49話 保健室の中で
廊下に響き渡るルークの名前を呼ぶ、アメリアの声。
階段の一番下で頭に血を流して倒れているルーク。
それを見た瞬間、私は立ち眩みがした。
私の中で前世の交通事故がフラッシュバックしてきたのだ。
身体が潰された血まみれになったこころん。
遠くまで飛ばされ、身体中骨折して倒れていたいおりん。
そして、頭から大量に血を流していたみーぽん。
名前を何度も呼んでも起きなかった。
皆そこにいるのに、そこには誰もいない光景。
泣いても叫んでもどうしようもならない残酷な現実。
それがルークの怪我をした姿を見て、一気に記憶が蘇って来たのだ。
転落事故に気が付いた周りの生徒達が何事かと集まって来る。
「ルーク、ルーク!」
必死で彼の名前を呼ぶ、アメリア。
彼女もきっと怪我をしている。
本当は私が誰かを呼びに行かないといけないのに、頭がくらくらして動けなかった。
その場で座り込んでいると、後ろから誰かの声がした。
「すぐに救護班を呼んできてくれ! 後、アメリア、君もちゃんと医者に診てもらった方がいい」
わかったとどこかの生徒が返事をして、救護班を呼びに行ってくれたようだった。
私もその声を聞いて安心する。
そして、次の瞬間にはふわっと自分の体が軽くなるのが分かった。
微かに目を開けて確かめると目の前ににいたのはウィリアムで、倒れそうになっていた私を抱え上げていた。
私なんてほっといておけばいいものを。
そんなことよりルークとアメリアを心配した方がいい。
「ウィリアム様……。あ、アメリアを……」
頭が痛くてうまく話せない。
でも、彼に私の意図は伝わったようだ。
「大丈夫だ。アメリアも怪我はしているがルークが庇ってくれたお陰で軽傷のようだ。ルークは救護班に頼むしかないだろう。今なら側でアメリアが止血してくれている。それに君がこんな状態では心配だ。君も今すぐ保健室へ行った方がいい」
ウィリアムが優しく私にそう話しかけてくる。
「……私は問題ありません。少し座っていれば、すぐに良くなります」
「良くない。それにこんな場所に残したら、僕が心配なんだ。君は僕が運ぶから、今は身を委ねてほしい」
彼はそう言ってそのまま私を抱えて、保健室へ向かった。
本当はすごく恥ずかしかったけれど、この時の私はそんなことを考える余裕などなかった。
それにどうしてこの時、ウィリアムが私に気を留めてくれたのかはわからなかった。
目の前にアメリアが事故に合い、怪我をしていると知れば、彼女の元に真っ先に駆けつけると思ったのに。
彼がいつも気にかけているのは彼女だとわかっていた。
それなのに、なぜ……?
