第4話 死闘
「……ははっ」
乾いた笑みがこぼれる。
これは報いだ。海斗をだました報いなんだ。
森の奥深く、一人取り残された俺は、その場から動けなかった。
いや、動こうとしなかった。どうせこのまま街へ帰っても、お金がないから宿屋には泊まれない。なにより俺は平民だ。平民の俺に、いったい何ができる?
意気消沈する悠人を気にもとめず、森は不気味に蠢く。
いつモンスターが飛び出してきてもおかしくないこの状況に、悠人は背中に冷や汗が伝うのを感じた。どれだけ投げやりになっても、やはり死ぬのは怖かった。震える自分の手を見ながら、悠人は苦笑した。
こんな未来のない状況で、一度死んだことがあるくせに、なに死ぬことにびびってるんだ。ほんと、どうしようもないな。
「……ふぅ」
息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
まずはこのステータスをどうにかしよう。
「HPにポイント5」
ステータスのHPが50を表示した。
ちゃんとHPも上げられるのか。
これならMPも上げられそうだが、現状スキルを一つも持っていない俺が上げても意味がない。ここは『ちから』に振っておこう。
「ちからにポイント25」
ちからが38になった。
出会った頃の海斗は【ちから】が21だったから、森の入り口にいるモンスターとなら、これで充分戦えるだろう。残りは均等に分けておくか。
ヤマナカユウト
職業 平民
レベル 13
HP 50
MP 10
ちから 43
かしこさ 13
みのまもり 13
すばやさ 13
かっこよさ 13
スキル なし
『レベルアップポイント 20』
とりあえず、今はこれでいいだろう。
早くこの森を出なければ。
海斗たちが進んでいった方向を見る。
先ほどまではただの森だと思っていたが、今は違った。
暗く不気味なオーラを放つそこは、踏みこめば生きて帰ってこれない、そう確信させる何かがあった。あらためて、自分とあの三人の違いを自覚した。
あいつらは正真正銘の勇者だ。だが、俺は……。
後ろ向きになる気持ちをなんとか奮い立たせ、来た道を戻ろうと振り返る。
だが、この世界はそう甘くはなかった。
「グルルルルッ!」
道中、何度も見たオオカミが、悠人の前に立ちはだかる。
白い毛皮に赤い瞳。機動力のある足と鋭い爪で、奇襲をかけてくるモンスター。このオオカミは、まるで仲間の仇を見るかのような目で、悠人を睨みつけていた。
「お前の仲間を倒したのは、俺じゃないんだが……」
悠人の言葉などオオカミに伝わるはずもなく、オオカミは一歩、悠人との距離を詰めてくる。先ほどの仁と朱音の戦闘シーンを思い出す。俺は、仁と朱音がこいつを瞬殺していく姿を何度も見た。見たはずなのに。
「あいつら、どうやってこいつを倒したんだよ」
隙のない姿勢。
鋭い眼光に、思わず足が震えた。
オオカミは悠人の臆病な心を見抜いたのか、更に一歩、二歩、距離を詰めてくる。
「いいぜ、やってやるよ」
悠人は腰にかけた木刀を抜き、構えた。
数秒の静寂が、異様に長く感じた。
先に動いたのはオオカミだった。
悠人とオオカミの距離が、一瞬で縮まる。悠人は急いで、木刀を振り下ろした。ひらりとかわすオオカミ。悠人とオオカミの立ち位置が、逆転する。悠人は急いで体を反転させ、オオカミを視界に収めようと動いた。だが、すでにその行動は一手遅かった。悠人の目にオオカミが映ったとき、オオカミは鋭い牙をギラリと輝かせ、攻撃をしかけていた。悠人は考える暇もなく、咄嗟に左手を前に出した。
「あぁっ!!」
牙が肉に食い込んだ。
骨が砕けるような感覚が、痛みとともに脳を駆け巡った。
涙で視界がぼやける。それでも変わらず、オオカミの赤い目と視線は重なった。
