エピソード 6
ー 大学一年四月 トモミ ー
私の故郷は山形県のある村だ。
冬は大量の雪が降って不便があるが、空気も食べ物も美味しい豊なところだ。
東京に来て水の不味さに驚いた。
電車の人の多さには辟易するし、人々の苛立ちが空気を伝って伝染していく。
でも、不思議と故郷に帰りたいとは思わなかった。私は人のペースに合わせて生きていることに疲れていたし、何より逃げたかった。
大学はつまらないところだった。
洗練された都会の子たちが集まる場所と上京前は心躍らせていたが、田舎者の私からみてもそんな雰囲気はなかった。
入学してから一週間。
いつの間にか周囲は仲の良さそうな人間同士固まっていて、楽しそうに談笑している。
もし私が中学生か高校生であったなら、出遅れたと焦っていただろう。
頬杖をついて周囲を観察していると、視線の先に一人静かに過ごす女の子の姿が見えた。私はその女の子の隣に移動した。
「ここの席、いいかな?」
女の子は一瞬ビクッとなってこちらを見た。
「ど、どうぞ・・」
机の上の教科書類を自分の方に寄せながら、私の方を見ずに女の子は言った。
「話すの初めてだよね。名前聞いてもいい?私、カワサキトモミ」
「・・イチカワヨウコです」
ヨウコは困惑したような顔をしている。あまり社交的なタイプではないのだろう。迷惑なのかなと思いもしたが、ヨウコに少し近づき話を続ける。
「大学どう?私まだクラスに馴染めてなくて。友達いないの。」
ヨウコはまだ困惑した顔をしている。
「わたしも・・・」
「ねえ。携帯持ってる?番号交換しない?」
「え?う、うん。」
私はノートの端に携帯番号と名前を書いてヨウコに差し出した。控えめなストラップが揺れるPHSを手に、ヨウコは番号を入力していく。すると私のPHSが一瞬光った。
「着信入れたよ」
「ありがとう。ヨウコって呼んでもいい?」
「え?う、うん。もちろん。」
ヨウコは一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
「私のこともトモミって呼んでね」
「トモミちゃん」
「トモミでいいよ」
ヨウコはまた困惑した顔をしていた。
講義が終わり外に出ると、中庭は賑やかなん雰囲気に包まれていた。大きな看板やチラシを持った学生で溢れかえり、ところ狭しとサークルの勧誘活動が行われている。
「ねぇねぇ!バドミントンサークル興味ない?」
私とヨウコの前に爽やかそうな青年が立ちはだかる。横を見ると、ヨウコはまた困惑した顔をしている。
私たちが返事をするよりも前に、チラシを差し出して青年は言う。
「体を動かすっていいよ。一度見学に来ない?」
ラケットの絵が描かれた小さな紙。目を通す私に好感触だと思ったのか、青年は活動場所や時間などを説明してくる。
「たまには体動かすのも悪くないかも」
私の言葉に青年の顔がほころぶ。
バドミントンなんて全く興味がなかった。
けれど、運動習慣もなかったし、大学生らしいことをしてもいいのかもと気まぐれをおこしていた。
「ね、じゃあ決まり。これ仮入部届なんだけど名前だけ書いてよ。」
私はその紙に名前と携帯番号を書いていく。「ヨウコも行こうよ」そう言うと、彼女は困惑した顔をしながら頷いた。
「初回は来週の水曜日だから」
青年はまた笑顔を見せて、もう他の人に声をかけに行ってしまった。
ー 今日来ないの?
ヨウコから短いメールが入る。一週間が経ち、今日はバドミントンサークルの見学の日だった。
ー ごめん。今日、行けなくなった。
ー そうなんだ。了解です。
ヨウコは理由を聞いてくることはなかった。
そもそも理由なんてない。
私は煙草を一本吸うと、バスルームに向かった。