第41話 ドロイドの谷 ④桜編4
回復薬を飲んだ二人のHPとMPは、悠人がHP 1/112、MP 58/58。桜がHP 91/91、MP 161/161だった。スキル『死してのち已む』の状態を維持した悠人に、完全回復した桜。体勢は万全。
悠人が桜に向かって手のひらを向ける。上を向いた五本の指。それが、一本ずつ折り曲げられる。指が残り一本になったとき、悠人は木の陰から飛び出した。
モンスターの視線が悠人を捉える。
だが、木の陰を縫って走る悠人に、あの重さが加えられることはなかった。
悠人は心の中で、ほっと安堵の息を漏らした。
やはり、桜が言っていた重力を強くする能力は、対象を数秒間、捉えていないと発動できないみたいだ。この能力は空間に重さを加えるのではなく、指定した物体を中心に重さを加えられる範囲を自在に決められる、という能力なのだろう。このまま、木を盾にして動き続ければ、重力を与えられることもないはずだ。
あのモンスターはこの能力をうまく使って、桜の『シャイン』に一回で重力を加えた。このことから、あのモンスターが非常に賢いことがうかがえる。
俺のHPは1。この勝負、一度でも重力をくらえば、俺の負けだ。木の枝は、俺が食らう瞬間に攻撃の意思をもてれば、『ちから』の数値が反映され、ダメージを回避できる可能性がある。だが、重力はそうもいかない。重力に攻撃するイメージなど全く湧いてこないからだ。つまりこの勝負の肝は、俺がモンスターを斬るか、モンスターの重力が俺を捉えるか、どちらが先に、相手にこれらの攻撃をたたき込めるかにかかっている。
軽やかに木々の間を走り抜ける悠人。その動きは止まることがないように思えた。だが、次の瞬間、悠人の体は逆さまになり、ぶら下げられるように宙に浮いた。悠人の足首には、一本の木の枝が巻き付いていた。
剣を抜き、落ち着いて木の枝を切る悠人。体を回転させ、着地する。同時に、複数の木の枝が四方から襲いかかってきた。悠人は剣を振り、木の枝を撃退しながら、またも走り出した。
やはりきたか。
桜が言っていた、木の枝を操る能力。
距離をとっている今、この能力はあまり警戒しなくてもいいと思っていたが……。
悠人はあたりを確認するように首を振った。
おかしい。俺に重力が加わっていないことを考えると、あのモンスターは俺をしっかりと目視できていないはず。それなのに、この複数の木の枝は迷わず俺を追いかけてくる。あのモンスターは、どうやって俺の位置を正確に把握しているんだ?
ちらりとモンスターを見る。モンスターは依然、ひらけた中央に、荘厳と佇んでいた。目は合ったが、やはり、前後左右、自在に動く俺の位置を把握しているとは、到底思えなかった。
木の枝は何度切っても再生し、追いかけてくる。
出所はもちろん、あのモンスターから。
やはり、あのモンスターを倒さないかぎり、このループからは抜け出せない。
悠人はアイテム欄から、一本のナイフを出現させた。太陽の光を受け、キラリと輝くナイフ。悠人はそのナイフを、モンスターに向かって投げつけた。
飛んでくるナイフを認識し、かっと目を見開くモンスター。ナイフが地面にめり込む。悠人はその間に、全速力で森を駆けた。モンスターの視線がナイフに釘付けだった今、この瞬間が、木の枝から逃れられる絶好のチャンスだと考えて。
だが、それは誤算に終わった。木の枝は変わらず悠人を追い続けた。そして、全速力の悠人に引き離されても、全ての木の枝を同時に切っても、時間が経てば、また、木の枝は悠人を見つけ、追いかけてきた。
やはり、おかしい。
悠人は少しずつ上がる息に危機感を感じながら、モンスターを見た。
どこを走っても逃れられず、いつ見てもあのモンスターは俺に背後を見せない。やはり、あのモンスターは俺の位置を正確に把握している。
もう一度モンスターを見る。そのとき、悠人はモンスターにある違和感を感じた。そして、この謎の答えに辿り着いた。
「そういうことか」
次の瞬間、木の枝の一本が、悠人の足を捉えた。続々と悠人を縛り上げ始める木の枝。悠人は一瞬で両手両足を拘束された。
「弱いな」
悠人が右腕に力を込める。みちみちと音をたてる枝。次の瞬間、右腕を縛り上げていた枝が、激しくちぎれ飛んだ。剣を振り、残りの枝からも抜け出す悠人。そしてすぐに、悠人はナイフを出現させ、木の上にとまっていた一羽の鳥に向かって投げつけた。ナイフが刺さり、霧散する鳥。同時に、木の枝の動きが止まった。
さっと木の陰に入り、慎重にモンスターを見る。
短くなったモンスターの角から、一羽の鳥が飛び立っていく姿が見えた。
あのモンスターは自分の角を鳥に変え、視界を増やしていた。
今までの謎が解け、悠人は先ほどたてた作戦が成功することを確信した。
やるなら、モンスターが俺を見失った今だ。
