75話 サディアス
まさにそこは地獄だった。
人間が焼け焦げた異臭の漂う大地。
煙で視界が霞む。
その煙の中からも鼻が曲がりそうなほどの嫌な臭いが立ち込めていた。
焦土と化した地面にはいくつもの穴が開き、所々に兵士たちの遺体が散らばっていた。
前方では金属が激しくぶつかり合う音と、何かが爆発するような音が混ざり合っていた。
士気を高めるための雄叫びのような声も響いて来る。
誰もが必死に武器を取り、敵と戦っていることは目を閉じても感じられた。
「なにをしている! 今のうちに敵陣の頭を取れ!!」
馬の嘶く音と共に後方から兄、ヘンリーの叫び声が響いた。
彼は杖を握りしめる手にぐっと力を入れて、疲れ切ったその足を必死に動かした。
戦場に立ったのは今日が初めてではない。
しかし、これほど苦戦した戦いもないだろう。
足元の悪い地面を彼は震える足で必死に歩き、時に視界に入る同胞たちの遺体を避けながら前方に向かった。
敵も味方も消耗しきっている。
目に映るのは絶命した遺体と力尽き、立ち上がることさえ出来ない倒れた兵士たちが呻き声を上げている景色ばかりだ。
戦っている兵士たちの人数も随分減少したと思われる。
それでもサディアスは前に進むしかなかった。
時には同胞たちの亡骸を跨ぐことになっても、この戦いを終わらせるしかなかったのだ。
兵士たちがひしめき合っている場所で、一か所だけ空間が出来ている場所があった。
そこには一人の男が剣を掲げて、何かを叫んでいるのが見えた。
「我らグラブディアの民はこの屈辱を忘れぬ。例えこの身が滅びたとしても想いはこの地にとどまり、お前たち、オルガルド人を永遠に呪うだろう。覚えておけ、愚かな異国の民どもよ。この誉れ高きグラブディアの破滅に導いた事を一生後悔させてやるぞ」
それはまさしく敵陣の頭、グラブディア王国の王だった。
彼は馬をすでに失い、自分を守る兵士も失い、泥と血にまみれた鎧姿で、けれど力強く立っていた。
このような状況になっても彼はまだ戦意高揚し、瞳には殺気ともとれる恐ろしい光に満ちていた。
彼に対し恐怖を感じながらもサディアスは王に向かって杖を構えた。
――ここで終わらせなければ……。
これ以上、この戦いを引き延ばせば更に多くの人々が死ぬことになるという不安があった。
だから何が何でもここで王の首を討ち取り、この戦争を終わらせなければと思ったのだ。
サディアスの杖から残りの力を振り絞った一撃を王に向かって放つ。
その魔法は見事に王に当たり、彼はそのまま豪快に倒れた。
「父上!」
煙の立ち込める視界の悪い戦場の奥で幼い少年の声が響いた。
恐らく、彼の息子の声だろう。
父親が討たれたことを知って、近づいて来たのかもしれない。
王はそのまま立ち上がることなく、地面に倒れたままだった。
それを確認したヘンリーが声高らかに叫んだ。
「敵の首、討ち取ったぞ!!」
その声を聞いた味方の兵士たちが一度手を止め、ヘンリーの方へ振り向くと歓声を上げる。
これで戦いは終わったのだと安堵した。
しかし、安心するのはまだ早かったようだ。
倒れた王の周りから黒い靄のようなものが立ち上っているのが見えた。
それは次第に周りに広がり、周りのもの全てを飲み込んでいく。
誰も気が付かないのかと慌てて声を上げようとしたが、声が出ない。
身体も固まって、動けないことに気が付いた。
それにあれだけ騒いでいた兵士たちもいつの間にか時が止まったように固まっている。
――どうなっている!?
