19、鳴海の目覚めと別離
お久しぶりの投稿です。内容はタイトルから察していただけるかと。
朔が寝入ってしまってから、俺は鳴海の見舞いをどうしようかと考えていた。
朔が眠っている間に行っておくか、だがもしまた俺のいない間に襲撃されたらと思うと今一踏ん切りがつかないでいる。
・・・・だが俺はまた明日から仕事だし、少なくとも明日俺が仕事から帰るまで朔は一人になる。
仕事に連れて行く訳にはいかないし、朔には家に居てもらうしかない。
だから今日朔を置いて鳴海の見舞いに行ったとしても、明日のことが今日のことになるだけだ。
でも、
「今日はきつかったからな、」
俺がそばにいて朔が安全かどうか、とか安心かどうかなんて分からないが今日は傍に居た方がいいように思う。
「・・・・・なんか飯作ってやるか」
目を覚ましたらすぐさま空腹を訴えるに違いない。俺は自分自身を歳の離れた弟の面倒を見る兄のように感じながら、立ち上がった。
何か良い匂いがするなぁ、と朔は浮上しつつある意識の中で思っていた。醤油の香ばしい香りが鼻を擽る。
お腹、すいたなぁ・・・・・・。
卓袱台に料理を盛り付けた皿を置くや否や、朔の方からぐるるるるる、という音が響いてきた。
「お目覚めか、朔」
「・・・・・・うん、」
朔は顔を赤らめながら上体を起こし、皿の上の料理を見てごくりと咽を鳴らした。
現金な奴だな、と俺は苦笑する。
「飯、食えそうか?」
ある意味意地悪な質問だったか。
朔はこくりと頷いて布団から抜け出してきた。
「手ぇ洗って来い。立てるか?」
朔は両手を床について、ゆっくりと立ち上がる。少しふらつくが、大丈夫なようだ。
「タオルはこれ。トイレ行っとくか?」
「ん、大丈夫、」
朔は流しで手を洗った後、卓袱台に戻って来た。顔色も良くなったし、錯乱した様子もない。
「あの、」
座った瞬間、朔がポツリと言葉を溢した。俺はどうしたのかと思う。
「僕、本当にここにいて、良いの……?」
「は?」
「今日、すごく危ない目に遭わせて……、春樹さんにも色々言われて、銃だって向けられて……ほんとに、ごめんなさい、」
朔の言いたいことは分かったが、言葉がばらばらになっている。
俺はただ朔を見つめる。
「危ないんだよ、僕がいると。斗賀野さんが出ていけっていうなら出て行くから。ご飯作ったり、優しい言葉かけてもらったりしたら、此処から離れたくなくなっちゃうから……だから、」
「だから冷たくして欲しいってか?」
「………」
「お前は此処から出ていきたいのか?そうなら俺がお前にどういう態度を取ろうが出ていけば良い。反対に此処に居たいのなら俺がどういう態度を取ろうが居たら良い。嫌がるのを無理矢理どうこうしたりしないよ、俺は」
朔は顔を両手で覆って俯く。だが手の下から流れるものに、俺の目は吸い寄せられた。ひくっ、と肩が揺れる。
「早く食え。冷める」
朔が行動を起こしやすいよう、俺は朔から離れた。書き物用の机に向かった。朔を背にする形だ。
「要するに好きにしろってこと」
いつも通りの平坦な口調だと自分で思った。
朔は飯を食い終わると、また死んだように眠った。捲れた布団を直してやった後で、俺は汚れた食器を洗う。指先に冷えた水が心地よい。
(鳴海は、)
鳴海は、どうしているだろう。章介さんと、意思の疎通が出来ているだろうか。
(でも、今はまだ出来ていなくても)
生きていてくれて良かった、と俺は思った。
食器を洗った後は、書類仕事に入る。
げっ、そう言えば明日新刊出しじゃねぇか・・・・・・早く出ないとな。
俺は文庫・新書本と生活書を兼任している。主は文庫だが、生活書には社員が一切いないため兼任ということになってはいる。なってはいるのだが、生活書はパートのかたがたがしっかりした面子が揃っているので、俺はあまり口を出していない。・・・むしろ出すと怒られる。
皆さん良い人ではあるのだが、如何せん気の強いかたがたが集まっているのだ。
そして明日は大手出版社の文庫の新刊発売日。棚整理に品出しに忙しい。あまり売れていない商品の返品もしなければ・・・・・。
実際返品処理をするのは裏方の人たちの仕事だが、あまり返品の量が多いとあまり良い顔をされない。
・・・・売れないものは仕方ないじゃないか。
「・・・・・・・っくしゅん、」
朔がクシャミをする。寒いのだろうか。
俺は朔に向き直る。穏やかな顔で眠っているから、心なしホッとする。誰かを案じるなど久しぶりの感覚だ。
「さて、仕事片付けちまうか」
俺は一人決意をし、再び机に向き直った。
「・・・・・・・」
鳴海のおじ、章介は項垂れたままで甥が目覚めるのを待っていた。
起きてくれ、と何度思ったことか。
「頼む、起きてくれ」
どうしてこんなに優しくていい子が殺されそうにならないといけないんだ。
「頼む。頼むから・・・・・」
だが鳴海は目覚めない。
「・・・・・・和晃、起きて、くれ」
章介の頬を、何度も涙が伝った。
鳴海が目を覚ました、と連絡が来たのは、午後四時近くだった。
「もしもし、斗賀野ですが」
「と、斗賀野君か!?」
携帯の向こうで、章介さんの焦ったような声が聞こえて来た。
真逆鳴海の容態が急変したのでは、と俺は嫌な想像をしてしまう。だが、
「和晃が、和晃が目を覚ましたんだ!!」
「・・・・・・!!」
俺は思わず背筋を伸ばした。
「鳴海が!?」
俺の大声で、眠っていた朔が身動ぎをした。起きるかもしれない。
「あぁ。今から出て来れるかい?和晃が斗賀野君に会いたいそうだ」
鳴海が俺に会いたがってる?
