86話 池の庭
アメリアのいる保健室の前まで行くと、私は一度立ち止まって深呼吸をした。
どうも私はアメリアと話をすると感情的になる癖がある。
こうして伝えることを考えても本人を目の前にしたら、また理性を失うかもしれないと思った。
それでも私はアメリアに頼るしかない。
この世界は彼女の意志によって動いているのだから。
私は勢いよく扉を開けた。
中にはベッドに寝ているリオとそれを見守るアメリアがいた。
アメリアもリオの魔法で負傷していたので、手当てをしてもらっていたらしい。
扉が開き、そこに立っているのが私だとわかるとアメリアは驚いた顔を見せた。
「エリザ様?」
ここに私が来るなんてことは想像もしていなかったのだろう。
当然だ。
私とリオはアメリアの中でクラスメイト以上の関係はないのだ。
私はベッドに眠るリオを黙って見つめる。
リオのイベントが起きることは予測できたことだ。
ならばこうなることも予測出来ていたのに私は何もできなかった。
それが悔しくてならない。
しかし、今はリオを心配してばかりではいられない。
アメリアにサディアスを動かしてもらわなければいけないのだ。
私だけの力ではどうしようもない。
信用もなく、毛嫌いされている私の話などサディアスは真剣に聞こうとはしないだろう。
きっとアメリアならば彼を説得できると思った。
「アメリア、聞いてほしいことがあるの」
私は扉を閉めてアメリアに話しかけた。
私からお願いなんて珍しかったのか、戸惑う顔が隠しきれていない。
「なんでしょうか?」
「お父様が叔父様にこの学園を辞めさせようとしている。そして、次の戦場に向かわせるつもりよ」
「そ、そんなぁ……」
アメリアは驚きのあまり椅子から立ち上がる。
両手で握りしめた手が震えていた。
「叔父様がもともと臨時教官としてここに就任してきたの。本職はヴァロワ家一族の為の騎士の一人にすぎない。お父様の右腕として、叔父様は戦場に出ていた。けれど、先の戦争で心を病んでしまって、戦いに行くことが難しくなった。だから、お父様のコネでこの学園の教官として働くようになったのよ。でも、それは病が良くなるまでの間。お父様はそんな温厚篤実な方ではないわ。叔父様の病気が完治するまで悠長に待ってはくださらないでしょうね」
私は初めてアメリアに私の家の事情を話した。
もし、あのゲームの中でもエリザがアメリアに複雑な自分の家の事を話していたら展開は変わっていたのだろうか。
「そんなのあんまりです。教官はきっと、もう戦場には……」
アメリアは言葉を濁す。
サディアスにもそうはっきり言われたわけではないのだろう。
彼女がまだ彼に対してそれほど踏み込んでいないことが分かった。
「そうね。叔父様は戻りたがってはいない。あの人はもとより戦いに向いていないのよ。でも、ヴァロワ家は軍事でのし上がって来た一族。戦いから逃れる事なんて出来ない。それに彼には天賦の才があるの。あれだけの実力を持ち合わせておきながら、一族の為に何もしないなんて許されないのよ」
悪役令嬢と聞くだけで、親に甘やかされて育っていると思う人が多いだろう。
しかし、この世界での令嬢エリザは幸せだったとは言えない。
彼女の性格がああして歪んでしまった理由を今の私なら理解できた。
きっとそれはゲームの中のアメリアも知らなかったのだと思う。
「だからあなたに頼みに来たのよ。叔父様を止められるのはあなたしかいないから」
「私がですか?」
本人もそう言われて意外に思ったのか、肩をすくめた。
「ええ。ずっとこのままとはいかないでしょうけど、今ならまだお父様も無理に叔父様を連れ帰ろうとは思わないでしょうね。今の叔父様はお父様の言いなりなのよ。ここに残りたいのなら、彼の意志で父を説得しないといけないわ」
アメリアは私の言葉に少し考えているようだった。