そんな疑問を抱えたまま、私は意識を失った。
目が覚めたのは、誰かのすすり泣く声が聞こえてきたからだった。
気が付けば、私はベッドに寝かされていた。
そうか、あの時、階段の踊り場で倒れてウィリアムに保健室に連れて行ってもらったんだった。
そのウィリアムはもう、そばにはいなかった。
やっぱり心配でアメリアの元に行ったのかなと思った瞬間、そのすすり泣く声がアメリアだと気づき、驚いた。
カーテン越しの隣のベッドにいるのは階段から落ちたルークのようだった。
「ルーク!」
ルークが目を覚ましたのか、アメリアがルークに向かって名前を叫んだ。
ルークの唸り声が聞こえ、アメリアが保険医を呼んで来ようとしたが、その手をルークが掴んで止めた。
「アメリア、大丈夫だ。頭を打って、少し血が出ただけだ」
「で、でも……」
「ちゃんと手当してもらったんだろう? なら問題ない。それよりも、俺は君が無事だったことに安心した。怪我はしていないか?」
その声はとても優しい声だった。
私が聞いた事もないルークの声だ。
彼はそっとアメリアの頬に手を添えて、アメリアもそれを両手で包み込み泣いた。
「私は大丈夫です。ルークが守ってくれたから、少し足を掠っただけ。本当にごめんなさい。私があんな場所で足を踏み外していなければ!」
それは違うと私の心が言っている。
あの時、ぶつかって彼女を突き落としたのは私だ。
責められるのなら私の方だ。
きっとルークだってそう思っている。
「気にするな。元々君は俺たちの喧嘩を止めようとして落ちたんだろう? なら、俺の責任でもある」
意外な答えだと思った。
それは、アメリアの前だからだろうか。
涙の止まらないアメリアにルークが優しく話しかける。
「ごめんな。君があんなに心配して止めようとしてくれたのに、俺はそれを聞けなかった。怒りに任せて、自分を見失っていた。でも、今は反省しているんだ。君を危険にさせてから気づくなんて、俺は最低だよな……」
「そんなことありません! 本当に大事に至らなくて良かった。もし、ルークに何かあったら私、一生自分を悔いていました」
それを聞くと、ルークはくっくっと笑った。
何がおかしいのかとアメリアは不思議な顔をしてルークを見つめる。
ルークは自分の身体を半分起こして、そのままアメリアを引き寄せ抱きしめた。
「このままずっと俺の側にいてくれないか? 君が側にいてくれたら俺、どんなことでもできる気がするんだ。君と会うまで俺はいつも後ろ向きだった。何をやってもこんなもんだと諦めてた。でも、君が現れて、側にいると自分が確かに前を向けている気がするんだ。こんな世の中でも悪いことばかりじゃないと思える」
「ルーク……」
アメリアは急に抱きしめられ、驚いている様子だったが、彼女も突き放したりはしないようだ。
「俺には君が必要だ。他のどんな奴が君を求めても、俺は君を誰にも譲りたくない。それが自分勝手な願望だってことぐらいはわかっている。それでもそれぐらい君が俺にとって大切で、掛け替えのない存在なんだ。本当の俺は君がウィリアムやギルバートと一緒にいるだけで、不安だった。誰かと楽しそうに話しているだけで、君が俺ではなく違う奴の場所に行ってしまうんじゃないかと気が気じゃなかった。だけど、そんなこと君に話しても、困るだけだと思ったから言えなかったんだ。でも、今なら素直に言える。君をこのまま放したくない!」
彼はそう言って更に力強く抱きしめた。
アメリアも直ぐには何も言えなかった。
彼の気持ちを考えたら、きっと簡単には突き放せない。
それでも彼女は言わないといけないのだ。
「ルーク。私もあなたの事が大切だし、掛け替えのない存在だとは思ってる。だけど、それは他の皆も同じ。ルークだけに向けた特別な感情ではないの。だから、私はあなただけのものにはなれない。ごめんなさい、ルーク……」
その言葉を聞いて、ルークはきっとショックだろうなと思った。
私が見ている限りでも、ルークがウィリアムやクラウス、そしてギルバートなんかと仲良くしている彼女の姿を見て、嫉妬していたのは知っていた。
ルークが案外、独占欲が強い人間なのだなとも思っていた。
それもルークの過去の背景を見ればわかることだったのかもしれない。
するとルークは少し悔しそうに、しかし心が少し晴れたようにふっと笑った。
「そっか……。俺も皆と同じか……。まぁ、実はそんな気がしていたけどな。でも、今だけは君を独り占めさせてくれないか。今だけでいい。後数分だけ、こうして君の温もりを感じていたいんだ……」
そう言ってルークはそのままアメリアを優しく抱きしめていた。
のを隣で聞き耳を立てて、ベッドで寝ている私。
私の存在は、完全に隣の二人には気づかれていない気がする。
私はいつ寮に帰れるのだろうと思いながら、真っ白な保健室の天井をぼんやり眺めていた。




