104話 名前
リオはパーティー会場を抜け出して、一人ベランダに立っていた。
なんて手が焼ける王子様なのだろうと呆れてしまう。
私はそっと彼に近づき、横に立った。
外は寒くて、吐く息が白かった。
「ウィリアムと踊るんじゃなかったの?」
リオは不貞腐れた様子で外を見つめ、尋ねて来た。
「踊らないよ。どこかの我儘な王子様が拗ねてしまったからね」
リオはむっとした顔で私を睨みつけた。
「君、ボクをバカにしているよね!」
「まさか!」
私は笑ってみせる。
しかし、次の瞬間、くしゅんとくしゃみをしてしまった。
やはりこの時期の冬は寒い。
こんなドレス姿で外にいては風邪を引いてしまいそうだ。
するとリオが横からそっと着ていたジャケットを私の肩にかけた。
お陰でリオの方が寒そうだ。
案外、紳士のような行動もとれるのだなと思う。
「パーティーだからって張り切りすぎなんじゃないの? そんな露出したドレス着て、誰に見てもらいたかったわけ?」
「これは実家から送られてきたドレスだよ。意外と似合っていると思うんだけど」
「自分で言ってそれ、悲しくならない?」
「パートナーの誰かさんが言ってくれないのでね、自分で言うしかないんだよ」
いつものようなやり取りに私の緊張も薄れていった。
やはり、リオといると落ち着く。
素の自分でいられるというのは随分と楽だった。
すると、リオは小さな声で答える。
「似合ってないなんて言ってない」
私はあまりにも小さな声だったので、あえて聞き返した。
「なんだって?」
「もう言わないよ!」
リオは再び、ぷいっと顔をそむけた。
こうしてみるとやはりリオは子供だなと感じる。
私も今はまだ16歳の子供なんだけど。
「このパーティー終えたら、私、ウィリアムに話してみる。このままだとさ、私達結局肩身の狭い思いするだけだし、婚約を解消するなら早い方がいいと思うんだ。今更、彼の気持ちが変わるとも思えないしね」
二人は運命の相手なのだ。
物語通り、末永く幸せに過ごすのだろう。
「君はそれでいいの? 婚約解消なんてしたら、またひと悶着あるよ。それに君自身、本当にそれで納得しているの?」
不安そうな顔で見つめて来るリオ。
確かに私の中にウィリアムを慕う気持ちがなかったわけじゃない。
けどそれはきっと、アメリアのそれには及ばない。
「私は二人の幸せを願っているよ。私はずっとこの無茶苦茶な世界が許せなかっただけで、二人が結ばれることを否定したかったわけじゃない。リオだって同じでしょ?」
リオにそう尋ねると、再び不愉快そうな顔をして言った。
「リオじゃない」
突然何を言い出すかと思い、私は戸惑う。
「ボクの本当の名はリオじゃない。リオネル・ベルンシュタインだ。リオ・ハールゲンはテオが付けた偽名だよ」
そう言えば、そんな話をしていた気がした。
「君、この世界のゲームをしてきたんでしょ? ボクのルートでボクの本名聞いてたんじゃないの? また忘れたの?」
リオにぐいぐい責められて、私はたじろぐ。
「ごめんって。ゲームをやったのは実質上、16年も前だし、細かいところまでは覚えてないよ。シナリオの大まかな流れは多少覚えているけど」
リオは頬を膨らませ、不貞腐れた顔をする。
「なら、君も教えてよ、名前!」
「名前? そんなの知っているでしょ? エリザーー」
「そうじゃなくて、前世の君の名前だよ。覚えているんでしょ?」
まさか前世の名前を尋ねられるとは思わなかった。
さすがに自分の名前ぐらいは覚えているけれど、それをリオが知ってどうするのだというのだろうか。
「その方が君って感じするんじゃないかと思って。ボクだけは君の名前を知っておきたいんだ」
私らしい名前。
少しむずがゆい気がした。
「清花。堀池清花だよ」
「キヨカ?」
