再会と告白未遂
辺境の村デルタは、王都の喧騒とはまるで別世界だった。土の匂いが常に微かに漂い、風が木々の葉を揺らす音、そして遠くで聞こえる小川のせせらぎが、この地の穏やかな日常を奏でていた。そんなデルタ村に、一人の旅人が訪れた。その旅人は、上質なローブを身につけ、顔はフードで深く隠されていたが、その立ち姿からはどこか高貴な雰囲気が漂っていた。彼女こそ、身分を隠した第一王女、リュミエルだった。
リュミエルは、村の入り口で一度立ち止まった。王都の石畳とは異なる、柔らかい土の感触が足裏に伝わる。彼女の心臓は、まるで初めての舞踏会に臨む少女のように高鳴っていた。ジークがこの村にいる。その確信が、彼女をここまで駆り立てたのだ。王都では、魔力で動く自動清掃機が埃一つない道を保ち、浮遊する馬車が空を駆け巡る。しかし、この村には、そうした機械の音はほとんど聞こえない。代わりに、人々の話し声や、家畜の鳴き声が、より生々しく、温かく響いていた。
村の奥へと進むと、畑で農作業に勤しむ男の姿が目に入った。日差しを浴び、額には汗が光っている。その背中を見間違えるはずがない。地味な服装。無駄のない動き。そして、その存在感の薄さ。
「……ジーク」
リュミエルは、思わずその名を口にした。声が震え、喉の奥が詰まる。彼女の視界が、一瞬、涙で滲んだ。
ジークは、振り返った。彼の瞳が、リュミエルを捉える。一瞬の驚きの後、彼の顔に浮かんだのは、いつもの穏やかな、だがどこか掴みどころのない微笑みだった。
「リュミエル……。どうしてここに?」
彼の声は、記憶の中と寸分違わず、静かで、そして少しだけ困惑しているように聞こえた。
再会した二人の間には、ぎこちない距離が横たわっていた。それは物理的な距離だけでなく、あの追放劇以来、二人の間にできてしまった心の溝のようなものだった。リュミエルは、何を話せばいいのか分からず、ただ視線を彷徨わせる。
「その……、その節は、本当に……」
言葉が喉に詰まる。あの時、何も言えなかった自分への後悔が、津波のように押し寄せてくる。彼女の脳裏には、王都の騎士団室で、ジークが静かに部屋を出ていく後ろ姿が鮮明に蘇っていた。あの時、彼女はただ見ていることしかできなかった。王女という立場が、彼女の口を塞ぎ、足を縛った。
「私が、もっと力があれば……。もっと、あなたを信じていれば……!」
リュミエルの声は、次第に嗚咽に変わっていった。彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、頬を伝う。風が、彼女の金色の髪を乱し、その悲しみをさらに深く見せた。
ジークは、そんなリュミエルをただ静かに見つめていた。彼の表情は変わらない。しかし、その瞳の奥には、どこか遠い光が宿っているように見えた。彼はゆっくりとリュミエルに近づき、彼女の肩にそっと手を置いた。その手は、農作業で少し荒れていたが、温かかった。
「君が悪いんじゃない」
ジークは、そう言って、優しく微笑んだ。その笑顔は、まるで春の陽だまりのように温かく、リュミエルの凍りついた心を少しだけ溶かしていくようだった。
「俺は、ただ静かに暮らしたかっただけだから」
彼の言葉は、リュミエルの心に深く突き刺さった。彼の追放は、彼の望みを叶える結果になっていた。皮肉なことに。
リュミエルは、ジークの言葉に、さらに涙が溢れた。彼が自分を責めていないことに、安堵と同時に、言いようのない切なさを感じた。彼女は、この場で、自分の本当の気持ちを伝えようと決意した。あの時、言えなかった言葉を。
「ジーク……私、あなたのことが……!」
彼女の唇から、告白の言葉がこぼれそうになった、その時だった。
「ジーク兄ちゃん! 今日の夕飯、キノコシチューにするから、例の光るキノコ採ってきてくれない?」
村の少女エナが、元気いっぱいの声で駆け寄ってきた。彼女の手には、使い古された木製の籠が握られている。エナは、リュミエルの存在に気づくことなく、ジークのズボンの裾を引っ張った。
リュミエルの言葉は、宙に消えた。彼女は、口をパクパクとさせながら、エナとジークのやり取りを呆然と見つめるしかなかった。ジークは、エナの頭を優しく撫でると、
「ああ、分かった。すぐ採ってくるよ」
と応じ、リュミエルに「また後で」とだけ告げて、そのまま森の奥へと向かってしまった。彼の背中は、あっという間に木々の影に溶け込み、まるで最初からそこにいなかったかのように見えた。
リュミエルは、その場に立ち尽くしたまま、エナの無邪気な笑顔と、ジークの消えた森の方向を交互に見た。告白は、完全に失敗した。彼女の心には、悔しさと、そして、ジークの「地味」な存在感に翻弄される自分への、複雑な感情が渦巻いていた。