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96話 憎悪

日記を読み終えた私の目からは涙が溢れて止まらなかった。


エマは素直じゃないから、面と向かってこんなことは言ってくれない。


けれど、口に出さなくても私はちゃんと彼女の愛情を感じていた。


私が両親に愛されていないことを同情したのだと思っていたが、エマにも深い事情があったのだと、この時初めて知った。


エマにとって悲劇だったのかもしれないけれど、そのおかげで私はエマに会うことが出来た。


それがこの世界に生まれて、一番の幸せだと感じている。


泣いてばかりはいられない。


ちゃんとエマに会って、お別れをしなければ。


本当の淑女とはこんな時こそ、胸を張って恩人を見送ることだ。


私はそう思い、涙を拭ってエマのところへ向かった。


私とすれ違うたび、使用人たちが憐みの目で見つめて来る。


しかし、そんなことはどうでも良かった。


私はエマの部屋に行き、すっかり綺麗に化粧をされ、いつものようにきちんとアイロンをかけられた服を着てベッドで寝かされていたエマを見た。


それでも随分とやつれているのがわかる。


本当にこの数年間、エマは辛い思いをしながらも懸命に生きてくれていたのだなと知る。


私はそっとエマの頬に触れ、話しかけた。


「エマ、今まで私の側にいてくれてありがとう。私はあなたに会えて幸せでした……」


エマの頬に私の涙が零れる。


折角化粧をしたのに台無しじゃないかとエマに怒られる気がして、小さく笑った。


しかし、もうそんな叱りつける声も聞けないのだ。


寂しいとはこういうことを言うのだなと実感する。


私は数時間、エマの隣に座っていた。


この時間を惜しむように。






翌日になると葬儀の準備が行われ、知らせを聞いた父と母が帰って来た。


兄は忙しいのか、帰って来られないという連絡を受けていた。


長年従えて来た使用人だというのに、彼らは彼女を見ても涙一つ零さなかった。


母は不満そうな顔をして、腕を摩る。


「使用人一人が死んだだけで、大袈裟なのよ」


そんな母を父が窘めた。


「エマは他の使用人とは違う。俺たちがいない間に屋敷を取り持っていたメイド長なのだぞ」


「そんなこと知らないわよ。連れて来たのは、お義父様なんでしょ? 愛人にでもするつもりだったんじゃない? 仕事ができるから文句は言わなかったけど、私、あまり好きじゃなかったのよ。私を見る目がきつかったんだもの」


母はそう言ってエマの前を離れていく。


彼女はこういう人だ。


母も屋敷にいた時はエマの世話になっていただろうに、そんなことは彼女にとって興味のないことだった。


何より自分の娘を代わりに育てて来たという事実も彼女の頭の中にない。


父はいつものように素っ気ない態度ではあったが、エマに感謝をしていないわけではないのだろう。


使用人にしては、立派な葬儀を上げている。


エマを棺に入れ、牧師が祈りを唱える。


そして、彼女はそのまま墓地へと埋められた。


彼女の家族は既に姪のルナだけで、両親も兄妹も亡くなったそうだ。


そんな葬儀に似つかわしくない女が一人来ていた。


喪服を着ていたので最初は気づかなかったが、それはマルグリットだった。


私は彼女を見るなり、ぞっとした。


エマと彼女が関わっていたとは思えない。


何か良からぬことでも考えているのでないかと危惧した。


私がエマの墓地で立ち尽くしていると、不思議そうな顔で母が話しかけて来た。


「エリザ、あなたはなぜここにいるの? 学園はどうしたの?」


私は振り向き、数年ぶりの母を見た。


母の目は相変わらず冷たい。


娘を見るような目には見えなかった。


「エマの容態が思わしくないと聞いたので駆けつけました。明日には戻るつもりです」


「そんなことで休んだというの? 信じられない。あなたは侯爵家の娘としての自覚が足りないんじゃなくて? あなたはただの貴族の令嬢なんかじゃない。第二王子ウィリアム様の婚約者なのよ。そう言う目であなたは見られているの。それをもっと意識して過ごして頂戴。あなたが変な事をするたびに噂が飛び交うのよ。せめて、私たちの邪魔をしないように努めなさい」


