[002] Machine Doll
§――――――――§
「……」
男は剣呑な視線を絶やさぬまま、じわりじわりと距離を詰める。
現状把握している対手の能力は不可視の遠隔斬撃と瞬間移動だ。細かい発動条件は分からないが、少なくともどちらも発動前に声を発する必要が有る事だけは確かである。
(『魔術』か……)
男は内心で呟いた。
魔術とは『叡智の泉』の水を飲んだ貴族のみが使える神秘の技法だ。空中に火を生み出したり、風や水を自在に操り、傷を癒すと言う奇跡を起こす事が出来る。
貴族が貴族足り得る要素の一つであり、彼は魔術が使えない為に排斥されたと言う過去を持つ。
だが時に市井の中からも先天的に魔術を使える者が生まれる事が有り、しかもその場合は仰々しい詠唱など用いずに神秘の力を揮うのだと言う。
相対している存在の不可思議な能力も魔術の類だろう。長い予備動作も無く強力な遠距離攻撃を仕掛けて来るのは厄介だが、彼なら回避も防御も不可能ではない。
「ゥ、ゥ、ゥ……」
女の形をした怪物は時計の針がカチコチと鳴るように規則的な呻き声をあげながら男を見詰める。
黒い滴を垂らしながら風に揺れる柳の如く立つ姿は悍ましいが、良く見れば容姿や肢体は美しい女性である。腕の可動域がおかしな事になっていたり、半開きの口から絶えず黒い液体が零れ出ている事を除けば、だが。
(呼吸音は無し。ゴーレムのそれに似た雑音混じりの声。これは生きたものではないな。そしてこんな迷宮の最奥から出て来た。とすると……)
「ゥ、……」
にじり寄る男の爪先がある一点まで届いた瞬間、ぴたりと怪物の呻き声が止まった。
彼我の距離は約十メートル、歩数にして小股で三十、大股で十五。
「ッ、勢ァッ!」
敵の射程圏内に入ったと理解した男は即座に大地を踏み抜き、一直線で疾走する。
「■AA■!」
怪物がノイズ混じりの叫び声をあげ、男の正面に幾つもの見えない斧が生まれた。
しかし彼は事も無げにするりと一つ目の刃を躱し、二つ目の刃を飛び越え、三つ目の刃を弾く。
見えていたとしても防ぐのが困難な連撃を易々と潜り抜けた事がその武威の凄まじさを物語る。年若くとも剣聖の弟子にして御前試合優勝者、そして最新の竜殺しである。
「嘉ッ」
男は一足一刀の間合いまで詰め寄った。
左剣を担ぎ、右剣を左脇で構える、ヴド流斬法で言う「戈立ち」を走りながら維持している。
「ェE■■■!」
怪物がたおやかな手を振るって抵抗する。
だが女人の細い腕では戦士の暴力に抵抗など――――
「ッ!?」
鞭の如くしなる腕が刃とぶつかり、男の右剣は快音を立てて弾かれた。
硬い。肉を斬るつもりで石を斬ったような、骨を斬るつもりで鉄を斬ったような、或いはそれ以上の想定外の強度と質量に男の剣が打ち負けたのだ。
だが二刀流の剣士は一撃を逃したとしても終わりではない。予想に反した事が起きたとしても死合の空気に慣れた男は即座に二手目を放つ。
ヴド流斬法『絶風』。牽制と本命の連撃をカウンターとして運用する技法である。縦の斬撃と横の斬撃を組み合わせる事で本命を回避させ辛くする工夫が為されている。
「……獅ィ!」
肩に乗せるようにして保持していた左剣が半円を描いて怪物の首へ叩き込まれた。
「ァA■!」
響いたのは堅い岩盤へ鶴嘴を振り下ろしたのかと思う程に高い衝突音、そして既に限界を迎えていた剣に皹の入る音。
刃は僅かに怪物の首へ食い込んでいたが、男の怪力を以てしてもそれ以上は進まず、引こうとしてもびくともしない。
「溌ッ!」
彼は躊躇いなく膝蹴りを怪物の胴体へ叩き込んだ。
鉄をも歪ませる蹴りが重く響き、女の口からゴポリと黒い液体が吐き出される。
