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95話 娘

エマニエルこと、エマが生まれたのは山岳地帯のすぐそばにある村で、その領地を統治する男爵家の娘だった。


彼女には年の離れた弟がいて、両親はその弟に付きっ切りだったという。


彼女は若い頃から大変真面目で、しっかりとした教養を身に着け、評判のいい令嬢として育ったので、ある子爵家から縁談の話が持ち上がった。


両親は大変喜び、二つ返事で受けたそうだ。


18歳になる前には子爵家に嫁ぎ、気立てのいい妻として子爵家に恥じない振る舞いをしていたが、なかなか子宝には恵まれなかった。


エマが25歳の時、念願の子供を授かり、両親共々喜んでいたが、夫には既に愛人を設けて、妾として屋敷に入れる気であった。


決して恵まれた環境とは言えなかったが、ずっと欲しかった子供を儲けることが出来、エマは本当に幸せだった。


しかし、出産間近という所で流行り病を患い、子供は死産。


エマ自身も生死をさ迷い、病気が原因で子供の産めない身体となった。


当面の間は夫の家で面倒を見てもらっていたが、子供が産めないことを理由に離縁を迫られた。


最初こそ、エマの両親も渋っていたが、最終的には受け入れ、出戻りの娘として実家に身を置くようになった。


彼女も自分が両親や弟夫婦の負担になっているという自覚はあったのだ。


だから、先代のヴァロワ卿がエマの事を知り、使用人として引き取りたいという話を受けた時、躊躇いもなく承諾した。


こんな自分でも誰かの役に立つことが出来るなら本望だ。


もう、誰かの妻になることも、母親になることも出来ないのなら、せめて使用人として主人に仕え、生涯を全うしたいと考えていた。


使用人生活は楽ではなかったが、屋敷に引きこもっていた時期よりもずっと充実していた。


エマの仕事ぶりも評価され、屋敷内の立場はどんどん上がっていった。


エマが三十路を過ぎた頃、主人の息子ヘンリーの妻に子供が授かった。


彼らには既に3歳の息子、セオドアがいたので二人目となる。


二人目の子供にヘンリーはあまり興味がないようだった。


それよりも長子である息子を跡継ぎとして相応しい人材となるよう、厳しい教育を受けさせていた。


母親のジュリアも妊娠時からのストレスか、屋敷の人間に当たり散らすことが多かったと聞く。


されどお腹の子供は順調に育ち、春には無事に女の子が誕生した。


ヘンリーに似た顔立ちの綺麗な娘だ。


しかし、ヘンリーはさほど喜ばなかったという。


ジュリアも出産してすぐ育児放棄し、乳母に任せきりになった。


乳母も屋敷での対応の悪さに嫌気をさして辞めてしまう。


その後任として、エマが指名されたのだ。


育児経験のないエマは最初こそ戸惑ってはいたが、赤ん坊のエリザを見ると不安もなにもかも忘れ、ただ愛おしいという感情だけが芽生えていった。


血は繋がらなくとも、お腹を痛めて産んだ子でなくとも、ずっと望んでいた子供。


主人の子だとわかりながらも、エマは自分の子供のように愛情をかけて育てた。


エリザは少し変わった子だった。


言葉を話すようになったと思えば、子供らしくない発言をすることも多く、かといって好奇心旺盛なのか、気になることは何でも手を付けてしまうような性格だった。


机についてじっとしているのは苦手で、踊りや音楽を好んだ。


本にもすぐに興味を示し、暇があるとエマに読むようにせがんでいた。


そんなエリザの元に王子との婚約話が舞い込んできたのは、彼女がまだ6歳の頃だった。


あれだけ娘に興味がなかった両親が急にエリザの教育に口を出すようになったのだ。


エリザを侯爵家の娘として恥じないように教育しなさい。


王子の妻として相応しい教養を身につけさせなさい。


そう言いつけて、うまくいかないときはエリザの代わりに使用人のエマを殴りつけたこともあった。


エリザがぶたれるぐらいなら自分が叩かれた方がいい。


そう思ってエマも受け入れていた。


その頃からだろうか。


エマの教育が厳しくなったのは。