物珍しかったのか、不思議そうな顔で繰り返すリオ。
「そう、清らかな花と書いて、清花。こっちには漢字みたいな概念ないからわかりにくいよね。覚えにくかったら覚えなくても――」
「嫌だ!」
急に大声を上げるので私は驚いた。
「覚えた。キヨカ。君はキヨカだ」
こちらの世界に来て、その名前を呼ばれるのは初めてでなんだか恥ずかしい。
エリザという名前で呼び捨てにされることは慣れていたけれど、そちらの名前で呼び捨てにしてくるのは親ぐらいだ。
友人にもあだ名のきぃと呼ばれていた。
するとリオはさっと私の前に手を差し出して、丁寧にお辞儀をしてみせた。
「キヨカ、僕と一曲ダンスを踊っていただけませんか?」
私は驚き、後退る。
「だって、リオ、踊りたくないって」
「踊りたくないなんて言ってないよ。人前で踊りたくないって言ったの。折角パーティーに来たんでしょ? 一曲ぐらいは踊りたいんじゃなかったの?」
「それはそうだけど……」
私はその手を取るのを躊躇った。
ウィリアムには断ったダンス。
そして、リオに再び誘われて、私はどうするのが正解なんだろう。
私が戸惑っていると、痺れを切らしたのかリオの方が強引に私の手を掴んで腰に手を当てる。
私はつい声を上げてしまった。
すごく恥ずかしい。
けど、やはり男の子にダンスを誘われるのは悪くない。
リオのリードで私たちはステップを踏む。
ダンスは嫌いじゃないんだ。
ウィリアムと踊るダンスも好きだったけど、リオと踊るダンスも嫌いじゃない。
世界が一瞬だけキラキラして見えた。
この瞬間だけは物語のヒロインになった気分だ。
もう少しリオの背が高ければ、完璧だったのになと笑ってしまった。
「なに?」
リオは不思議そうな顔で尋ねる。
「別に」
今は会話などいらない。
こうして踊っているだけで、気持ちが通じているようだった。
こうしてみるとやはりリオは元王子なのだなと感じる。
彼のちょっとした作法が上品さを物語っていた。
「ありがとう。リオがいてくれて良かった。結局、場に流されるだけで終わった私のシナリオ改変だったけどさ、きっとリオがいなかったらとっくに諦めてたよ。リオと話せなかった間、すごく心細かった。自分の考えが正しいのかとか、これからどうすればいいのかとか悩んでた。リオが聞いてくれるだけで私は勇気が出て、もう少し頑張ろうって思えたんだ」
リオは珍しく口を挟まないまま、静かに聞いてくれた。
「今までずっと支えてくれたエマがいなくなって、私は私を支える物を失った。けど、代わりにリオがいてくれる。私たちはただの協力関係だけど、それでもいいの。誰かがわかってくれるって思うだけで私は救われるんだ」
なんでだろう。
こうしてリオとステップを踏んでいると素直になれる自分がいた。
触れ合っている部分からリオの体温を感じる。
それがどこか心地よかったのかもしれない。
「まだ終わってないでしょ? イベントが終わってもボクたちの人生は続くんだ。これから先、また命を失う危険だってないわけじゃない。シナリオ改変はまだまだ続いていくんだよ?」
そうだねと私は頷いた。
そう、私の破滅イベントの一つが終わったからと言って、今後私に不幸が訪れないという保証はない。
むしろここからが大変なのだ。
なぜなら、私に関しての情報はもうなくなってしまった。
今からは未知なるルートを進まないといけない。
「でも、大丈夫。リオと一緒ならやっていけそうな気がするんだ。私は諦めない。私にはやるべきことがまだあるからね」
リオはその言葉を聞いて、優しく微笑んだ。
リオでもこんな顔をするんだなと思った。
いつも子供っぽい感じがしていたのに、この瞬間だけどこか大人びた顔に見える。
転生した私の相棒がリオで良かったと心から感じていた。




