第五話 「仮面はこのときもう既に」
母親が家を出てから一度もあっていなかった訳では無い。
母親だって今までの職場をトぶ訳にはいかないし、東京に来てできた友人もいる。実家に帰ってからの職を探す必要もあった。そういった準備期間だったのだろう。当時は考えもしていなかったが。
曖昧な記憶だが期間にしておよそ1週間から1、2ヶ月程度だったと思う。母親が家を出てから僕達が引っ越すまでの期間とほぼ同じだった気がする。
兎にも角にも、僕にとっては母親とまた会える。それだけで何かが満たされていたんだ。
住んでた家のすぐ近くのボロアパートの一室、そこを母親は仮住まいとしていた。週に1度程度の頻度で顔を出していたと思う。その都度学校生活はどう、とか友達はどう、とか他愛のない会話をしていたのを覚えている。
そんな時、母親が複雑そうで、それでいてどうしても言いたくてしょうがないって顔で口にした。
「空は…、父ちゃんと母ちゃん、どっちと一緒がいい?どっちと暮らしたい?」
何を言ってるんだこの人は
と考えると同時に口は勝手に
「母ちゃんと一緒がいい」
と答えていた。
この時にはもう既に、僕は『仮面』を被っていた。
内面ではトラウマになりつつある母親のあの姿、忘れもしない恐怖心、喪失心。それと同時に溢れ出る生まれてほぼ全ての時間を共に過した母親との記憶。
僕は選んだのだと思う。
今までの僕ならこう答える。内面では拭いきれない大きなシミを抱えつつもそう考えるべきだと考えたのだろうか。
それとも、ただ母親を欲するがために自然と口から転げ落ちたのだろうか。
答えは前者、今までの僕なら母親の前でこう答える。僕は瞬時にその答えにたどり着き、応えたのだろう。
母親は安堵の表情を浮かべていた。
「良かった」「今度は正解だ」「間違えなかった」
そんな考えが頭をよぎった。と同時に、またしても僕の内面ではあの時の母親の姿が脳裏にゆらぐ。忘れもしない恐怖心、喪失心。
まったくもって、ブレブレだ。僕の心はいつも揺れている。『仮面』を被った僕はすぐに『応え』にたどり着いた。しかし『内面』の僕はいつも『答え』にたどり着けない。
今思うと、この時には既に『仮面』は外せなくなっていたんだ。