「・・・・・分かりました。今からすぐ病院に向かいます」
朔のことが一瞬気にかかったが、鳴海に面会したい気持ちもあった。もし俺が鳴海と対面することで少しでも鳴海の活力になるのであれば、そんなのお安い御用だった。
「あぁ。また病院に近くなったら連絡をくれるかい?面会時間外になるから、色々と必要みたいなんだ」
「分かりました。じゃあまた後で」
俺は携帯を切り、朔をゆすってみた。朔は覚醒が近かったのか、すぐに目を開けた。
「・・・ん、斗賀野、さん?」
「朔、鳴海が目を覚ました」
「!」
眠そうだった朔の目が見開かれた。両手を使って半身を起こす。
「ほ、本当?」
「今携帯に章介さんから電話があった。俺はこれから病院に行って来るけど、・・・朔はどうする?」
朔は喜びが浮いた顔を、しかしすぐに曇らせた。俄かに体が震えているようだ。
「あ、・・・・僕、は」
脳裡に今日の出来事が巡っているに違いない。拉致された場所にまた行くのだ。並大抵の勇気がいることは想像できる。だから無理にとは言わなかった。朔本人の判断に任せたい。
朔が縋るような目で俺を見上げてくるが、俺は、
「朔が決めろ」
とにべもなく言い放った。朔は俯いて、指を弄る。
「僕、は」
「早く決めろ」
容赦ないことは分かっていたが、俺も鳴海の無事を早くこの目で確認したいから、朔を急かした。
「・・・・・・朔」
「い、行く」
「大丈夫か?」
「本当は、恐い、じっとしてたい。・・・・でも、一人でいるほうがもっと恐い、」
分かった、と俺は頷き、朔に上着を貸してやる。
「前のボタンを閉めとけば中がパジャマでも少々構わんだろ。行くぞ」
朔はおずおずと上着を着込み、こくりと頷いた。
今朝と同じようにタクシーに乗ったが、一度乗ったことでもう慣れたのか、朝のように朔は落ち着きがない、というようなことはなかった。
「着きましたよ」
運賃を払い、降車場で降りると、事前に連絡していたから章介さんが病院の玄関で待っているのを見つける事が出来た。
章介さんは朔の姿を認めると、一瞬心配そうな顔をしたが朔がちゃんと辞儀をするとすぐに鳴海に良く似た柔らかい笑みを浮かべた。
「病院の方には事情をお話してる。手続きも済んでるし、行こう」
俺と朔は二人して頷きながら、章介さんの後に続いて鳴海の病室を目指した。
外科病棟、三階。ナースステーションの前を突っ切り、一番端の病室へ案内される。どうやら鳴海の病室は此処らしい。
「・・・・今、鳴海は?」
「斗賀野君が来てくれる、と言ったら嬉しそうな顔をしてね。声を出すの、まだ辛いはずなんだけど、じゃあ待ってる・・・って」
俺はその言葉に思わずむず痒い気持ちになった。鳴海はそこまで俺を慕ってくれているのか、と思う。こんな“欠陥”だらけの俺を。
「和晃、斗賀野君が来てくださったよ」
開けたドアの向こう、酸素マスクをつけた鳴海の姿があった。
人の気配に気付いたのか、閉じられていた瞳がそっと開いた。まずその瞳は章介さんを捉え、続いてゆっくりと俺の方を見た。
「・・・・・鳴海、」
俺が鳴海の名を呼んだ瞬間、
鳴海の大きな瞳に、ぶわっと涙が膨れ上がった。
「・・・・・っ、ぱい、せん・・・・ぱい、」
俺は鳴海のひやりとする手をそっと握った。
「ちゃんと生きてたな」
「せ・・・ぱい、の声・・・したんです、」
酸素マスク越しのくぐもった声でも、俺の耳には不思議とはっきりと届いた。
「俺の?」
微かに頷いて、
「僕に・・・死ぬな・・・・って、声、して・・・せん、ぱいに、また会い・・・・たくて、」
もうあとは言葉にならなかったらしい。鳴海は目を閉じて、苦しげな嗚咽を零す。
「もう喋らなくて良いから、寝ろ。今は、ちゃんと体を休めて、早く元気になって章介さんたちを安心させてやれ」
鳴海はまた頷くと、再び眠りに落ちた。本調子になるには、まだまだ時間が必要だろう。