彼女は私にそう言い捨てて、父の元に近づいて行った。


「あなた、エリザの教育係がいなくなってしまったのでしょう? 新しい世話係をこちらで見繕うべきではありませんこと?」


「もうあいつも16だ。教育係なんていらないだろう。世話をするならニアがいる」


「ニアってあの商人の幼い娘でしょ? あんなんじゃだめよ。もっと厳しく言い聞かせられる使用人がいなくては。あの子は今、一番大事な時期でしょ? こんなところで王子に見放されたらどうするの?」


ヘンリーは妻の小言には飽き飽きしていた。


彼らも政略結婚であり、お互いの意思など関係なく結婚させられた間柄なので仲がいいとは言えない。


噂では父にも母にも隠れた愛人がいるなどと言われている。


「そんなこと、お前が心配する必要はない。この婚約に感情など無意味だ。何もわかっていないなら、せめて黙っていてくれ!」


その父の言葉に母はむっとしていた。


私は悲しみの中に怒りがふつふつと湧いていた。


握りしめる手が震える。


この人たちは故人に対しても敬うということを知らない、どうしようもない人間だ。


しかし、だからと言って娘の私が彼らに反発することは出来ない。


今はこうして辛抱するしかなかった。


そんな私の耳元に女の声が聞こえて来た。


「あら、酷い両親。そんな言い方、あんまりよねぇ」


マルグリットはわざとらしく、同情して話しかけて来た。


私はマルグリットを見て睨みつける。


するといつもの様子で彼女はにやりと笑った。


「そんな警戒なさらないで。私は一度、あなたの大事な教育係を見ておきたかっただけよ。どんな人があなたの第二の人生を世話してきたのかってね」


「そんなことを知って、どうするって言うんですか?」


「別に、どうもしないわ。興味があっただけ。それだけじゃいけない?」


「いい趣味とは言えませんけどね」


私も悔しくて言い返した。


何事にも動じないこの女が今は憎らしい。


すると、マルグリットはぐっと私に顔を近づけ、目をじっと見つめて来た。


私もその瞳に吸い込まれるように見つめる。


「ねぇ、エリザさん。こんな世界バカバカしいとは思いません?」


彼女の目が微かに笑う。


「あなたは大事なものをどんどん失う。侯爵令嬢という立場も、王子の愛情も、大切な使用人も。最後は命すらも奪われようとしている。どうしてあなただけがこんな目に合わなければいけないのかしら? この世は本当に不公平よね。でも、誰もが理不尽ならまだ諦めがつくけれど、この世界はそうではないの。たった一人だけは幸福が守られているの。もし、あなたがこのまま王子に婚約破棄されたら、ご両親はどんな顔をなさるかしら? きっと失望し、昔のようにあなたを見捨てるでしょうね。でももうそんなあなたを慰める人はいなくなってしまった。あなたは本当の意味で独りになったのよ」


「そんなことは……」


ないと言いたい。


けれど、言い切れない自分がいた。


「悔しいわよね。折角別の世界から転生して来たって言うのに、結局命を弄ばれるだけなんて許せないわよね。そんなの誰だって同じよ。あなたは憎んでもいいの。恨んでもいいの。怒ってもいい。どうしたら、あなたの中にあるその憎悪を打ち消せるのかしら。一体何があなたをそう不幸に導いているのかしら。何を排除すれば、あなたはあなたでいられるのかしら。邪魔なものは消してしまいましょうよ。神があなたからエマを奪ったように、神からあなたも奪えばいい。だってあなたは転生者だもの。その権利があるわ」


それからのことを私はよく覚えていない。

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