人を検分し、その瞳を大きく見開いた。傷一つない。しかし、全員が完全に戦闘不能になっている。並大抵の力ではありえない。そして、この「影」の使い方、見覚えのある手腕……。彼女の胸には、かつて王都で共に過ごした日々が蘇る。ジークは、決して表立って活躍するタイプではなかったが、いざという時には常に周囲の危機を察知し、影から支えていた。その彼が、なぜ追放されたのか。それは、彼の力を「理解できない者」の傲慢と、力を持つ者への根深い恐怖からくるものだ。騎士として、彼女は王国の決定に従ったが、その胸には常に、ジークへの一抹の負い目と、そして彼が持つ真の価値を見抜いていたからこそ、彼への深い敬意があった。

彼女は、静かに、そして確信に満ちた声で呟いた。

「……やっぱり、あなたが“黒影”だったのね。この手並み、まさしく王国の至宝」

その言葉が、辺りの静寂に吸い込まれていく。

セイラは、周囲の様子を窺うようにあたりを見回した。すると、ジークが避難させた村人たちが、おそるおそる隠れていた場所から顔を出し始めた。彼らの中に、ジークがいた。彼は、まるで何事もなかったかのように、リュミエルが置いていった籠を手に、畑へと向かおうとしていた。

「待ちなさい、ジーク=アッシュ!」

セイラの声が、村中に響き渡る。ジークは振り返ったが、その表情に驚きはない。

「王国は、あなたの力を必要としているわ。追放処分は撤回する。今すぐ、王都に戻りなさい! あなたのような人材を辺境に放置するなど、国の損失以外の何物でもない!」

セイラは、有無を言わせぬ口調で告げた。彼女の言葉には、騎士団副団長としての威厳と、そしてジークという存在への確かな評価が込められていた。王国の魔導機械では対処できないこの状況において、彼の力はまさに喉から手が出るほど欲しいものだった。

しかし、ジークは首を横に振った。彼の表情は、相変わらず穏やかで、何の感情も読み取れない。

「俺は、静かに暮らしたいだけだ。王都のゴタゴタは、土の世話より面倒なんでね」

たった一言。その言葉に、彼の揺るぎない決意が込められていた。彼は王国の繁栄にも、騎士団の栄誉にも、全く興味がないようだった。ただ、この辺境の村で、土を耕し、静かに日々を過ごしたいだけなのだ。

「そんな……! あなたのような男が、なぜそこまで『静けさ』に固執するの……? もったいない、いえ、勿体なさすぎるわ!」

セイラは、ジークのあまりにシンプルな返答に言葉を失った。これほどの力を持ちながら、なぜ王国に仕えることを拒むのか、理解できなかった。だが、彼女は諦めなかった。ジークのその「地味さ」の中に隠された、深い信念と、誰にも踏み込ませない聖域のようなものが、彼女には逆に魅力的に映っていた。彼は、自分の信念に嘘をつかない。それが、彼女がジークに惹かれる理由だった。

「……いいでしょう。ならば、私もここに滞在するわ。あなたが王都に戻る気になるまで、このセイラ=ヴァリアント、あなたから一歩たりとも離れない!」

セイラは、有無を言わせずそう宣言した。彼女は、王国の命により、ジークを王都に連れ戻す任務を帯びていた。彼が拒むなら、物理的に無理やり連れて行くことも可能だが、それでは彼の心まで縛ることになる。ならば、彼が自ら王都に戻る気になるまで、ここで監視するしか方法はない。この男の隣にいれば、きっと何か「面白いこと」が起こる。騎士の勘が、そう囁いていた。

こうして、王国騎士団副団長セイラは、辺境の小さな村、デルタに「住み着く」ことになった。彼女の存在は、再びジークの「静かな暮らし」を、微妙な形で揺るがし始めていた。


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