悠人は動き始めた。
ーーーーーーーーーー
人間を見失ったモンスターは、慌てて見失った場所に鳥を飛ばした。
くそっ。片方の角を切り落とされたせいで、自分の分身が作れなくなってしまったのは、大きな誤算だった。木の枝であの人間を倒せないとなると、近づいて押し潰すしかないが、それはあまりに危険な行為。あの人間には、わたしを一瞬で殺せる力がある。できるだけ、近づきたくはない。もし分身を作り出せたのなら、その分身を近づけて押し潰せたのだが……。
鳥から伝わってくる視界に、あの人間はいなかった。
もう一人の人間は、ずっと自分の周りに半透明の壁を生みだし、立てこもっている。こいつは壁を解除したなら、その瞬間に枝で殺せるし、球も依然、私が支配しているから怖くない。こいつのことは、もう気にしなくてもいいだろう。
問題は、あの人間だ。
モンスターは更に、角から鳥を生みだした。
鳥が殺されれば、その分の角はもう元に戻らない。一羽の鳥が殺された今、角を鳥に変える行為は角を失うリスクの方が大きくなっている。ここまで大きくした角。同じ大きさになるには、どれほどの年月がかかるだろうか。想像しただけで、気持ちが沈んでいく。
だが、それを踏まえても、私は鳥を生みだし、あの人間を見つけなければならない。あの人間が私の角を切り落としたとき、人間はいきなり私の前に姿を現した。あの時はなんとかかわせたが、もう一度はないと考えた方がいい。本当なら、この攻撃をされないために、一度もあの人間を見失い訳にはいかなかったのだ。
首を振り、人間を探す。
当然ながら、人間は見つけられない。
そのとき、自身の真上に飛ばした鳥から、私の背後から何かが飛んでくる映像が見えた。急いで振り返り、そのものに重さを加える。それは、先ほどあの人間が飛ばしてきた物と同じ物だった。
続けざまに四方から飛んでくる物体。
数が多い。モンスターは自身の周りに、木の枝で作った壁を展開した。壁が物体を受け止める。しかし、次の瞬間、このタイミングを見計らったかのように、人間が木陰から飛び出してきた。
やはりくるか。上空の鳥の視界で見えてはいるが、目視できていないので、この状況では重さを加えられない。この人間は、それを分かったうえで仕掛けてきている。
モンスターは盾にした木の枝をほどき、人間に向けて放った。簡単に切り抜け、近づいてくる人間。だが、盾にしていた木の枝を攻撃に使ったことで、盾は少しずつ小さくなっていき、モンスターの視界もひらけていった。
このままいけば、私の視界に人間が入り、重さを加えられる。
それはこの人間も分かっているはず。
さて、どうくる?
モンスターの視界がひらけた。
だが、そこに、人間はいなかった。
モンスターは勝利を確信した。
見えていないものに重さは加えられない。
これなら、たしかに人間に直接重さを加えられないだろう。
だが、人間は存在そのものが消えたわけじゃない。
跳ねあがる砂が、人間の存在を私に教えてくれている。
上空から呼び寄せた一羽の鳥。
空間そのものにも、私は重さを加えられない。しかし、この鳥を中心に広く重さを加えれば、範囲内のもの全てに重さを加えられる。間接的に、あの人間にも重さを加えられる。
お前の敗因は、一度見せた力に頼ったことだ。
潔く死ね。
モンスターは目の前の鳥に、重さを加えた。
今までで一番強い重さ。
鳥が地面にめり込み、消失した。
勝った! 私の勝利だ!!
「それで勝ったと思っているのか?」
どこからか聞こえてくる人間の声。
私の目の前に、突如、人間が姿を現した。
やはり、私の予想通りだ。
お前は私の重さの範囲内にいる。
さぁ、早く地面に這いつくばれ!
そして、無様に命乞いをしろ!
醜い表情で泣き叫べ!!
その姿を堪能した後、ゆっくり、じっくり、早く殺してくれと頼みたくなるような、最高の死を迎えさせてやる。
さぁ、早く!
早く私に見せてくれ!!
だが、人間は一向に地面にめり込まなかった。
逆に人間は、何事もないかのように、まっすぐ私に向かって走ってきた。
なぜだ?
なぜ、地面に這いつくばらない??
こんなの、おかしい……
「お前の敗因は、角を切られたことでも、俺を見失ったことでもない。
桜を侮ったことだ」
まさか……。
そんなことが、ありえるのか?
いつの間にか、半透明の壁と木の枝に囲まれていたはずの人間が、私と剣を持った人間を奥の茂みから見ていた。その人間は、剣を持った人間に向けて、両手を前に出していた。
まさか、あの人間。
私の力と逆の力をこの人間に加えて、重さを相殺……
ふざけるな!!
お前が!! お前ごときが!!!
この私の力を!!!!
「ブューン!!!」
ぐるりと回る視界。
モンスターの首が、地面に落ちる。
悠人は血をはらい、剣を鞘におさめた。




