副僧院長シン(1)
( ゜ー゜)テケテケ(更新でございます)
namaḥ samanta-buddhānāṃ pṛthiviye svāhā(ナマハ サマンタブッダーナーン プリティヴィイェー スヴァーハー)
マイス僧院の本堂に、リィフが唱えていたものと同じ地天呪が繰り返し響いていた。
ずらりと並んだ僧侶たちの先頭には、豪奢な法衣を纏った僧院長ノインの姿。
護摩壇に火を焚き、マールゥト侯爵家ジュノーの平癒を願い、治癒と医療の女神プリティヴィへの祈りの言の葉を繰り返していた。
平癒と言っても、ジュノーになにがあったのかまでは知らされていない。
ただ、ジュノーが倒れたということ、ジュノーの平癒を願う祈祷をせよという連絡だけが届けられた。
わけもわからぬまま、ただ侯爵家に対する忠誠を示すためだけに十万遍の祈祷を宣言したノインは、一時間ともたず力尽き「言の葉を止めるな、皆で順に祈りを続けよ」と言い残して自室に戻って行った。
それを引き継いだ副僧院長シンはまず一千遍の地天呪を唱え、次の祈祷をベリスに引き継ごうとした。
が、姿が見当たらない。
――逃げたか。
祈祷に飽きて逃げ出したのだろう。
取り巻きの青年僧のひとりに護摩壇を任せて庭に出ると、ベリスは一人で木槍を振るっていた。
涼しげな表情だが、槍筋は全く見えない。
一撃当たれば命はないだろう。
「なにをしている」
「侯爵様の平癒祈願に、槍を奉納しているの、下手な祈祷より利益はあると思うわ」
ベリスは平然と応じた。
「適当なことを、下のものに示しがつかん」
「私以外はみんなちゃんと言うこと聞いてるでしょ? それで満足しておいてちょうだい」
悪びれずに応じたベリスは、縁側に立ったシンの足下を木槍で示す。
「ただ抜け出してるのもなんだから、交代表を書いてみたんだけど、確かめてくれる?」
「交代表?」
「ええ、十万遍っていうけど、地天呪を十万回唱えたら、一遍五秒でも五十万秒。不眠不休で五日以上かかるわ。百人で千遍ずつとなえて合わせてハイ十万遍っていうなら無計画でもいいけれど、そういうわけじゃないんでしょ?」
「侯爵様の平癒祈願なのだぞ、そんないい加減なことが許されるはずがない」
護摩壇の前で連続して唱え続けてこそだ。
頭数を集めて一気に数を稼いでも意味が無い。
「やっぱりそうなっちゃうでしょ?」
ベリスは木槍を斜めに立て、そこに頬杖をつく。
「じゃあ、計画立てとかないとダメよ。僧院長と違って思いつきを放り投げていい立場じゃないんだから」
「五日程度がなんだ。修行と思えばどうということもない」
「私はイヤよ。侯爵様が五日で回復しなかったらどうなるの? 僧院長が次は百万遍って言い出したら? 僧院長を止められる? 突いちゃっていいの?」
返す言葉が出てこなかった。
他の相手であれば、「生意気なことをぬかすな」と怒鳴って殴りつけ、突き転がせば済む話だが、ベリスにそれは通用しない。
どんな生き物でも、ひと突きすれば殺せる男。
僧院長ノイン、あるいは侯爵ジュノーでさえも、頭ごなしに押さえつけることのできない存在だった。
「……わかった」
屈辱感、敗北感をかみしめながら、シンはベリスに同意した。
「ところで、おまえ……リィフをどうした?」
それまで聞けずにいたことを問う。
直接見ることはできなかったが、僧堂に戻った後、凄絶としか言いようのない闘気を感じた。
竜巻を目の前にしたような、全身が凍り付くような感覚に、マイス僧院の全員が息を呑み、息を潜めた。
ベリス、そしてリィフが放ったものであることはわかったが、そのあとの決着がどうなったのかはわからない。
ベリスは機嫌良く、リィフのほうも特になにをされた風もなく朝餉に顔を出した。
「気になる?」
ベリスは微笑んで問う。
神像を思わせる、端正な表情。
腹の底を見透かされているような感覚をおぼえ、シンは言葉が出なくなる。
答えを聞くのは、恐ろしかった。
おそらく、ベリスはリィフに本気を見せた。
シンも含め、マイス僧院の僧侶達相手には見せることのない本当の力を。
全力を見せるに値する相手として、リィフを認めた。
同世代の副院長であるシンを差し置いて。
たかが十四の、稚児まがいの小僧が、シンよりも格上の存在だと認識されたことになる。
認めていいことではなかった。
認められるはずもなかった。
( ゜ー゜)テケテケ(お読み頂き有り難うございました)
次回は明日昼更新の予定です。
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