俺の声で命を取り留めるなんてな、と俺は眠り続ける鳴海を見下ろしている。
俺なんかの声で、救われる命があったなんて。
「斗賀野君、腹減っただろう」
章介さんが差し出してくれたサンドイッチを、俺は頭を下げながら受け取る。
「あの、すみません。鳴海の見舞いに来たのに、来た方が休んでしまって、」
俺は朔が眠っている空きベッドの方を見遣りながら言った。章介さんはもう一つのパイプ椅子に腰を下すと、穏やかに微笑んだ。
「・・・・いや、気にしなくて良いよ。どうやら彼も疲れてるようだし、和晃のお見舞いに来てくださった大事なお客様だからね」
「・・・・・ありがとうございます」
章介さんは本当に人間が出来ていると思う。俺なんかとは違って。
「斗賀野君、何かあったのかい?」
「・・・・・え?」
「何だか顔が暗いから・・・・キミ、基本的にあまり感情を表に出さないから」
俺は思わず章介さんから顔を逸らす。
「・・・・・和晃のこと、これからも頼むね」
章介さんは意図的なのか、コロコロと話題を変えてくる。
「俺、なんかで良ければ」
自然と口にしてしまった、自分を卑下するような“なんか”という言葉。
「和晃は、キミのこと本当に好いて、本当に慕ってるよ」
「・・・・そう、ですか」
喜んで良いことの筈なのに、素直に喜べない自分がいる。どうしてだろう。
真逆、鳴海を重荷に感じている・・・・・のか?
「私は少し外の空気を吸ってくるよ。キミは?」
「あ、・・・・・俺は、鳴海を見てます、」
「そうか。頼むよ」
章介さんは俺に鳴海を託すと、ゆっくりとした動作で病室を出て行った。
「・・・・・・・・・」
好いて慕われるほど、俺は鳴海に何かをしてやれているのだろうか。初めて出会った時、不良に絡まれていた鳴海を助けたからだろうか。インプリンティングの類ではないのか。・・・流石にそこまで言うのは大げさか。
「・・・・全く、朔の奴。暢気に寝やがって、」
俺は椅子から立ち上がり、朔の眠るベッドに近付いた。
朔は穏やかに呼吸をし、少し笑みを浮かべて眠りに就いている。俺の部屋よりも病院の方が居心地が良いのだろうか。
「・・・・・ん、むぅ、」
小さく声を漏らしたが、朔が目覚めそうな雰囲気はない。
・・・・・まあ今日は恐い想いをしたから、ゆっくり休めば良いか。俺はそう考え、乱れた掛け布団を綺麗に掛けなおしてやる。
「そう言やぁ、俺も眠たくなってきたなぁ、」
一度そう思うと、本当に眠たくなってくるのが人間というものらしい。
いかんいかん、俺まで寝るわけにはいかない。首を左右に振って、俺は眠気を覚まそうとする。
「・・・せ、ぱい?」
鳴海の口が小さく動いて、俺を呼んだ、気がした。
「鳴海?」
「・・・・ださ、い、」
上手く聞き取れないが、口の動きから、“僕は良いから、休んでください”と言う風に言われたのだと思う。
「・・・・・・・」
鳴海は口の動きで話そうと思ったらしく、声を出さない。やはり辛いのだろう。
“僕はもう大丈夫です。明日もお仕事ですよね?僕が言えた義理じゃないけど、ゆっくり休んでくださいね”、だろうか。
俺が気を遣われてたら世話ないな、と苦笑する。
「ありがとな、鳴海」
にっこりと微笑んで、鳴海は目を閉じた。
額をそっと撫でてやると、鳴海が気持ち良さそうにした、気がした。
朔はうっすらと目を開けた。開けた瞬間に、溜まっていた涙が頬を流れる。
(僕のせいで。僕のせいで鳴海さんは死にそうになって……斗賀野さんは鳴海さんを思って苦しんで……。僕のせい、僕のせいで皆、皆)
脳裏に響く、兄の冷たい言葉。
『お前の存在は疫病神と同じだ。誰彼構わず、他人を不幸にする』
あの時は、掴まれた腕だけじゃなくて、……心も痛かった。色のない兄の目が怖くて、足が震えた。
