エピソード 10
ー 大学一年 夏の終わり ー
「あーあ。暇だよなぁ。遊びに行く金もねえしよ」そう言って、カワベはベットに横になりながら大きなあくびをする。
池尻大橋のコヤマが一人暮らしをするマンションで、僕らはいつものように酒を片手に暇を潰していた。カワベは埼玉で実家暮らしだし、僕の家は二子玉川から遠い。必然的にコヤマの家が集合場所になっていた。アルバイトもせずに渋谷から一駅のワンルームに住めるなんて、コヤマ家の経済力は相当なものだろう。
男の一人暮らしにしては部屋は綺麗に整えられていて、本棚に収まりきらない本だけが、山積みになって雪崩を起こしそうになっている。
コヤマはカワベが飲み干した缶を拾うと、潰してゴミ袋に放り込んでいく。そして「お前単位落としてんだから、ちょっとは反省して本でも読めよ」と言うと、呆れた表情を見せた。
「そういえば、この前大丈夫だった?」
「大丈夫ってなにが」
「ほら、カエデちゃん潰れてたじゃん?」
僕の言葉にコヤマは一瞬間をおいて「ああ」と答えた。
「カエデちゃんって同じクラスの?なんだぁコヤマなんかあったかぁ」
女絡みの話題が大好きなカワベは下衆な顔をしている。
「別になんもねぇよ。まぁ、寝たけど」
僕は驚いてコヤマを見た。カワベは急にテンションが高くなって「詳しく教えろ」と問い詰めている。
どうしてそんなことになるんだ。カエデはユウキのことが好きだし、あんなに酔っ払っててまさか無理矢理・・
「別に話すようなことなんてないよ。カエデが誘ってきたからのっただけ」
コヤマはつまらなそうに言う。
「ずるいよなぁ。まぁまぁ顔可愛いし、胸も大きいしよ。付き合うのか」
カワベは心底羨ましそうだ。何度かクラスの女の子に携帯の番号を聞いたり、デートに誘ったりしているようだったが、何の進展もない。カワベはいわゆるモテない男なわけで、だからといって僕にも浮いた話は一切なくて、そんな僕らからしたらコヤマの話は衝撃的だった。
「なんでそんなことになるのか、ちょっとわからないんだけど」
「別に、男好きの女が誘ってきただけの話だよ。俺ああいう女好きじゃないけど、くれるって言うなら貰うさ。それだけの話。タクミだって、狙ってる女じゃなくったって、チャンスがあればするだろう?」
「いや・・どうだろ・・」
彼女は欲しいけれど、誰でもいいってわけじゃない。確かに僕には女の子と寝るなんてチャンスはないわけで、モテない男の僻みなのかもしれないけれど。
「そういえばさ、最近イチカワさんと仲良いじゃん。どうなの、タクミ」
「えっ・・イチカワさん?」
思ってもみなかった名前に、僕は少し戸惑う。
「イチカワってあの大人しそうな?俺、無理。つまんなそ」
カワベの言葉に僕は少しむっとする。勝手に名前を出されて、イチカワさんだってカワベなんか嫌だろうにいい迷惑だ。
僕が反論するよりも前に「俺はああいう子嫌いじゃ無いけどね。」とコヤマが言った。
「そんなこと言ったって、コヤマだって付き合わないだろ?」
「向こうが俺のことを好きにならないだけさ。誠実な人間は誠実な人間を好むからね。だからお前や俺みたいなのは対象外」
「いや、俺誠実よ。彼女できたら一筋だし」とカワベは心外そうだ。
僕は話題を変えたくて席を立った。冷蔵庫を開けると、あんなにあった飲み物が空になっている。
「冷蔵庫空だから俺コンビニ行ってくるわ」
「じゃあ、俺レモンサワーね」
カワベは変わらずベッドに寝転びながら手を振ってくる。僕は「はいはい」と答えて扉を閉めた。
コンビニに向かいながら、ふと田園都市線で向かい合ったイチカワさんを思い出す。彼女は優しくて良い子だけど、女性として意識したことはなかった。けれど満員電車で至近距で見る彼女は、線が細くて小柄で思いの外可愛くて。僕はドキドキしたけれど、イチカワさんはずっと俯いたままだった。気の利いた話もできない僕といても、きっと楽しくなかったのだろう。
大学に行ったらいつの間にか彼女ができているだろうと思っていたが、案外そんなこともなくて、この夏も男だけで過ごして終わろうとしている。まぁ、それはそれで悪く無いんだけど。
PHSが鳴る。
「タクミー。柿ピーも買ってきて」
「おい、金払うんだろうな」
カワベは返事をせずに電話を切った。
「ったく、仕方ねぇなー」僕は小さく独り言を言うと、PHSをポケットに突っ込んだ。




