第37話 ドロイドの谷 ③レジーナ編
レジーナはドロイドの谷の斜面をくだり、底についた。
ひしひしと感じるプレッシャー。ここは違う。直感を頼りに、斜面と底の境目を走り続ける。馬車が爆発したとき、底に落ちたのはエルとサクラの二人。ドロイドの谷のモンスターならば、自分のテリトリーに侵入者が現れればただちに殺しにかかるだろう。その時、意識は少なからず侵入者へと向かう。つまり、エルとサクラがいる場所は、プレッシャーが他より弱い場所。今、アタシがすべきことは、特にプレッシャーの弱い場所に侵入し、エルを救出すること。
境目を走り始めてから十分。
レジーナは目的の場所を見つけた。
ここだ!
レジーナはドロイドの谷の底、モンスターのテリトリー内へと侵入した。
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パチパチと何かがはじける音。
暖かい。目を開ける。手をつき体を起き上がらせる。ふらつく体。目眩がする。腹にかけられた毛布。よく見ると、体にかかっている部分が真っ赤に染まっていた。これは血だ。私の血だ。
「やっと起きた?」
なじみのある声。思わず顔を向ける。
そこには、干し肉を食らうレジーナがいた。
エルの脳内に鮮明に蘇る記憶。
体から出ていた血は、完全に止まっていた。
「……お前だったのか」
ジャギッドリザードを倒した直後に揺れた茂み。
あれは、レジーナが揺らしたものだったようだ。
「なに? なんのこと??」
「……いや、なんでもない」
「……そう」
たき火の爆ぜる音が響く。暖かい光があたりを照らしているはずなのに、二人の間には、凍えるような空気が流れていた。お互い一言も喋らない。目すら合うことがない。
エルは近くにあったカバンを手にとった。中には非常食が少々と替えの服が二着、小型ナイフや縄などの小道具、そして魔力回復薬の入った瓶が二つ入っていた。瓶を二本取りだし、中の液体を飲み干す。ぐちゃぐちゃにすりつぶした生の幼虫を飲みこむ感覚。全身に鳥肌がたった。だがすぐに、魔力が体内に行き渡るのを感じた。手の先まで満たされた魔力。エルはそれを実感すると、上着を脱ぎ、自分の胸に手を当てた。
「『ヒール』」
少し固まっていた血がぼろぼろと崩れ、傷が塞がっていく。軽い痛みはすぐに終わり、エルの体から傷は全て取り除かれた。それを確認したエルは、カバンから新たな服を取りだし、下から首を通した。
「傷は治った?」
レジーナと目が合った。
何度も見たレジーナのこの顔。呆れたような、同情するような、まるで子どもを見ているかのような表情。レジーナがこの表情を浮かべるときは、私が何かミスをしているとき。こういうとき、私はミリオムさんを思い浮かべる。ミリオムさんならどんな行動をするか、ミリオムさんならどんな言葉をかけるか……。
「ああ、治った。
レジーナのおかげだ。
ありがとう」
レジーナがにっこりと笑った。
「どういたしまして」
よかった。正解のようだ。
「またミリオムさんを思い浮かべたでしょ。
これくらいはすぐに言えるようになりなよ」
ばれていたか。やはり、レジーナの感覚は鋭いな。
「さっ、早く作戦会議といきましょ!
依頼を優先するか、仲間を優先するか。
最悪の時間の始まりよ」
微笑むレジーナ。
だが、彼女から漂っていたのは、紛れもなく悲壮感だった。
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何度やってもなれないこの作戦会議。
レジーナは珍しく、大きな溜息を吐いた。
「私の見解だが、サクラはもう死んでいるだろう。
助けるならハルトだ。彼はまだ役に立つ」
「そうね。アタシも同意見」
面を食らったようにアタシを見るエル。
「どうしたの?」とアタシが訊くと、エルは「いや、少し意外だっただけだ」と答えた。
「お前はサクラを助けにいこう、と言うと思っていた。
回復魔法が使えるだけでサクラには価値がある。助けにいく理由には充分だ」
「でも、アタシたちにはすべきことが二つある、でしょ?」
「……ああ、そうだな。
一つ、今の私たちには水がない。水の確保が私たちの最優先事項だ。
もう一つ、それは馬の護衛。馬を連れて歩き回れるほど、この谷は甘くない。本来なら一刻も早く、私たちは馬を連れてこの谷から抜け出すべきだ。
だが、それらを考えた上でも、ハルトとサクラがもつ異次元のアイテムボックスは捨て置けない。これはなんとしてでも欲しい。それに、アイテムボックスには大量の水をいれてある。ハルトかサクラを救出できれば、水の問題は解決できる」
「そうね。やっぱりそれを考えれば、優先すべきは生きている可能性の高いハルト。今のアタシたちに、サクラを助けにいく余裕なんてない。サクラがモンスターに食われていて、永遠に見つからなければ、捜索中に全滅もありえる。それはなんとしても避けないと」
「……そうだな。
だが、既にハルトも死んでいれば、私たちは水を得られず、全滅の危機に直面する。レジーナ、お前は水とハルト、どちらを優先すべきだと考えている?」
「ここに来る途中、谷の斜面の一部でぴりついた空気を感じたわ。
おそらくハルトはその周辺にいる。ハルトはまだ生きていると思う」
「ふむ」
エルが顎に手を当て黙り込む。
彼は集中するときいつもこの姿勢をとる。彼の癖だ。
だが、この姿勢になったとき、エルはいつも正しい道を選び出す。
「わかった。まずはハルトと合流しよう。
ハルトなら、あの馬車が吹き飛んだ瞬間に、確実にサクラが落ちた場所を見ているはずだ。運がよければ、サクラも救出できる」
「たしかに! そうね。ハルトなら絶対に見てる!!」
「私はここで馬の護衛を続ける。
今、ここは私のテリトリーになっているはず。数十分は襲われることもないだろう。レジーナはハルトと、可能であればサクラの救出に向かってくれ」
「分かった。制限時間は?」
「今から十一分。もし、ハルトが制限時間を越えてサクラを助けに行こうとしたら、分かっているな?」
「ええ。分かってる」
レジーナは立ち上がった。
もう一分一秒も無駄にできない。
「では、頼んだぞ」
レジーナは頷いて走り出した。
これはアタシのミスが招いた結果。
二人はどんな形であれ、アタシが助け出してみせる。
それが、既に人の形を留めていなかったとしても。