他の攻略対象とサディアスは違う。
彼は私達よりずっと大人で遠い存在なのだ。
そんな彼を説得するのはアメリアでも難しいかもしれない。
それでも彼女は顔を上げた。
「わかりました。けど、どうしてエリザ様は教官を助けようとするのですか?」
気になっていたのはそこかと私の方こそ驚いた。
しかし、傍から見れば私とサディアスは仲が悪い。
彼の意志よりも父親の考えに従っている方が自然なのかもしれない。
「別に叔父様のためじゃないわ。彼に今居なくなられたら私が困るからよ」
私はそれだけ答えて、保健室を出て行った。
後はアメリアとサディアス本人に任せるしかない。
これ以上、マルグリットの好きにさせてはいけないのだ。
仕事を終えた後、彼は一人で池のある庭のガゼボで椅子に座りながら月を眺めていた。
池の水が月光に反射して、キラキラと輝いていた。
しかし、彼の心はそれを愛でるだけの心の余裕はなかった。
そんな彼の元に一人の女子生徒が現れる。
最初こそ暗闇で見えなかったが、次第に月明かりが彼女を照らし、はっきりと視認で来た。
「アメリア、なぜこんな時間に……」
学生はとっくに寮に戻っている時間だ。
他の講師に見つかれば、咎められてしまう。
「以前も一度ここでお会いしましたから、今日もここに来れば会えると思ったんです。教官は何か悩まれている時はいつもここに来るのでしょ?」
アメリアには何もかもお見通しかとサディアスは笑ってしまった。
「お前に隠し事は出来ないな。まぁいい。後で俺がお前を送っていこう」
そう言ってサディアスはアメリアに椅子に座るように言った。
アメリアも席に着くとしばらくの間、サディアスと一緒に池を眺めていたが、彼女はそっと顔を上げて月を見上げた。
この日は満月でとても綺麗だった。
「あの日も満月でしたね。月明かりに照らされるあなたがとても綺麗で見惚れてしまったほどです」
「男が綺麗なんて言われてもあまり嬉しくはないがな。夜の闇は余計なものを隠してくれるのかもしれん」
サディアスの皮肉にアメリアは冷静に答える。
「私は教官として、そして年上としてあなたを尊敬しています。けれど、それ以上にあなたを人間として尊重しているんです。あなたが苦しんでいたら私も苦しい。教官には多くの場面で私を助け、支えてくれた。だから、私はあなたが困っているなら助けになりたいんです」
アメリアはじっとサディアスの瞳を見つめ答えた。
「アメリア……」
彼女の真剣な瞳に彼は目を離せない。
「教官がこの学園を去るかもしれないと聞きました。でもそれは、あなたが望んだことではないんですよね。私はもっと教官の側で魔法を学びたいです。今はニルソン教官もいますが、私にはあなたが必要なんです。どうか、あなたが望まないなら今までのようにこの学園に残ってはいただけませんか?」
彼女のその懇願する表情につい我を忘れて、抱きしめてしまいそうになった。
しかし、目の前にいるのは生徒だ。
しかも、自分よりも10歳以上離れた少女だ。
彼はぐっと拳を作り堪えた。
この思いは決して口に出してはいけない。
「しかし、俺はこの学園の教官である前にヴァロワ家の人間だ。兄上を裏切ることは出来ない……」
それを聞いて、アメリアは沈んだ表情になった。
彼も彼女から目線を外す。
「私には責任ある一族の方の苦悩はわかりません。けれど、家族がどういうものかはわかります。大切だから裏切れない気持ちも理解できますが、家族はきっと一方的ではダメなんです。家族だからこそ、向き合う時が必要なんだと思います」
彼は黙って彼女を見つめる。
「一度でいい。ヴァロワ卿に本当の気持ちを話されてはいかがですか? なんと答えるかは私にはわかりません。しかし、本当に家族を想うなら、本音を伝えることも大切だと思うんです」
彼女はそう言って弱々しく微笑んだ。