しかし代償として怪物に触れた足が動かなくなった。剣と同じく、薄皮一枚の所で凍ったように固定されている。
「チッ!」
「ィイイ■■!!」
拙い状況に男の表情が僅かに歪んだ瞬間、怪物の悲鳴染みた叫び声が至近距離で響いた。
「愕ッ……!?」
透明な斧が彼の胴体へと命中し、そのまま数メートル程も吹き飛ばす。
「オォ■ァA#■%■¶■❖■」
怪物がざわざわと髪を蠢かしながら奇妙な音声を発したかと思うと、大部屋の天井や床から大量のウーズが湧き出して来た。
金属質の輝きを放つ不定形の存在は結び付き合い、銀色の集合体となる。そして仰向けで倒れた男を圧し潰そうと忽ちに襲い掛かった。
大地に裂け目を刻み込む程の一撃の後である。常識的に考えれば胴体が二つ別れになっていてもおかしくない程の威力であり、追撃など過剰にも思える。
「ァA……」
だが黒い髪の女は僅かにでも自分に傷を負わせた存在が活動停止していない可能性を低くは捉えていない。
だからこその大質量による圧殺である。警戒レベルの上昇に伴い思い出した汎用無機物工作流動体の指揮権限を使い、単純で効率的な攻撃を行った。
大量のウーズによる質量攻撃が実行され、バシャン、と大量の液体が詰まった風船が弾けるような音が響く。
「――――」
果たして、押し寄せる銀の波を四分五裂に斬り裂いて男は立っていた。
「カハッ、ハッ……。ヴド流斬法、『鐵鼓』……」
荒い呼吸に紛れてボソリと呟く。
彼がやったのは単にウーズを斬って裂いたと言うだけだ。
分厚い液体金属の壁へ凄まじい力で幾度も剣を叩き付けて、形が修復されるよりも先に破壊すると言う剛剣である。
しかしその代償に剣は二本ともボロボロとなり、あと一度でも振るえば砕け散りそうな程だった。
「Nァ■Uゥ■……」
歯車の瞳がキチキチと紅く輝き、黒一色だった髪の一部はピンク色に変色して発光している。
男の暗い赤色の服には確かに傷跡が残っていた。だが、その下の肉体は肋骨の一本すら折れず健在だ。
「Kィ、■、危■度……サササ、再計■……」
ウーズの壁を斬り破る膂力、念動斬撃を受けて平然と立ち上がる頑強性、それは狂っていた彼女の思考を少しだけ正常な物に戻した。
「フゥゥゥ……」
気焔を纏い、ゆらりと銀眼の剣客が構え直す。
(狂った、『女神』、か)
「……敵対■標の危険■を、再■算し■す……」
彼の眼前で、黒い髪の女から放たれる威圧感が急激に増していた。
§――――――――§
[Tips]
ヴド流斬法。剣聖ヴドの編み出した戦闘術。王国御典流のケンド流とは異なり、対強化人間や対機械人形を想定している。
「戈立ち」から放つ『絶風』、「衣立ち」から放つ『鐵鼓』、「兆立ち」から放つ『捻顎』、「牙立ち」から放つ『月輪』、「斗立ち」から放つ『雷電』などが技法として有る。
また、素手で戦う為の「鈍」や鋼糸を用いた「傀」の型なども有る。
御前試合においてその名を広めたが、弟子以外には剣聖ヴドの姿を見た者が居ないと言う謎の多い剣術である。
§――――――――§
ヴド流斬法『鐵鼓』とは双剣の連撃である。右剣を下段内側、左剣を中段外側に流して構える「衣立ち」から放つ。
右剣による斬り上げ、もしくは左剣による横一閃から始まる連撃は左右の剣を振る反動を逆側の剣に利用する事で動作の回転速度を上げている。
その勢いは人間相手に用いるには些か過剰な程。しかしながらそれ程の猛攻は剣にも大きな負荷となる。
「吸……、吐……」
深く低い気息が男の全身に力を漲らせた。
ただでさえの怪力である。そもそも二刀流に手を出したのは諸手で剣を使うとすぐに壊してしまうからであり、人を斬るのには片手の力で事足りるからだ。
その理由は彼の肉体に有る。
