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18、戻って来た束の間の平穏と内省

「あれ?」

痛みはない。俺は怪訝に思いながら、上体だけを捻って振り返る。

「………兄さん、」

朔の唖然としたような声。

「何で、何で、邪魔をする!春樹っ!!」

陸の持つ拳銃は俺に突きつけられたままで、火を噴いた形跡はない。

だが立ち尽くす陸の脇腹のあたりが燻り、そこに背後から着弾したのだと分かる。平気な顔で立っている、ということはかすっただけのようだ。

陸は憎悪に満ちた目で出入口の方を睨み付ける。

「……陸、帰るぞ、」

そこには俺と同い年くらいの男がいた。片手に煙の昇る拳銃を構え、しかしその顔は苦痛に歪んでいる。

「邪魔するな!僕は朔を連れ戻しに来たんだ!」

俺の背後にぴったりくっ付いて啜り泣く朔の体がびくりと震えた、ような気がした。

男はゆったりとした足取りで陸に近付いて行く。

悲しみげな瞳から、俺は目を離せない。

「陸、悪いな」

完全に無防備になった陸の首筋に手刀を叩き込むと、陸は何の抵抗もできないまま男の腕の中に崩れ落ちた。

「は、春樹……さん、」

朔の体が小刻みに震えている。とするとこいつも朔にとって歓迎すべき奴ではないのか。

「朔」

だが発された声は驚くほど柔らかくて、俺は虚を突かれる。朔の敵、ではないのか?と思いかけた俺だったが、

「………今日は退散するけど、これだけは言っておくよ。朔、お前は“こちら”側の人間だ。その人の側にはいられないよ」

という言葉に警戒心を蘇らせる。

「!!」

朔が息を詰める。

「そのうちに分かるだろう。自分の居場所が一体何処にあるのか。自分が“どちら”側の存在なのかを」

ギュッ、と朔が俺の服の裾を掴んだ。俺は春樹、と呼ばれた男を見る。朔の保護者なのだろうか。

「あまり睨まないで貰えるかな?」

男は小さく微笑みながらそう言う。

「あんた、誰?鳴海を殺すように陸にけしかけたのは、あんたか?」

「酷い言い掛かりだね。俺はそんなことしないって言ったって、信じてはくれないんだろうね」

「……朔がすごく怯えてるからな。それにあんたの笑顔、胡散臭い」

俺のはっきりした物言いが可笑しかったのか、男は苦笑する。

「朔が(しるべ)、か。朔、随分気に入られたみたいだね」

……とことんムカつく野郎だな、と俺は思う。気に入るだの、朔を標だの、ムカつく。

「おい、」

男に向けて踏み出し掛けた俺を、朔が腕を掴んで止めた。

「ダメッ、斗賀野さん……春樹さんに触ったらダメ、」

「?」

どういう意味だ?

俺は朔が何を言いたいのかが分からない。ただ朔が男に脅威を感じ、奴と俺が交差することを恐れているのは分かる。

「朔」

「な、何で、すか?」

「お前を逃がしたのは、シルクハットをかぶった男だったか?」

シルクハット?

今町内で騒がれている不審者もシルクハットをかぶっているのではなかったか。やはり朔はシルクハットと繋がりがあるのだろうか。それに、逃がしたとはどういうことなんだ?俺は二人の様相をじっと伺う。

