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93話 エマニエル

もうすっかり日も暮れて、車窓から見える景色は暗闇ばかりだった。


馬の蹄の音とガタガタ揺れる馬車の音だけが車内に響いた。


ぼんやりとした淡い光を放つランプが、馬車の揺れに合わせて揺れる。


私はガラス窓に映る自分の顔をぼうっと眺めていた。


もう16年もこの容姿で生活しているのに未だに馴染みがない。


前世の私はこんなにきれいじゃなかった。


地味でどこにでもいる、ありきたりな女子大生だ。


それがこんなに美人になって、しかも侯爵令嬢なんて言われても実感がもてない。


この世界に生まれて、前世の記憶を思い出した時、最初に感じたのはここが私の知る世界とは全く違うということだった。


見える風景はまるで中世のヨーロッパで、そこに暮らす人々も明らかに日本人とは違っていた。


ただ、自分が場違いな場所にいるのではないかという漠然とした不安のようなものがあるのは同じだった。


実の両親にも相手にされず、兄も私には無関心。


家族のはずなのにヴァロワ邸に私の居場所なんてどこにもなかった。


そんな私の唯一の居場所は、エマのいる場所だけだ。


エマが私の名を呼んでくれると、私はここに存在していいのだと感じる。


エマの側は私の落ち着く場所になっていた。


今はあんなに口うるさくて厳しい態度を取っているけれど、幼少の頃のエマは優しく、私をたくさん甘やかしてくれた。


寂しい時にエマの名前を呼ぶと、笑顔で返事をして側に来てくれる。


自分の仕事の手を休めてでも相手をしてくれる。


私にとってエマは母親そのものだった。


そんなエマが時々、私の両親に怒られていることも知っていた。


娘を甘やかすな。


ヴァロワ家の娘として恥じないよう教育しろ。


そんなことを言われていた気がする。


だから、エマがああして厳しく接するのは私の為なのだと知っていた。


私が両親から失望されないように、ヴァロワ家の娘として恥じないように、そしていつか幸せな生活を送れるようにと。


エマがどんなに私に厳しくしても、私はわかっていた。


両親とは違い、そこにはちゃんと愛があるのだと。


私は歪んだ愛しか知らなかったから、エマのその想いが本当に嬉しくて、散々甘えて来たと思う。


エマの前では本当の私を曝け出すことが出来たのだ。


どんなに怒ったって、呆れたって、エマは私を見捨てたりしない。


絶望したり、期待外れだと言ったり、邪魔だとか言わない。


ため息をつきながらも、仕方がないって笑うのだ。


だから安心して彼女の側にいられた。


それなのになぜ、エマは私に病の事を隠していたのだろう。


勉学に励めなくなるから?


楽しい学園生活を送れなくなるから?


そうであっても私はエマに隠し事なんてしてほしくなかった。


辛い事でも一緒に乗り越えたかった。


こんなに一緒にいたのに、学園に行くまではエマとの生活が全てだったのに、こんなところで置いて行かれるのはあんまりだ。


どうしてエマは自分の死を後で聞かされる私が悲しまないと、後悔しないと思ったのだろうか。


こんな別れ方、絶対に納得いくはずがないのに。


私はエマに会った時、どんな顔をして、どんな言葉をかければいいかわからなかった。


きっと帰って来たと知れば、エマの事だから怒るだろう。


ひっぱたかれるかもしれない。


それでもいい。


ここでエマに会えないぐらいなら、どんな痛い目にあっても構わないと思った。


目の前にいるニアの表情も沈んでいる。


エマの事を心配していたのは私だけじゃない。


ニアはもっと前からエマの病気の事を知っていて、でも私に話せないまま、私ばかりが何も知らないで学園生活にはしゃいだり、ちょっとしたことで右往左往したりしていたのをどんな気持ちで見ていたのだろうか。


