107話 婚約解消
娘を馬車まで見送り、ヘンリーはそのまま王宮へと向かった。
自分の娘にしては出来が悪いと思ってきたが、ここまで愚か者だとは思っていなかった。
二人目の子供が女の子と聞いて、当時のヘンリーは内心がっかりしていた。
ヴァロワ家には女の子などいらない。
戦場に赴き、兄のセオドアを支えることが出来る優秀な息子を所望していたのだ。
だから彼は、出産後も家には帰らず、初めて目にしたのは生まれて数週間後のことだった。
妻はそれを知って激情した。
ヴァロワ家の為に産んでやったのに、この扱いはないだろうと屋敷内で暴れ回っていたのも聞いていた。
しかし、ヘンリーにはそんなことどうでもいいことだ。
子供の顔を見た時、すぐにそれが自分の娘だと理解した。
なぜなら赤ん坊はこの国では珍しい純黒の髪と、ヘンリーと同じ燃えるような赤い目をしていたからだ。
そんな子供を不要だからと言って捨て置くことは出来ない。
妻のジュリアは産んですぐに育児を放棄した。
乳母も雇っていたが、ジュリアとそりが合わずに出て行ってしまった。
その後は従順な使用人であるエマに任せ、娘に関心を持つことはなかった。
彼が初めて娘の存在価値に気づいたのは、彼女に王子の縁談話が舞い込んできた時だ。
まさか、あちらの方からその話を持ち掛けるとは思わなかった。
彼は急いでエマに命じ、娘を王子に相応しい女にするために教育するように言った。
もし、王子との縁談がうまくいけば、ヴァロワ家の血が王族の中に入ることになる。
第一王子ではなく、第二王子であることは残念であったが、それでも一歩ずつ自分たちの地位が上がってきているのを感じた。
娘にはそれ以上の事は期待していない。
しかしながら、今回の件で全てそれが覆されそうだった。
陛下の耳に届く前に自ら説明し、この縁談が破談にならないようにするしかなくなったのだ。
元々、噂ではウィリアムは婚約者に目もくれず、光魔法を持つ庶民の女に執心していると聞いていた。
その時点でヘンリーは気分を害していたというのに、娘自らも汚点を作り、彼らに婚約破棄のきっかけを与えることになったのだ。
こんな失態は許されるわけがない。
しかし、このことをネタに婚約破棄を切り出されては、こちらも引き下がるしかない。
そして、王子に捨てられた娘は今後まともな家に嫁ぐことは出来ないだろう。
正真正銘の役立たず、どころか厄介者でしかなくなる。
ヘンリーは大きくため息をついて、宮廷に着いた馬車から降りた。
直ぐに陛下へ連絡を取ってもらい、謁見が出来ないか尋ねる。
陛下は忙しい方だ。
急に訪れた訪問者に時間を与えてやれるほど、暇ではない。
ヘンリーはイライラしながら来客室のソファーに座っていた。
苛立ちすぎて、貧乏ゆすりが止まらない。
そうしているうちに、陛下の秘書官の一人がヘンリーに会いに来て、少しだけなら時間を割いてもらえるらしく、彼は早速、陛下の元に向かった。
案内された部屋に入ると、そこには陛下だけでなく、第一王子のテオも待っていた。
ヘンリーは急いで陛下の元に向かい、今回の件について謝罪を告げる。
ヘンリーが全ての事情を話す前に、オルガルド王のレオポルドは穏やかな表情で話を遮った。
「気にすることはない、ヴァロワ卿。事情はテオから聞いておる」
「テオ王子からですか?」
全く事情の読めなかったヘンリーは不思議そうな顔でテオを見た。
テオは平然と笑っていた。
「我が愚息が迷惑をかけたようだな。お主の娘はそれに気遣って動いたのだろう。巷では散々噂されているようでな、あいつが庶民の女に入れ込んでいると聞く。これは事実だ。侯爵家の娘としてプライドを傷つけられただろう。息子との婚約を破談にするためにしたことを咎めるつもりはない。停学処分についてはこちらで隠匿工作しておく。安心されよ」
「では……」
ヘンリーは顔色を変えて、顔を上げた。
「この件とは別でな、お主には一つ提案したいことがある」
「提案ですか?」
急に話を振られたヘンリーは困惑していた。
「息子、ウィリアムとの婚約はなかったことにしてほしい。その代わりではないが――」
ヘンリーは自分の耳を疑った。
レオポルドのその話はあまりに突拍子もなく、どう理解していいのかわからなかったからだ。
彼の隣では相変わらず笑っているテオがいた。
ヘンリーはテオが恐ろしくなって、目線を逸らした。
悪い話ではない。
しかし、今はどう返答すればいいかわからなかった。
「いい返事を待っている」
彼はそれだけ言い残して部屋を出て行った。
テオも父親に続くようにして歩いて行ったが、扉の前で立ち止まり、ヘンリーの方へ振り向いた。
「ヴァロワ卿、愚弟などに肩入れしたところでなんの利益も生みやしませんよ。賢明な判断を期待しています」
恐らくこれはレオポルドが考えたことではない。
テオが父親に打診したのだ。
ウィリアムの事を報告していたのも恐らくテオだろう。
ヘンリーはテオという王子が恐ろしく感じて仕方がなかった。
テオはレオポルドと別れると、そのまま自室に向かって歩き出した。
廊下の途中で血相を変えたウィリアムが足早にこちらに向かってくるのが見える。
ウィリアムもテオに気づくと、駆け足で近づいて来た。
「兄上! 今、ヴァロワ卿がこちらに来られたと聞きました。エリザが学園で何か不祥事をやらかしたとか」
なぜ、そのことを弟が知っているのか疑問に思った。
ここは口封じが必要のようだ。
「お前には関係ない。そのことは忘れろ」
そう言って、通り過ぎようとした時、ウィリアムが真剣な顔で話しかけて来る。
「関係あります。エリザはきっと僕の為にあんなことをしたのだから」
テオは足を止め、弟の顔を見つめる。
「お前はどこまで自覚している」
ウィリアムは顔を上げ、じっとテオの顔を見た。
「今日、エリザから婚約解消の話を持ち掛けられました。彼女は自分で父親を説得すると言っていましたが、きっとそれが難しいことは彼女もわかっていたはずです。その直後にこの行動。明らかにエリザは婚約解消を確実にするために自ら罪をかぶったのだと思います……」
「そうさせたのはお前自身だろう。お前が平民の女になんて手を出さなければ、こんなことにはならなかった」
テオは冷たくウィリアムに言い放った。
「わかっています。エリザには申し訳ないことをした。だから僕は――」
「もう、お前に出来ることは何もない。父上はヴァロワ卿にこの婚約を破談にするように提案した。恐らくヴァロワ卿もそれを受け入れるだろう。少しでも自分に責任があると思うなら、これ以上悪評を流されないように努めることだな」
あまりにも早い決断にウィリアムは驚いていた。
エリザがわざと起こしたことだと承知していたのだとしたら、早計な判断は下さないと思っていたからだ。
「この婚約解消はエリザが不祥事を起こしたことが理由ではない。以前から、お前たちの婚約を破棄するつもりだったのだ。お前のような不甲斐ない弟の為に、ヴァロワ卿との関係を壊されたくないのでな。彼にはもっと良い条件を提示した」
彼はそれだけを言い残し、ウィリアムの側から離れた。
ウィリアムは何が起きているのか理解できず、不安そうな表情で兄の背中を見つめていた。