それは決してエマがヘンリーたちに怒られるからではない。


エリザが両親の期待に応えられず、失望されることを恐れたのだ。


あくまでエリザの両親はヘンリーとジュリアだ。


子供が親に見捨てられることほど辛いものはない。


それを知っていたから、あの二人に見返せるほどの教育を受けさせていた。


しかし、エリザはなかなかの強情もので、勉強はサボり、部屋から抜け出して遊び回る腕白なところもあった。


理想的な淑女とはいかなかったが、心の中ではそんな彼女を受け入れ、常に彼女に付き添うことを決めていた。


エリザが14歳になる頃、エマに病気があることが発覚した。


医者からはそう長くはないだろうと言われたが、それでも必死にエリザに気づかれぬよう過ごした。


彼女が15歳になれば魔法学園に行くことになる。


そうすれば、自分は屋敷に残り、エリザと離れ離れになるだろう。


それでも彼女が生き生きとした学園生活を送れるならそれでいいと思った。


エリザが学園へ行き、寮生活になってからはニアを連絡係にして内情を把握していた。


月に一度はエリザにも手紙を書いた。


いつものようにちゃんと勉強はしているか。


淑女らしく振舞えているかと同じことを繰り返す。


でも、エマはわかっていたのだ。


ありのままのエリザでも受け入れてくれる人がいる。


それがエリザにとって唯一の人間となるだろうことを。


病気がどんどん進行して、動けなくなってくると姪のルナを呼んで世話をさせた。


ルナもエマに似て気立ての良い娘だったので、ヘンリーたちも喜んでルナを受け入れ、エマの穴を埋めるようにメイド長に任命したのだ。


学期末が終わって屋敷に帰って来たエリザが思ったより元気で安心した。


しかし、気晴らしで行っていた避暑地で何かあったのか、気を落としていることにも気づいていた。


その後での新学期後の登校拒否だ。


心配しなかったはずはない。


辛い身体を必死で起こして、急いでエリザの元に向かった。


全身痛くて重くても、いつものように背筋を伸ばし、エリザに喝を入れる。


自分にしてやれることなどこれぐらいだと思っていた。


それで少しでもエリザが元気になるのならそれで良かった。


しかし、とうとうその日から歩けなくなっていた。


ベッドで寝たきりの生活が増える。


ヘンリーやジュリアには自分の病状について詳しく説明をしていたので、この状態を驚くことはないだろう。


しかし、どうしてもエリザには最後まで本当の事を言えなかった。


自分がこんな姿になったと知ったら、エリザの事だからそのことで頭がいっぱいになって他の事が手につかなくなる。


その内、エマから離れたくないと言い出すだろうと思っていた。


エリザは本当に優しい、いい子なのだ。


エマは身体が動かなくなる前に日記に全てを書き記した。


そして、最後にはこう綴られている。


――私は神に深く感謝しています。


一度失った私の手にもう一度、子を与えて下さったのですから。


主人の子を我が子だと思うことは罪なのかもしれません。


ならば、私はその罪も快く受け入れましょう。


いつだって私の願いは一つなのです。


あの子が幸せになってくれること。


それはこの国の王子の妻になることに限らない。


私はあの子が選んだ道ならどんな道だって応援するつもりです。


あの子が侯爵家の娘という立場も何もかも捨てて、好きに生きたいと言っても私は止めるつもりはありません。


育てながら、あの子がいつかはそんなことを言ってくるのではないかと思っていました。


それが彼女の幸せだというなら、私はそれでも構わない。


もし、思い残すことがあるのだとすれば、そんな彼女の決断に私が寄り添ってやれないことです。


神様、こんな罪深い私を少しでも許していただけるなら、たった一つだけ言わせてください。


私はエリザを心から愛しています。


どうか彼女が心から笑える未来があらんことを、願います。

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