92話 知らせ
サディアスの返事にヘンリーは憤慨していた。
まさか、あの聞き分けの良かった弟が自分に歯向かうとは思わなかったからだ。
サディアスはもういい大人だ。
三十路近くになっても、兄の言いなりとは情けない話だが、ヘンリーとしては都合が良かった。
あの男はいつまでも両親への呪縛に捕らわれている。
それは愛された者の宿命なのだとヘンリーは思っていた。
幸福を得たものはそれだけの苦労も背負うものだ。
生まれた時から両親に愛され、魔法の才も持ち、自由な教育を受けてきた。
そんな何もかも恵まれた弟のことを、彼はどこかで羨ましく思っていたのかもしれない。
同じ両親から生まれて来たのにもかかわらず、長子の自分と次子の弟はここまで違うのかと実感させられていた。
しかし、だからと言って弟を恨むのは違うと思っている。
せめて、愛された分だけその期待を応えてほしいと願っているだけだ。
それであるのに、この学園に来て弟は変わってしまった。
ヴァロワ家の宿命から逃れ、己の為だけに生きている。
ましてや、恋だの愛だのを自分の意志で求めるなど以ての外。
あの戦いが弟を何もかも変えてしまったのだ。
学園を去りたくないと告げた弟に学園長も賛同した。
お陰でヘンリーも強くは言えなかったのだ。
彼は子供ではないのだから、弟自身の考えで戻って来てもらわなければ困る。
足早に馬車に向かい、次の予定地へ向かおうとするヘンリーに一人の女が声を掛けた。
それはずっと姿を見せなかったマルグリットだった。
「マルグリット、お前は何をしているのだ!? 俺がお前をここに寄こした理由をわかっているはずだろう。お前がサディアスの代わりにならなくてどうする」
するとマルグリットは扇子の下で不敵に笑った。
「そう怒らないでくださいな、ヴァロワ卿。そうせかさなくても弟君はあなたの元にちゃんと戻ってきますわ。今は待つ時期なのです」
「待つ時期!? ふざけるな。あいつには十分に時間を与えたはずだ。やはりあの年で所帯を持っていないのが問題であったな。領地に戻ったらすぐにでも結婚相手を探させる」
「あら、ならいい方がいらっしゃるではないですか。ヴァロワ卿は領地を弟さんに継がせるつもりはございませんのでしょう? 家を継ぐのはあなたの嫡男であるセオドア様。なら、彼を家の為に最大限利用されてはいかがですの?」
彼女はくすりと笑った。
ヘンリーも彼女の示す意図を察する。
さすがに彼でもその考えはしていなかった。
今まで弟の魔法の強さを戦場に活かすことを考えていたが、そろそろ潮時なのかもしれない。
「まぁよい。お前は引き続きサディアスを見張れ。平民の女と王子の事もな。お前には利用価値があると思って助けたのだ。母国を裏切ったとはいえ、元は他国の王妃。信頼を勝ち取りたければ、言われた仕事はきっちりやるのだな」
ヘンリーはそう言って馬車に乗り込んだ。
マルグリットは表情も変えないまま彼を見送る。
せわしない男だと彼女はヘンリーを呆れて見ていた。
――利用価値? 笑わせてくれる。
マルグリットは心の中で呟いた。
利用されているのは自分とも思わずに、いつも人を操る側になっていると思い込んでいるヘンリーは実に滑稽だ。
もう事態は着実に進行しているのだ。
ヘンリーの娘が死ぬことで物語はどんどん加速していき、いつかその出来事は自分へと降りかかってくることを彼はまだ知らない。
今までの弟への態度が裏切りへと変わり、この国での一族の立場を揺るがないものにするという願いも叶わない。
全てはアメリアという少女の幸せのために都合よく動くのだ。
娘を裏切った王子はその平民の女と結ばれ、狂乱した兄を殺し、王座に就く。
その頃家督を継いでいるのはセオドアなどではなく、弟のサディアスだ。
それを知る前にヘンリー自体が打ち首となるのだからせめてもの救いかと思った。
マルグリットはこの世界を生み出した者に感銘を受けている。
ここまで忠実に一人の少女の欲望に特化し、汚い部分を覆い隠し、表面上幸せに見せる茶番。
なんて面白い世界なのだと思っていた。
彼女はそのまま校舎へと戻る。
彼女が本格的に動き出すのはこれからなのだ。
私はひとまずリオとのことが一段落し、スッキリした状態で寮に戻った。
いつもなら出迎えてくれるはずのニアがいない。
私は慌てて自室の扉を開けた。
するとそこには泣き崩れたニアの姿があった。
「ニア、どうしたの!? 何があったの?」
彼女の手には一通の手紙が握られていた。
私は彼女の手からその手紙を取った。
そして、手紙の内容に目を通した。
それはエマの姪であるルナからのものだった。
エマの手紙では何も書かれていなかったから知らなかったが、今はルナがヴァロワ邸のメイド長を務めているらしい。
エマは長年悩まされていた病に倒れ、今はベッドで寝た切り。
もってあと数日だろうと医者に言われたそうだ。
私は驚き、手紙を床に落としてしまう。
エマが死ぬ?