学園に入ってからの私と言えば、自分一人の事でイライラして、怒って、授業をサボって、嫌な事があると登校拒否して、最後はエマにまで学園に来させてしまった。


身体が辛かったはずなのに、そんな素振りも見せないでいつものように私に喝を入れる。


あの時の私はどんなふうに思っただろう。


手紙でも良かったのになんて思ったけど、本当は会いに来てくれて嬉しかった。


顔を見たら不安が少しだけ和らいで、もう少しだけ頑張ろうという気にさせてくれた。


エマは私にとって心強い、唯一の味方だから。


そんなエマにいつかは恩返ししようと思っていた。


王子と結婚すれば、エマだって世話を焼いてきた甲斐があると思ってくれると思っていた。


けど、今の私はそれすら果たせそうにない。


本当に情けないなと私は一人小さく息をついた。


そして、瞼を閉じる。


身体は疲れているのに眠れない。


早く会いたいと気持ちばかりが先走る。


そんな長い時間を過ごしていた。






馬車が屋敷の前に着くと、私は急いで扉をたたく。


連絡もせずに帰って来たので、扉を開けたコールマンが驚いていた。


私は事情も話さずに、そのままエマの部屋まで駆けていった。


エマの部屋は覚えている。


幼い頃、何度も足を運んでいたからだ。


怖くて眠れない夜は、枕を持ってエマの部屋のドアを叩いた。


エマはいつだってすぐに起きてきて、優しく私を出迎えてくれた。


仕方がないですねと言って、一緒に寝てくれる。


それでも眠れない夜は本を読んだり、歌を歌ったりしてくれた。


エマの声を聞いていたらなぜか安心できて、よく眠れるのだ。


だから、あの場所を覚えていないわけがない。


私がドアを叩いたら、いつだってエマは扉を開けて出迎えてくれるのだ。


私はエマの部屋の扉の前に立つと、勢いよくドアをノックした。


寝ていたら怒られるかもしれないと思ったけれど、関係ない。


今は少しでも早くエマの顔が見たかった。


「エマ、私よ! ドアを開けて!! ニアに届いた手紙の知らせで帰って来たの」


私はドアの前で叫んだ。


しかし、エマの声は聞こえなかった。


ドアの隙間から微かに明かりが零れている。


部屋にいるのは間違いないのだ。


それなのに返事すらないのは不自然だった。


「エマ、いるんでしょ! 鍵を開けて!」


私は再び叫ぶが、やはり扉は開かない。


そのまま立ち尽くしていると、ようやくエマの声が聞こえた。


「エリザ様、そんなところで何をしていらっしゃるのですか? 明日も講義があるのでしょう。すぐに帰って、明日に備えて休みなさい」


エマのいつも通りの声が聞こえる。


私は何度も顔を振る。


「なんで病気の事、私に教えてくれなかったの? 私、一目でもエマに会いたくて帰って来たのに。お願い。このドアを開けて」


「なりません。私はもうエリザ様に会うことは出来ないのです。あなたはどんな時でもヴァロワ家の娘として恥じぬように振舞いなさい。それがあなたのお役目です」


「そんなお役目いらない! 私にはこのヴァロワ家よりもエマの方が大事だもの。家族といた時間より、エマといた時間の方が何十倍も多いじゃない。会えないなんて悲しいこと言わないでよ……」


私はドアに拳を当てて、雪崩れるようにして座り込んだ。


どうしてエマがここまでして私に会おうとしないのかわからなかった。


ドアの向こうで咳込むエマの声がする。


「エマ! 大丈夫?」


やはり身体が辛いのだと察し、ドア越しから声を掛けた。


毅然とした態度を見せようとしているようだが、限界が来たのだろう。


「……エリザ様、あなたはこんなところで立ち止まっていてはいけません。あなたにはこの先、修羅の道が待っています。理不尽な目にもたくさん合うでしょう。納得のいかない事も起こるでしょう。それでもあなたは強く生きていかなければならないのです。もう、エマは側にはいられません。泣いてばかりではいられないのですよ」


「……エマ」


「わたくしの願いは一つだけ。エリザ様が笑って過ごせる未来です。もし、あなたが苦しい道を自ら選択したのなら、それを貫き通しなさい。自分の決めたことには自分で責任を持つのですよ。それが立派な淑女というものです」


私はその場でぽろぽろと涙をこぼした。


後ろでは同じように必死で自分の涙を止めようとするニアがいた。


しばらく経つと、エマの姪、現在のメイド長のルナが現れた。


部屋にいたエマがルナに気が付くと、声を掛ける。


「ルナ、エリザ様をお部屋に運んで。それと学園には連絡を入れて頂戴」


擦れた声だったが、エマはしっかりとした声でルナに指示を出した。


ルナも返事をして、私を起こし部屋に向かわせた。


その間、私はずっとエマの名前を呼んでいたが、エマが返事をすることはもうなかった。

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