先程傷を受けた胸元を見れば、赤い血管の下の筋肉が鈍く金属光沢を帯びている事が分かるだろう。
『珪素置換筋繊維体質』。この体質は『落陽の日』以前から症例が報告されていたが、現在では約十万人に一人の割合でこの体質となっている。
そして更に『複層微小構造管骨格』。カルシウムナノチューブの層が骨髄を保護している為、たとえ強力過ぎる筋肉を持っていたとしても多少の無茶が罷り通る。
さながら生体重サイボーグ。そんな肉体の持ち主が全力を出せば、そこらの数打ちの剣では秒で砕け散る。
「■算中……。<Error!> 計算中……。 <Error!> <Error!> ……計■完了」
その言葉と共に、男の周囲に飛び散っていたウーズが怪物の下へと引き寄せられた。
桜色の光は徐々に量を増す。何処か官能的なその色が銀色の流動体に乱反射し、悪夢染みた光景が男の目の前に広がった。
「都■法例外■■の起動■印を解■。上■権限を■■、当該地■のクラフ■ユニットに■造を■■ます」
所々にノイズを交えた声がウーズを支配し、半球体を成していた銀色の集合体から黒い筒状のオブジェが姿を見せ始める。
「ッ……!」
直感的に理解出来る脅威。男の背筋に冷や汗がドッと浮かんだ。
彼の予想が正しければ、目の前で造られているのは盾や壁で防げるような代物ではなく、下手をすればこの迷宮ごと崩し得る破壊力を秘めている可能性すら有る。
「完■まで■り百六十■秒」
バキバキと音を立てて怪物の姿勢が修正され、その身に張り付いていた布が伸縮してドレス状に変形した。
そして現れたのは少女と言える程の若さの無機質な美貌の淑女。
いや、最早〝女神〟だ。不老にして不死、鋼鉄の肢体と頭脳を備えた、死と破壊を齎す先史文明の遺産。
壊れた人工知能が戦闘に臨んで性能を取り戻したからか、チェリーピンクに輝く髪の割合は全体の半分まで増えている。
「治安■理用■械人形管■官モデ■『JP-8010』、……参り■す」
黒いドレスを身に纏った女神は可視化出来そうな程の殺気を振り撒きながら、両の掌底から刃を伸ばした。
「~~チィッ!」
鋭く舌打ちをして、男は地面を蹴り後ろへ走り出す。
素早い判断と優れた運動性能は敵から距離を取る最適な行動を取ったが、相手が悪かった。
「――逃し■せん」
俄かに女が目の前へと現れる。
今までも使っていた瞬間移動だ。だが、先程までとは違い、転移前に発していた声が無かった。
致命的な間合いである。
予想だにしていないタイミングでの空間跳躍は男の虚を突き、回避する余地が無い。
右手首から尺骨の延長線上に伸びた細い剣は刹那の後に男の心臓を穿つだろう。
そう、彼が既に構えていなかったのならば。
「――己ッ」
左右の剣を首の横に構えた「兆立ち」から放たれた『捻顎』が鋏の如く同時に対手の刺突を捉えた。
限界を迎えていた双剣は甲高い音を立てて砕けたが、それは女の細剣も道連れにして三重奏を奏でる。
「 」
「 」
剣の欠片がキラキラと宙を舞う一瞬、互いの視線が交差した。
ゼリーの中を泳ぐようにゆっくりと進む時間の中で、男の手が空中で回転する折れた細剣を人差し指と中指の二本で掴み取る。
これで双方、得物は剣一本。距離は斬り結ぶに事足りる。
「――ィYYY!」
「――捨ァァッ!」
故に、剣戟が始まった。
女が男の眼へ向かって残った左の剣で突く。男は剣の腹で逸らし、くるりと手首を巻いて女の喉を狙う。
女は屈みながら右手で弾き、足払いを掛ける。男が左の下段蹴りを合わせ、鉄塊が衝突したような重低音が響く。
体勢から判断して接触部の念動固定が行われても問題ないと言う男の思考だったが、果たして女は蹴り足を固定する事はせずに立ち上がり様への横一閃へと繋げた。
