エピソード 8
ー 大学一年夏 ヨウコ ー
カレンダーに目をやり、私はため息をついた。
一週間後にはバドミントンサークルの親睦会がある。私はそうした集まりが苦手だった。
二人は沈黙が怖い。三人は一人あぶれてしまう。四人以上になると、どのタイミングで話せばいいのか分からなくなってしまうのだった。
中学生の時、一緒の班で給食を食べていた男子が「イチカワって何で全然喋んないの?」と言った。
私は喋らないんじゃない。
私だって本当は、あの明るい女の子たちのように笑い合いながらおしゃべりしたい。だけど、声を出そうとすると喉の奥がキュッと詰まって声を発することができなかった。
苦い思い出がいつまでもあたまにこびりついて私を苦しめる。
ならばいっそ断ればいいのだが、私はそんな勇気すらなくただうだうだと当日を待つしかなかった。
「ヨウコちゃん?早いね!」
店の前に到着すると、すでにユウキ君が皆を待っていた。黒いTシャツにジーンズを控え目に腰パンすると言うスタイルで、細身の彼には良く似合っていた。
「ユウキ君。お待たせしてごめんなさい」
「いや、全然待ってない、今来たところだよ。ヨウコちゃんの方こそ早いね」
「私、いまだに渋谷に慣れなくて・・・迷子になりそうだから早めに来たの」
「ヨウコちゃん偉いなー」
そう言うとユウキ君は私の頭をポンポンと軽く二回叩いた。
私はあからさまに驚いた顔をしていただろう。そんなことをされたのは初めてのことだった。モテる人というのは、なんてことないようにやってのけるのだと妙に納得した。
そうこうしていると、少し先からカエデちゃんが小走りでやってくるのが見えた。
「ユウキくん。早いのね」
息を弾ませながらカエデちゃんはユウキ君の隣にぴったりと寄り添った。そして一瞬私を見る。
何でもういるのよ。
そう、瞳が言っていた。
店に入るとユウキ君は奥の席を私とカエデちゃんに勧めてくれたが、カエデちゃんが「ユウキ君のとなりがいい」と駄々をこね、ユウキ君、カエデちゃん、私の順に並んで残りのメンバーを待つことになった。居心地の悪さを感じつつ時計に目をやると、ちょうど集合時刻になったところで、見計らったようにオカベ君が入ってくる。「ごめんごめん」と言いながら私の向かいに座る。私は少しだけ安堵した。
コヤマ君とサトシ君が続いて入ってくると、ユウキ君の乾杯の音頭で会は始まった。
会話の中心はカエデちゃんのことが多く、彼女は時折高い声をあげて笑った。終始私には背を向けたままで、私は一層居心地の悪さを感じていた。ただでさえ会話に入ることが苦手なのに、壁を作られてはもうお手上げだった。
ユウキ君は気を遣って、時々私の方を覗き込んで話題を振ってくれた。気遣いは嬉しかったけれど、その度にカエデちゃんは会話を遮ってくる。
きっとカエデちゃんは私のことを嫌っているのだろう。
今までもたまにあった。
活発で、明るく、気の強い女の子が私を疎ましく思うことが。
鈍臭くて、大人しくて、自信無さげな私を見ていると苛々するのだろう。
私はカエデちゃんの背中に拒絶を感じながら、静かに時が過ぎるのを待った。
「イチカワさん。他に何か頼む?」
オカベ君がメニュー表を広げながら話しかてきた。
「どうしようかな・・。」
食欲を失った私は何を食べたらいいのか分からなくなっていて、でも何か話さなければと焦っていた。
「このチーズの揚げてあるやつ美味いんだよね。イチカワさんは嫌いな物とかないの?」
「・・セロリ?」
「あー俺も嫌い。癖あるよね」
オカベ君はにこにこ笑っている。
「イチカワさんは海行きたい?」
心の中で絶対行きたくないと思ったけれど、そうとも言えず「どうかなぁ」と言葉を濁した。
「・・あんまり得意じゃないかも」
「俺も。実はカナヅチ」
秘密を打ち明けるように少し小声で言うと、オカベ君はまた笑顔になった。きっと気をつかってくれたのだろう。
オカベ君はいつも優しい。穏やかで、いつもそっと気をつかってくれる。ユウキ君たちはカエデちゃんを中心に盛り上がっているのに、なんだか急に申し訳なさが込み上げてくる。
