エピソード 5
僕たちは正門を出ると渋谷駅に向かって歩き出した。
トモミは僕の少し前を歩く。大学の周りは渋谷とは思えない静けさだ。昼前のせいか学生の姿も見当たらず、すれ違うこともない。閑静な住宅街を抜け大通りに出ると、街の雰囲気は一気に変わる。もう十分も歩けばセンター街や道玄坂に出るが、僕はそこには近づかない。焦茶色の顔をしたルーズソックスの女の子と、髪の長い男がウロウロしているし、なんだか場違いな気がして落ち着かない。
「私、渋谷って好きじゃない」
黙っていたトモミが急に話始める。
「え?」
「子どもの街って感じだよね」
センター街で遊ぶ子たちと僕らは同年代の気もするが、この落ち着きのない街が好きじゃないのは僕も一緒だった。
「でもさ、大学の周りは好きなんだ。静かで。」
「だったら、もっと大学に来ればいいじゃないか」
借りたノートも返さないで、テストすら受けにこないなんて、なんで大学生をやってるんだと言いたくなる。
「だって、つまんないんだもの」
何当たり前なこと聞いてんの。とでも言いたげな顔だ。
僕らは宮益坂にある和食屋に入った。自動ドアが開いた瞬間、濃い出汁の香りが鼻をついてくる。昼時なのものあって、お店は賑わいを見せている。ここの店はワンコインからメニューがあって、金のない大学生にはありがたい存在だった。
「じゃぁ、私はチキン定食にする」
トモミは早々にメニューを決めてしまい、手を挙げて店員を呼んだ。僕は急いでメニュー表をめくる。呼ばれた店員が、早くしろという目で僕を見る。
「じゃぁ、同じので、、。」
僕は仕方なくそう言った。
「カワサキさんさ、マイペース過ぎない?」
向かい合うトモミを改めてみると、なかなかの美人のような気がした。小柄で、色が白くて、胸もある。思えば女の子と二人で食事するのは初めてなわけで、なんだか少し緊張してしまう。
「マイペースってどういう意味?」
「いや、なんか俺、振り回されてる気がするんだけど」
「・・そう?でも、断らなかったんだから大丈夫ってことじゃないの?」
トモミは腕組みをして、僕を覗き込んでくる。じっと見つめられると、なんだか居心地が悪い気がしてくる。
「ねぇ」
「なに」
「カワサキさんって言うのやめない?トモミでいいよ」
僕の頭にはイチカワさんが一瞬チラついた。
「一気に距離を縮めてくるね」
「別に気があるわけじゃないよ」
「・・・わかってるよ」
からかわれてるのか何なのか。トモミといるとずっと彼女のペースになりそうな気がする。
「なんだか大学戻るのめんどくさいなー。三限休もうかな」
「行きなよ。留年するよ」
昼飯だけ食べて家に帰るなんてわけわからな過ぎだろ。
「ねえ。タクミ君さ、彼女いるの?」
唐突な質問に僕はたじろいだ。
「・・・いないよ」
「じゃぁ、彼女いたことはある?」
僕はコンプレックスを刺激されたような気がして言葉に詰まりそうになった。だけどここで誤魔化したところで嘘はバレるだろうし、素直に答えることにした。
「俺、男子校だったんだ。・・いたことないよ」
男子校だと初めに言ったのは、決してモテないからなわけではないという見栄があった。その見栄もなんだか恥ずかしい気がしたが、僕はそう答えるしかなかった。
「そうなんだ。じゃぁ、私と一緒だ」
トモミはなんてことないように言った。
「え・・。」
「私ね、恋人、いたことないの。周りの友達はそんな子少なくて」
こんな自由に自分のペースで生きているのに、奥手なのは意外な気がした。外見だって悪くない。
「お付き合いしてみたい。好きな人と」
僕はなんて返事をすれば良いのかわからなかった。
「僕も彼女欲しいんだよね」なんて返すのも変な気がする。
「あのさ、これ昼間の定食屋でする話?」
「じゃぁいつだったらいいの。夜の居酒屋?」
トモミは不服そうな顔をして言った。
「まぁ、少なくとも、その方が合うだろうね」
「私、夜にタクミ君とデートしたくないんだけど」
こっちだってお断りだと思ったけれど、口には出さなかった。僕だってそんなにデリカシーのない男じゃない。
そうしているうちに、熱々のチキン定食が運ばれてきた。
「さあ、召し上がれ」
トモミはそう言うと、白米を頬張った。独特な箸の持ち方をしながら、器用に白米ばかりを口に運んでいく。つゆに浸かったチキンは、口の中が火傷するほどに熱い。
「あつ・・」
僕がそう言うと、トモミは一瞬不思議そうな顔をして、にこりと笑った。
本当に変な女の子と関わってしまった。僕はトモミに対して何回そう思っただろう。