『だから、黙って僕の横に居ろ。僕は、朔になら不幸にされても良い』
兄が自分を手元に置きたがっていることは知っている。分かっている。
(でも、凄く怖い……。いつか、いつか兄さんに本当に殺されそうで)
だから逃げた。自力ではないけれど、逃げた。理由は兄さん以外にもあったけれど、一番の理由は、
「………朔?」
俺が声を掛けると、朔は横にした体をビクッと大きく震わせた。そして涙をこぼし続ける目を、ゆっくりとこちらに向ける。
「と……がの、さん」
「お前、泣いてるのか?」
近づいても全く俺に気が付かないから、ぐっすり眠りこんでいるものだとばかり思ったのだが。
「………な、泣いてなんか、」
「泣いてんじゃねぇか。思いっきり」
「!!」
朔は俺を振り払うように、バッと掛け布団を顔に被せた。
「朔、」
「何でもない!何でもないから、」
朔があまりにも頑固に言い張るから、俺は肩を竦めてそれ以上の追求を止めた。
「分かった、分かったからデカイ声出すな。鳴海が目を覚ます」
「ご、ごめんなさい、」
俺は溜息をつきながら、腕時計を見る。
時間は夜の七時半。
そろそろ出るべきかも知れない。章介さんは家族だから良いにしても、流石に俺までずっと傍にいる訳にはいかない。
「朔、出るぞ。鳴海も落ち着いてるみたいだし、もう大丈夫だろう」
「分かった・・・・・」
朔は掛け布団をかぶったまましばらく中でもぞもぞしていたが・・・恐らく涙を拭っていたのだろう・・・ようやく起き出した。
「あの、鳴海さんに・・・挨拶しても、良い?声は、掛けないから。起こさないように、するから」
「あぁ、良いよ」
朔はぺたぺたとスリッパの音を立てながら、眠る鳴海の横に立った。
長めの前髪で隠れ、朔がどんな表情を浮かべて鳴海を見ているのか、俺からの位置では分からない。ただ、小刻みに震える肩が朔の心中を知らしめるような気がした。
「朔」
「・・・・・・・斗賀野さん、」
「何だ?」
「・・・・僕の、所為だね」
唐突に紡がれた言葉に、俺は眉根を寄せながら朔に近付く。朔から何やら不穏な空気が漂ってくる。
「?」
「僕の所為で、鳴海さんはこんなにボロボロになって、僕が、兄さんから逃げ出したから」
震える声。ギュッと握り締められた拳。鳴海から離れない視線。
「・・・・・だから言ったろ?朔の所為じゃあ、」
「居たいなら居れば良いって言ってくれたこと、本当に嬉しかった」
朔は俺の言葉を遮り、そんなことを言い出した。
「おい、」
「そんなこと言われたの初めてで、本当に嬉しくて、僕なんかでも居場所があるのかなって、思えて。僕は、それが嬉しくて、」
頼りなく紡がれていく言葉。俺は黙って耳を傾けるしか出来ない。
「・・・・・でも、やっぱり無理だ。人をこんなに傷付けてまで、僕が幸せになって良い訳がないんです」
「・・・・・・」
「痛いのは嫌だけど、僕のせいで人が傷付くのはもっと嫌だから、だから、」
朔がいきなり俺の方を向き、涙の滲んだ瞳でにっこりと微笑んだ。白い眼帯で覆われた片目は、泣いているのだろうか。
「・・・・・・・僕は、もう斗賀野さんや鳴海さんの近くには居られない。甘えたら、きっともっと傷付けることになるから、そんなの嫌だから」
「朔、」
「ありがとうございました。ご飯、とっても美味しかったです」
その瞬間、朔の拳が俺の腹部に直撃し、俺はあっさりと体勢を崩してひんやりとした床に膝をついた。
「・・・・・・こんなことする必要なんて、無いんですけど。普通に立ち去ったところで斗賀野さんに引き止めてもらえるわけなんてないんですけど、こうした方が、離れやすいから」
「さ、」
「さようなら、斗賀野さん。もう鳴海さんを傷付けるようなことは、絶対にしません」
俺の意識は徐々に途切れ始めた。
目を閉じる迄に、朔が泣きながら何度もごめんなさいと呟くのを耳にしながら。