「イチカワさんは高校の時バド部だったの?」
「まさか。私、中高美術部だもの」
「そうなんだ。バドにはどうして?」
私は一瞬言葉に詰まった。トモミに誘われたことを話してもいいのだろうか。彼女は結局サークルには顔を出していない。悪口になってしまわないだろうか・・・
困った末に「トモミに誘われたの」と一言だけ答えた。
オカベ君は驚いた顔をしている。
「トモミ?トモミってサークルに来たことあったっけ?」
「初めの日に、用事ができちゃったみたいでそれっきり。なんか、トモミっぽいよね」
いつも人の目を伺っている私からしたら、そのマイペースさはトモミの魅力であるような気がした。
「・・・人のこと誘っといて、いいかげんな奴だよな」
「そんなこと・・」
トモミが誘ってくれなかったら、サークル活動をする勇気なんてなかった。私は感謝しているくらいなのに。そう言おうとした時、
「えーっ。トモミちゃんに誘われたの?」とカエデちゃんが急に会話に入ってきた。
「トモミちゃんも入ればよかったのにー。うち、女の子少ないじゃん?」そう言うと、カエデちゃんはすぐにユウキ君の方に向き直り同意を求めている。
「カエデちゃんとヨウコちゃんがいれば十分だよ」
ユウキ君は困った顔をしてそう言った。
「えー。女の子ともっとお喋りしたいのにつまんなーい」
私は責められているような気分になった。
あなたがいても楽しくないのよ。
そう、カエデちゃんの言葉からは棘を感じていた。
「カエデちゃん十分喋ってるよ。うるさいくらい」
「コヤマくん、ひどぉい。ねぇ、ユウキくん」
カエデは常に楽しそうだった。きっと私を傷つけていることなんて気付いていない。むしろ、そんなことには興味がないのだろう。私は心の中でため息をついた。
それから二時間ほど飲食をして会はお開きとなった。
ユウキ君は用事があると言い残し逃げるように帰っていった。男の子たちがカエデちゃんをなだめ、私たちは渋谷駅に向かって歩き始めた。
足元をフラフラさせながら、カエデちゃんは時折コヤマ君の話に楽しそうな笑い声を上げている。その様子に「カエデちゃん楽しそうだね」とサトシ君が言う。
「楽しそうっていうか、帰り大丈夫かな。」
オカベ君は心配そうな顔をしている。私は驚きとモヤモヤで胸がいっぱいになった。カエデちゃんは酔っ払ってなんかいないし、意識もはっきりしている。終始私にあんなに意地悪をしていたではないか。ただただ男の子といるのが楽しくて、ただただ心配して構って欲しくてああしているだけなのに。なんで分からないんだろう。
「イチカワさんは何線?」
急に声をかけられ、はっとした。私は醜い顔をしていなかっただろうか。不安になりつつも「田園都市線」とだけ短く答えた。オカベ君も田園都市線のようで「一緒に帰ろう」と言った。
ハチ公前に着くと、コヤマ君とカエデちゃんはJR線に、サトシ君は東急線、そして私とオカベ君は田園都市線に向かって散り散りになった。
田園都市線はいつも通りの混雑を見せていた。ホームで何の話をしていたかもう覚えていない。夏は便利だ。赤くなった頬を、夏の暑さのせいにできるから。
電車に乗り込むと、オカベ君は扉の前に立つ私を押し潰さないように気を遣って立っていた。
私たちは無言だった。
緊張と不安といろいろな感情が混ぜ合わさって、私はもうどうしたら良いのか分からなかった。
「遅くなちゃったけど、家まで大丈夫?送ろうか?」
私はどきどきした。女の子扱いされている。心配してくれている。それが嬉しくて、でもまさか送ってほしいなんて言えない。私は顔を上げて「ありがとう。でも、大丈夫。うち、駅から近いから」と言うのが精一杯だった。
何か話さなきゃと思ったけれど、私たちは無言のまま二子玉川駅についた。
「気を付けて」
「うん。オカベ君も」
短い挨拶を交わし私たちは分かれた。私はオカベ君が見えなくなるまで彼を見つめたかったけれど、それはできなかった。電車がゆっくり動き出す。もうオカベ君はホームにいないだろうか。私はうつむきながら紅潮した頬の熱が静まるのを待った。