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88話 腕の中

アメリアは一人、あの場所に立っていた。


ここはサディアスと最初に会った池のある庭だった。


入学してすぐ、平民のアメリアは生徒達から下賤の者だと罵られて居場所がなかった。


行く場所がなかった彼女は逃げるようにして、この場所にやってきたのだ。


彼女が池の周りを歩いている時、つい目の前の池の上の花に見とれて転びそうになった。


池に落ちそうになった瞬間、休憩に来ていたサディアスに助けられたのだ。


最初こそ、素っ気なかった彼だが今ではアメリアの心強い恩師の一人である。


アメリアも自分の見ていないところでサディアスが自分の為に動いてくれていることは知っていた。


彼女は彼に深く感謝しているのだ。


そして、今度こそは自分が彼の手助けとなりたいと願っている。


彼女はそっと池に近づいて、水面を覗いた。


そこには不安な顔をした自分が映っていた。


「そんなところにいたら、また落ちそうになるぞ?」


そう後ろから話しかけて来たのはサディアスだった。


彼女は驚き、振り向きながら立ち上がった。


慌てて立ち上がった所為で彼女は池の段差に足を取られて、そのまま池に向かって倒れ込んだ。


まさか本当に池に落ちるとは思わず、サディアスも慌てて彼女を助けに行く。


しかし、今度は間に合わなかったようだ。


アメリアも、そして彼女を助けようとしたサディアスも一緒に池の中に飛び込んでしまった。


二人とも体中ずぶ濡れである。


深さこそなかったからよいものの、二人とも随分と不格好だった。


それを見たサディアスが堪らず笑い声を上げた。


あのいつも仏頂面の彼がこんなに素直に笑う姿を初めて見たので、アメリアもつられて笑う。


そして、サディアスは立ち上がって、彼女に手を差し伸べた。


「ほら、言わんこっちゃない」


彼女も彼の手を取って、そのまま引き起こしてもらった。


いつもとは違う、何もかも曝け出したような二人が池の中で並ぶ。


サディアスはその手を離せないでいた。


彼はそっと目を瞑り、優しい声で彼女に話しかけた。


「アメリア、ありがとう。お前のおかげで俺は決心出来た」


「え?」


「俺はずっと兄に対し、罪悪感を抱いていたんだ。兄はヴァロワ領の次期当主として相応しい人間になるよう完璧を求められ、厳しく育ってきた。それにかわって遅くに生まれた俺は両親に甘やかされて育ったんだ。両親の愛を俺は一心に受けてきた。それに魔法の才能もあったからな、昔は散々ちやほやされたよ。そんな俺を兄は気に入らないと思っていると思っていた。だから、両親を失い、兄と二人になった時、俺が両親に愛された分、彼らに代わって兄の力になれるように努めようとしてきたんだ。それが兄の望む弟になることと勘違いしていたんだろうな」


サディアスが自分に胸の内を明かしてくれていることに気づき、彼女は黙って彼の話を聞きいった。


「兄の言いなりになるのではなく、本当の意味で兄の役に立つために自分自ら考えて動くべきだった。悔しいことにそれを気づかせたのは、姪のエリザだったよ。俺はエリザの事が昔から苦手だった。一見、年頃の普通の娘だが、時に何かを悟っているような大人の目をすることがあってな、他の子供とは違う何かを感じていた。そんなあいつが俺は怖かったんだ。そして、ずっと避けて来た。けど、今日ついに追い詰められた気がしたよ。あいつは俺なんかよりもずっと大人だ。あいつはあいつの人生を自らの意志で生きようとしている。それなのに、俺がこんなのではダメだよな」


サディアスは情けないと苦笑する。


アメリアはそれが見ていられなかった。


「あなたは優しい人だから、家族のため、お兄さまのためと動いただけです。そんなに自分を責めないでください。エリザ様はきっと全てをわかっています。あの人は誰よりも先を見据えて生きようとしている。あなたと同じように自分の立場というものを重んじているのだと思います。それは庶民の、何も持たない私にはわからない苦悩です。そんなお二人に私は多くの場面で助けられてきました。今度は私が二人の助けになりたいのです」


その言葉を聞いてサディアスは何とも言えない気持ちが込み上げて来た。


今すぐ目の前の少女を抱きしめたい、愛おしいという気持ち。


しかし、そんなことは出来るはずがない。


「教官、こんな場所にずっといたら風邪を引いてしまいます。上がってとりあえず服を乾かしましょう」


彼女はそう言って池から上がろうとした。


サディアスの横を通り越した時、後ろから突如彼がアメリアの背後から抱きしめて来た。


アメリアは驚き、小さな声を上げる。


そしてそのままの状態でそっと彼の方へ顔を向けた。


彼は今にも泣きそうな、険しい表情をしていた。


「ウォンバス教官……」


「俺は……、講師として相応しくない。兄の言う通り、教育者として適任ではないのかもしれない。それでも俺はお前の側にいることを決めた。お前が卒業するまでは俺がお前を守る。学園の講師という立場で生徒を想うことなど許されることではない。けど、もう自分の気持ちに嘘を付くことが出来ないんだ。俺はお前が好きだ……」


彼女は何も言えず、目線を前に戻した。


彼が自分に特別目をかけてくれているのはわかっていたが、そこに特別な感情があったことに今初めて気が付いたからだ。


嬉しくないはずはない。


けれど、サディアスとアメリアは講師と生徒だ。


愛し合うことなんて出来ないのだ。


それにアメリアはもう気づいていた。


自分が本当に想っている相手は誰かということを……。


「年の離れた大人の男にこんな事を言われても困るよな。そんなことは俺もわかっている。俺はお前に似つかわしくない。それでも構わなかった。どんなに格好悪くても無様でも、この気持ちに嘘はないのだから。俺の心の中にはお前がいる。俺に微笑みかけてくれるお前の姿がいつも瞼の裏に焼き付いている。この思い出が俺の中にある苦しみから助けてくれていた。俺にとってお前は何よりも大事なものだ。命に代えてでも守りたいと思っている」


「ウォンバス教官、私は……」


「二人きりの時はサディアスと呼んでくれないか? 俺だって子供じゃない。お前が俺に対して講師以上の気持ちがないことは理解している。だから、このまま無理に自分のものにしてしまおうとは思わない。でももし俺の我儘が叶うというなら、お前の理解者となって、いつかお前の幸せの助けになりたい。そのためならどんな場所でもどんな状況でも必ず駆けつけるから、困った時は俺の名を呼んでくれ」


彼女はそれ以上何も答えられなかった。


目の前にある彼の温かい腕。


それを抱きしめるように目を瞑って、両手で触れた。


サディアスが自分をこんなに思っていてくれていただなんて知らなかった。


いつも守ってくれていたその腕が愛おしい。


サディアスだけじゃない。


アメリアはこの学園に来て多くの者に守られてきた。


彼らがいたから彼女はこの学園でここまでやってこられたのだ。


順風満帆とはいかなくとも、自分はなんと幸運な人間なのだろうと悟った。

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