サディアスは心の中で叫んだ。
その靄は次第にサディアスのところまで近づいて来て、彼の視界を遮る。
目の前まで来たと思ったら、その靄は形を作り、倒れた王の顔へと変貌した。
その赤く光る瞳はサディアスを睨んでいる。
「忘れるな、オルガルドの者よ。この罪は末裔まで続き、お前らを永遠に呪い続けるだろう」
彼はそう言って、煙と共に消えていった。
「わぁぁぁぁぁぁ!!」
サディアスは叫び声を上げながら、ベッドから起き上がる。
息が切れ、鼓動は高鳴り、身体中が汗でびしょ濡れであった。
手も微かに震え、彼はじっとその手を見つめた。
あの戦いであの後、王が目覚めることはなかった。
確かあの王は闇魔法の使い手だったが、彼が夢で見た黒い靄のようなものが出てはいない。
あのまま戦争は終結し、グラブディア王国の領地は我がオルガルド王国の領地となった。
国の民には手を出さず、領地に留まるか、もしくは国から出るかの選択を与え、王妃と王子だけは捕虜として隔離していた。
王妃は我がヴァロワ領、そして王子は王宮の第一王子テオの元にいるはずだ。
サディアスはあの戦争以来、心的外傷後ストレス障害を引き起こし、度々パニック発作を起こすようになっていた。
医者の診断もあってか、彼は一時的に戦場から離れ、王国随一と呼ばれているオーディン魔法学園の教官として働くことになった。
己の威厳の為に学園では病の事は隠しているが、またいつ再発するかはわからなかった。
ヘンリーもサディアスがこうした病にかかったことをきっと不満に思っているだろうと思っていた。
あの人は根っからの軍人だ。
心を鍛えることも兵士の役目、ましてや軍事力で栄えて来たヴァロワ家の人間が心の病にかかるなど許せないと思っているのだろう。
落ち着き次第、サディアスはまた戦場に駆り出される。
それが恐ろしくて仕方がなかった。
彼は息を整え、落ち着かせるといつものように学園に向かう準備を始めた。
今朝のような夢を見るのは珍しいことではない。
最近は少しだけ落ち着いていたが、時々こうして見ることがあった。
もしかしたら、あの魔法大会での出来事がサディアスの記憶を呼び起こした原因になっていたのかもしれない。
あの時、王が倒れた瞬間、微かに感じた魔法の気配。
その気配と同じものを決勝戦で感じていたのだ。
それが何だったのか、サディアスも最後までわからなかったが、ずっと気になっていたのも本当だ。
しかし、また学園の日常に戻ればそんなことも忘れるだろうと思っていた。
最近のサディアスの心は安定している。
それがある少女の存在のお陰だということはわかっていたが、それ以上考えないようにしていた。
彼女はこの学園の学生だ。
どんなに光り輝く存在だとしても、特別な感情を彼女に向けてはならない。
あの緊急会議で講師たちに窘められたように、一人の生徒に講師が固執することは許されてはいないのだ。
それにと彼はもう一人の生徒の事を思い出していた。
彼女とは対照的に彼の心を乱す生徒が一人いた。
それは彼の姪であり、ヘンリーの娘のエリザだ。
彼女のあの鋭い瞳、真っ黒な癖のある長い髪、凛とした佇まい。
彼女を見る度にヘンリーの姿が浮かんだ。
彼女に見つめられると兄に見つめられている気持ちになった。
それにあの黒く長い髪が夢に見た黒い靄を思い出させ、あの大きく鋭い赤い瞳にも恐ろしさを感じていた。
彼は昔からそんな彼女を避けている。
彼女は幼い頃から大人びたところがあって、普通の子供とは少し違って見えたのも確かだ。
どこか達観していて、人生そのものに諦めている暗い闇のようなものを抱えている感じがした。
それは幼い少女から漂う雰囲気とは違う。
彼女は特別な子なのだ。
彼にはそう思っていた。
だから、純粋に姪として彼女を可愛がることは出来なかったし、学園に進学した時もなるべく関わらないように努めた。
きっとそれは彼女自身も気づいていることだろうと思っていた。




