105話 後悔
「婚約解消していただきたいのです」
私のその一言にウィリアムは茫然自失していた。
それは学期末の最終日、他の生徒達が年末に合わせて親元に戻っていた頃、私はウィリアムを裏庭まで呼び寄せて、そう告げた。
彼は何を答えればいいのかわからず、口を閉ざす。
「この婚約が親同士で決めたもので、今はまだ正式な形とはいきませんが、最初にウィリアム様にお話ししておきたくて……」
私は俯いて答えた。
その理由をウィリアムもわかっているはずだ。
ゲームの筋書ではエリザの悪行に困り果てていた王子が提案したもので、正式に婚約破棄されたのはエリザの死後、アメリアの暗殺を企てたことが知れ渡ってからの事だった。
私も一度はアメリアに剣を突きつけたが、実際に怪我をさせることもなく、ギルバートの事もあったのでこのことについて知っていたのは一部の人間だけだった。
つまり、私がアメリアを殺そうとした事実は闇に葬られたということだ。
だから、今の段階でウィリアムから婚約破棄を言い渡す理由はない。
なら、私の方から提案しようと思っていた。
「これが私たちの私情で決められることではないのはわかっています。それでも私はあなたの婚約者ではいられない。私だって辛かったのです……」
ウィリアムは申し訳なさそうに顔を上げた。
何かを言おうとしたようだが、言葉が出てこない。
何を言っても言い訳に聞こえてしまうからだろうか。
「ウィリアム様のアメリアさんに対するそのお気持ちを阻害するつもりはありません。私はウィリアム様に幸せになってほしい。けれど、婚約者として側にいるのはこれ以上できません。私にも立場というものがあります。わかっていただけますか?」
「エリザ……、僕は……」
必死で何か言おうとしていたが、やはりうまく答えられなかった。
ただ、申し訳なさそうに俯く。
「婚約解消しても私はウィリアム様の友人の一人です。その関係性は変わりません。だから、安心してください」
「……すまない、エリザ。僕は君を傷つけてばかりだった」
私は小さく顔を横に振った。
「いいえ。もういいのです。これで良かったのです」
そのセリフは私の前の本来のエリザに言って欲しかった。
きっとあの時の彼女は私よりもずっと傷ついていたはずだから。
「この話は私の方から父に伝えます。もし、宮廷でそのような話が出ても、ウィリアム様は賛同してくださいね。私のこの決意を汲んでいただけたら幸いです。それでは良い年末を」
私はそう告げて、ウィリアムの元を去った。
これで良かった。
私は何度も自分の心にそう呟く。
このまま二人の邪魔な存在でいれば、またいつ消されそうになるかわからないし、何よりも私がそうしたかった。
二人の幸せを願っているのは本当だから。
私は空を見上げ、昔の事を思い出していた。
ウィリアムは昔から優しい男の子で、私が王宮に遊びに行くといつも笑顔で迎えてくれた。
私は何度もあの笑顔に救われたのだ。
アメリアの事がなければ、ウィリアムは私の理想の婚約者だったと思う。
それでも、彼が本物の恋というものを知ることが出来たなら良かったと思う。
私はそのまま教室に向かって歩き出した。
ウィリアムは裏庭で一人佇んでいた。
いつかはこうなるとわかっていたのだ。
自分がアメリアを選んだ時点でエリザが離れていくのは決まっていた。
最初は無責任にもアメリアに婚約解消すればいいと言っていたが、いざ彼女から告げられた時、これほど辛いものなのだなと思った。
自分は誰よりもアメリアを愛している。
エリザの事は好きだが、それは友人としての気持ちだ。
アメリアに会うまでのウィリアムは恋というものがどんなものか知らなかった。
これほど相手を求め、盲目となり、夢中になるものだと初めて知った。
その人しか見られなくなるとはよく言ったものだ。
その決断に今も迷いはない。
しかし、そのせいで自分がエリザを傷つけて来たことに対し、ウィリアムは悔恨の情に責められていた。
彼女が自分の事をどう思っていたなんて関係ない。
自分の婚約者が他の女性に夢中になっているのを見て、なんとも思わない女性はいないのだ。
周りからも散々、憐みの目で見られ、嫌な思いをしてきただろう。
あの事件があるまで、ウィリアムはあまりにもその自覚が足りなかった。
冷静に考えればわかることであったのに、自分の恋に夢中でエリザの気持ちを蔑ろにしてきた。
彼女にはどう謝罪しても仕切れない。
しかし、この気持ちはそれだけではないのだ。
勝手な事だが自分を慕っていた相手を失うということが、これほどの喪失感だったのかと実感させられていたのだ。
彼女のその気持ちはウィリアムがアメリアに向けるそれとは違うのかもしれない。
それでも幼少の頃から側にいて、ずっとウィリアムの心の励みになっていたのも確かだ。
彼はエリザと最初に会った時のことを思い出す。
婚約者というものがどういうものなのかまだ理解できていない幼かった頃、両親に婚約者だとエリザを紹介された。
彼女はとても可愛らしく上品な女の子だった。
6歳にしてはどこか落ち着いていて大人びたところはあったが、礼儀正しくてウィリアムにも優しかった。
ウィリアムはその時、可愛い女の子の友達が出来たと思い、純粋に嬉しかったのだ。
エリザは文句も言わずにウィリアムの遊びに付き合ってくれ、我儘や文句を言ってきたことはない。
ただ、子供のように無邪気に笑うわけでもなく、いつも物珍しそうにウィリアムの行動を見ていた。
少し変わった子だなとは思っていたが、彼はそんな彼女が嫌いではなかったのだ。
パーティーに参加するようになってからは、会場にエリザを見つけると彼女を誘ってダンスをした。
最初は両親の言いつけだったが、そのうち自然と声を掛けるようになっていた。
彼女は彼の最初のダンスの相手だ。
下手なステップにも文句を言わずに付き合ってくれて、間違えても笑ったりしない、どこか年上の女の子と一緒にいるようだった。
彼女はお姫様だったけれど、どこか紳士のような頼りがいのある女の子で彼は安心して彼女の側にいれた。
それからは何かイベントがあれば、お互いに招待状を送って歓迎し、仲を深めていったと思う。
お茶会を誘うたびに退屈そうにするエリザ。
周りの婦人たちの噂話を微妙な笑顔を作って聞いている。
本当はお菓子が食べたいのに食べられないのを我慢して、物欲しそうに見つめているエリザが可愛かった。
その度に彼はその婦人たちの輪から抜けられるように、庭に散策に行こうと誘った。
彼女はあまり花や植物には興味がないようだったが、いつも二つ返事で答えてくれる。
彼女が将来結婚をする相手だと聞いた日から、ウィリアムは当たり前のように未来にはエリザが隣にいるのだと思っていた。
そこに恋だの愛だのはないのかもしれないが、自然に結婚して、可愛い子供を産み育てて、年老いてからもずっと一緒にいる、恋人というよりも人生のパートナーというイメージだった。
そこに権威とか立場とか存在なく、ただ平凡な日常を彼女とゆっくり過ごしている未来を想像していたのだ。
それがこんな形に終わるのだとは思わなかった。
自分はとんでもなく大切な物を自ら手放したのだなと身に染みて感じる。
寂しいなんて思うのは間違っている。
自分が決めたことだ。
むしろエリザは当然のことを言ってきただけだ。
反って自分がその提案をし、自分の身勝手な想いを彼らに伝えなければいけなかったのに、最後まで彼女に背負わしてしまった。
なんと情けない男なのだろうと悔やむ気持ちでいっぱいになっていた。