そんなの聞いていない。
エマの手紙にもそんなことは一言も書いていなかった。
私は真っ青になり何を考えていいのか、わからなくなっていた。
ニアの様子を見るからに、おそらく彼女はエマの病気について知っていた。
なのになぜ、私だけ知らされていなかったのだろう。
エマの事ならどんなことだって知っていると思っていた。
学園に来るまでずっとエマといたのは自分なのだから。
私は何も言えないで泣き続けていたニアに聞いた。
「ニアはいつからエマの病気について知っていたの?」
ニアは涙を拭い、立ち上がって答えた。
彼女の目はぱんぱんに腫れあがっていた。
彼女の握る手が震えている。
「……学園に来る数か月前からです。メイド長の代わりに私がエリザ様について行くことになり、詳しい事情を聞きました」
「でも、それはエマが屋敷のメイド長だから残っただけでしょ? 病気なんてことは私、一言も聞いていない」
「彼女は例えメイド長であっても、旦那様や奥様に怒られたとしてもエリザ様について行くつもりでした。でも、病気の進行が思った以上に進み、あの頃も時々休みながら働いていらっしゃったのです。エリザ様には気づかれぬよう、私たちも努めてまいりました」
全然知らなかった。
だってエマはそんな素振り私の前では一度もしなかったから。
いつもと変わらず大きな声で怒鳴り上げて、口酸っぱく小言を言い、淑女とは何たるものか、侯爵令嬢とはどういう存在なのか教え込まれてきた。
そんなエマが病にかかっていただなんて。
しかも、こんなに悪くなるまで私は知らなかった。
何も知らずに学園でのうのうと暮らしていたのだ。
私は急いで屋敷に戻ろうと立ち上がった。
「ニア、屋敷に帰るわよ! 今すぐに馬車を用意して!!」
「なりません!!」
ニアは珍しく大声を上げる。
私はニアの方へ振り返った。
「これはメイド長の言いつけなのです。自分の事はエリザ様に気づかせるなって。エリザ様は今、大事な時期だから自分の事で煩わしい思いをさせたくないと」
「そんなの関係ないよ! ここでエマに会えない方が私はきっと後悔する。その後悔を引きずって生きることになる。エマは私の母親代わりなんだよ。たった一人の家族なんだよ。そんな彼女とお別れも出来ないなんてあんまりだ!!」
私はそう言って自室を出ようとした。
ニアが用意出来ないのなら、一人でも屋敷に帰ってやろうと思ったのだ。
お金を払えば馬車は走ってくれる。
そんな私をニアが引き留めた。
「エリザ様!!」
私は足を止める。
「……お願いだから、一人で突き進まないでください。私だってこれでいいなんて本気で思っていませんよ。こんな別れ方、いいわけない……」
彼女はそう言って、まっすぐに私の顔を見た。
「馬車は私が呼んできます。お嬢様はそれまでここでお待ちください」
彼女はそう言って私の横を通り抜け、馬車を呼びに寮の外へと向かった。