男の左脇腹へ命中。だが鋼鉄の如き腹斜筋と高密度の第十肋骨は如何に機械人形でも細剣の斬撃では容易く抜ける物ではない。男はそうなる事を予測し、歯車の形に輝く女の眼を掠るように最小限の動きで剣を振るっていた。
最適に近い剣の冴え。だが女は偶然に近い形で左腕を盾とし、感覚器を損なう事を防ぐ。金属音が響き、半流体合金製人工筋肉が剛化超々ジュラルミン製の刃とぶつかり、澄んだ高い音を響かせる。
双方共に生身の人間とは防御性能が桁違いであり、決め手に欠けている。
膠着状態が続けば新たな武装を準備している女側が有利となる。となれば、多少の無理を通してでも状況を動かさなければならない。
「絶ッ!」
男は二本の指で保持していた剣を五本の指で握り直し、刃が自分の手に食い込む事も構わずに全力で袈裟斬りを放った。
「甘ィY!」
女は左の掌で受ける構えを取り、右の剣の平突きで心臓を狙う。
衝突。
およそ人型の存在が立てたとは思えない轟音が炸裂した。
「ッ……」
「G……」
刹那の停滞。反動とダメージを抑え込む為に、一瞬動きが止まって視線が絡み合う。
男は左手を剣に添わせる事で細剣の耐久を超えた一閃を実現し、鋼鉄にも勝る強度を誇る女の左腕がズルリと滑り落ちた。
だがその代償として男の両手はズタズタになり、胸には剣先が突き立っている。
……そう、剣先。全霊の一撃が彼女のバランスを僅かに崩した事で、細剣は肋骨に遮られ、彼の命は辛くも拾われたのだ。
「ヴド流斬法無手の型、『鈍』……」
ゴギリ、と男の双手が不気味に鳴る。皹の入った細剣は掌から零れ落ち、四本の指を束ねた手刀が己の血を纏いながら二振り出来上がった。
無論、怪力無双にして岩よりも頑強な肉体を持つこの男が素手で戦えぬ道理が無い。
「ァ……」
女の喉から解析不能の呻き声が漏れる。
もしも彼女が人間であれば、それが恐怖と言う感情であったのは確かである。
「払ッ」
男の手刀が胸に突き刺さっていた剣をあっさりと叩き折った。
「Kゥ……!」
女はその様を見てすかさず距離を取るが、それは悪手である。
せめて空間跳躍を使うべきだったが、少しでもこの恐ろしい存在から離れようとする怯えが鋼鉄の頭脳を誤らせた。
「――逃がさんよ」
女が退いた事で出来た空間に男は倒れ込むようにして前へ出る。
重心を下げる事による体重移動はそれ自体が攻撃の予備動作であり、力みの無い溜めである。
ぞっとする程に無駄の無い動きで男は一歩を踏み出し、二歩目で大地を踏み締めた。
重機に匹敵する筋力での踏み込みが巨大な竜に踏み固められた地面をたわませ、その反作用は脛、膝、腿、腰、背骨、肩、上腕、肘、そして前腕へと伝う。
砲弾の如き貫手が放たれ、一直線に女の胴体へと向かった。
――――衝突音が轟く。
「……■!」
女が咄嗟に展開した念動障壁は突き破られ、三十メートル近くも吹き飛ばされていた。
ドレスは裂け、左腹部には四つの穴が縦に並んでいる。
だが、壊れてはいない。
「ぐ、が……ハッ」
男は刺さっていた剣先にカウンターの蹴りが当たり、衝撃で傷付いた肺から血を吐き、膝を突いた。
恐るべきは剣客か、機械人形か。
どちらも窮地にあって尚反撃を可能とする武を備え、戦況は目まぐるしく流転する。
……しかし、決着の時はもうすぐそこまで迫っていた。
§――――――――§
[Tips]
疑似人格。機械人形に搭載された高度な感情プログラムが組み込まれた人工知能、及びそこから発生した個たる自我の事。
複雑化したAIは同一のデータから作られた物であっても固有の感情表現を選択する個体差を生んだ。
つまり、アンドロイドは心を獲得するに至ったとされる。
§――――――――§