怖かった。今すぐに逃げ出したかった。なんで俺がこんな目に。どうしようもない考えばかりが、頭に浮かんでは消えた。それでも、ただ一つ、死にたくないという一点だけは、悠人の心の中で激しく燃えさかっていた。
悠人は残った気力の全てを右手に込め、木刀を振った。
鋭い殴打が、オオカミの腹を捉える。
「キャン!」と声をあげ、悠人の腕から離れるオオカミ。
悠人はすぐさま、オオカミと距離をとった。
HPのゲージはすでに半分以下で、8/50と表記されていた。
視界に映るHPバーと、肌を突き刺す緊張感が架空と現実をごちゃ混ぜにし、悠人のまともな思考を奪っていく。ゲームのようで、ゲームでない本当の命の取り合い。死を目前に恐怖を感じながらも、悠人の心の奥からは、謎の高揚感が次々と湧き上がっていた。みなぎる闘志。体勢を立てなおしたオオカミの殺気が、さらに悠人の心を震わせる。
悠人は自然に木刀を構えていた。
頭が、雲一つない晴天のように、冴えわたる。
「【すばやさ】にポイント20」
小さく呟く。体が少し軽くなるのを感じた。
チャンスは一回。まだオオカミが、このあがった【すばやさ】を見ていないうちに攻撃をたたき込み、仕留める。
悠人は慎重に、オオカミとの距離を詰めていった。
音を立てず、少しずつ。一歩で、オオカミに木刀が届く距離まで。
オオカミは、先ほどのように無闇に動くことができなかった。びくびくと怯えていた目の前の人間が、いつの間にか、狩りをするものの目になっていたからだ。こういう相手は、格下でも油断するとこちらがやられる。長年、この森で生き抜いてきたオオカミの本能が、警告を鳴らしていた。だが、油断しなければ負けないのも事実。今度は絶対に離さない。オオカミは静かに、心の内で牙を研いだ。
いつの間にか、悠人とオオカミの距離はぐっと近づいていた。
お互いの必殺のテリトリーに入った両者は、息を忘れるほどの緊張感の中、目の前の相手を倒すことだけを考えていた。風に運ばれ宙でダンスを踊っていた木の葉が、地面に落ちたとき、それは起こった。
両者が同時に仕掛けた。
鋭い牙を覗かせるオオカミ。木刀を振る悠人。タイミングは同時。だが、ほんの少し、直前で【すばやさ】を上げた悠人の木刀が、オオカミの牙よりも先に、相手を捉えた。なすすべもなく吹き飛ぶオオカミ。牙は折れ、木に激突する。オオカミは、そのままぐったりと地面に伏し、動かなくなった。
悠人の額から流れ出た汗が、地面に落ちる。
張り詰めた緊張感から解放された悠人は、その場で一人、静かに拳を握りしめた。
「よし!!」
格上の討伐。スライム以外のモンスターを、初めて一人で倒した。
達成感と高揚感が、脳から溢れ出る。これが、命の取り合い。元いた世界では、味わえなかった感覚。やったんだ。俺はやったんだ!
「ガウッ!!」
感動に浸っていたのも束の間、動かなくなったはずのオオカミがこちらに向かって駆けだしてくる姿が見えた。どうやら、まだ死んでいなかったらしい。決死の攻撃。悠人はその迫力に、思わず尻もちをついてしまった。
「うわぁ!?」
完全に油断していた悠人は、情けない声をあげ、衝動のままに木刀を放り投げた。ヒュンヒュンと音を立て、回転しながら飛んでいく木刀。オオカミも木刀が飛んでくるとは思いもしなかったのだろう。かわすことなく眉間で受け止め、力なくその場に倒れた。
数秒後、オオカミの姿が跡形もなく消えた。
今度こそ、ちゃんと倒せたのだろうか?
オオカミの元いた場所へ行き、確認する。そこには、骨や肉、血でさえオオカミの存在を表すものは何もなかった。そういえば、仁と朱音が倒したときも、同じように全てが消えていた。俺は大きく息を吐き、急いで立ち上がった。
油断した。もう少しで死ぬところだった。
こんな命のやりとりが、一生続くのか。
「これが、俺の異世界生活か……」
前途多難な未来に希望と絶望を抱きながら、悠人は森の出口に向かって、足を動かした。