「どうして……、」

「やはりそうか……。あの野郎、」

小さくひとりごちた男は、また俺に視線を向けてきた。そして諭すような口調で、言う。

「悪いことは言わない。朔をさっさと手放せ。それが君の“平穏”のためだ」

朔が俺から手を放す。俺が男の言葉に素直に頷くとでも思ったのだろうか。

……残念だが、

「断る」

朔が弾かれたように俺を見上げ、男はふぅん…と意味深に鼻を鳴らした。

「と、斗賀野さん……どうして?」

「俺も聞きたい。そんなに朔が気に入ったのか?」

気に入るだの何だの、ウザったいな。

「平穏に何の興味もないって言えば良いか?」

正直なところ、俺も何故男の提案を蹴ったのかが分かっていない。だが、傍目から弱り傷付いた人間を放り出すことに少しの抵抗を抱いているのだとは思う。

「君は面白い男だ。朔、良いのに拾って貰ったな」朔は見開いた目で俺を見上げたままだ。歳に見合った表情に、俺は頬が緩むのを感じる。

「変な顔」

「なっ、だ、だって、」

「朔がそんな顔するなんてな。陸が見たらそいつに嫉妬しそうだ」

男が腕の中の陸を見てそんなことを言う。

「まぁ陸のことは俺に任せて、朔はその人に連れ帰って貰え」

意外な言葉だったのだろう、朔の視線が俺から男に流れる。

「え…、」

「嫌なのか?」

「ちが……っ、ただ、どうして連れ戻さないのかって、」

「そりゃあお前は“こちら”側の人間だから、いつかは戻ってもらうさ……でもそれは今じゃない」

俺も朔も男の考えが読み取れず、男を見詰めるだけだ。

「俺には俺の考えがあるってことだよ、朔」

そう言い、男はうっすらと酷薄な笑みをその整った顔に浮かべた。

朔の体がまた緊張に固まる。

「じゃあ朔、暫しのお別れだ。陸のことは任せておけ」

「……」

よいこらせ、という掛け声とともに男は気絶したままの陸を抱き上げる。所謂“お姫様だっこ”といわれる形で。そして男は俺を見て、

「しばらく朔のこと、頼むね」

知り合いに頼むかのように軽い口調で言い、男はゆっくりと立ち去っていく。俺たちはただその背を見送るだけだ。

「………、」

ふらっ、と朔の上体が(かし)ぎ、俺は慌てて支えてやる。

「朔、」

朔は俺の腕の中でぐったりとする。どうやら極度の緊張と、ようやくそれから解放されたことのせいで体に疲れが出てしまったようだ。体が熱く、熱があるな…と直感する。

「訳の分からんことばかりだが、兎に角朔を休ませんとな………」

流石にさっきの男みたいにお姫様だっこは誰が見ていなくとも気恥ずかしいので、俺は朔を背負うことにする。

荒い息遣いが背中に感じられ、思わず、

「お疲れさん……」

という言葉を吐き出していた。




まだ意識のない陸を近くに停めていたバンに押し込み、春樹はようやく人心地ついた。

(くそっ、)

拳銃を手にしていた右手はまだ小刻みに震えている。

『そう、お兄ちゃんはあたしを撃つのね?あたしが、お父様とお母様を殺したから』

幻影なのは間違いないのに、バンのフロントガラス越しに死んだ当時のままの“妹”の姿が見える。

春樹は何度か首を左右に振り、目を閉じながら“そんなものは見えない”と何度も念じる。交通事故でも起こそうものならあとが大変になる。それに陸の体を傷付ける訳にはいかないのだ。右手の震えは止まらず、春樹は凝り固まっていた肩から力を抜く。こういう時はあまり止めることを意識しないほうが良い。自然に落ち着くのを待つ。

(………あまりいいものじゃないな、)

制止のためとは言え、生きたものに凶器を向けることが春樹には苦痛だった。だがあの場で朔だけに向けられていた陸の意識をこちらに向けさせるためにはあれくらいしか方法がなかったように思うのだ。

(…………それに、あの男は、)

朔を拾い、家に匿った。どんな男か色々と想像はしていたが、

(なかなかに興味深い、)

と春樹は思う。

色素の薄い目は何処か望洋としているのに、力がこもると鋭い刃のような光を放つ。だが時に、朔を見る目が優しくなる。まるで弟を見るかのように。

(少し調べてみるか、)

右手の震えは収まってきたようだ。春樹は全てのことを頭の中に押し込め、バンを発車させた。







俺の携帯に章介さんから連絡がかかってきたとき、俺は家にいた。

あれから朔を連れて自宅に戻り、布団に寝かせたあと俺はただじっと朔の眠る様子を見ていたからだ。

朔は一切身動ぎせずに眠り続けているか、陸から解放されたからか穏やかな顔付きなのが救いではある。 

「もしもし、斗賀野です」

『あぁ斗賀野君かい?私だ』

「すみません、鳴海、出れたんですか?」

『まだ話は出来てないがね。命の危機はもうないそうだが、事故のショックで精神的に参ってると言われたから・・・・話すのはなかなか難しいそうだ』

章介さんは喜びと悲しみとが混在した口調で俺に言う。

『きっと君がいれくれたら和晃も安心すると思うんだ』

買いかぶりすぎだ、と俺は内心でそう思う。俺は鳴海にとってそこまで大きな存在ではない。鳴海にとっての一番はきっと章介さんたちだ。

両親を事故で一気に喪った鳴海を支えたのは章介さんたちだ。

「いきます・・・・けど鳴海が安心するかどうか」

『安心するさ。・・・そういえば君といた子だけど、具合はどうだい?』

「・・・・・・・・・やっぱり気付いてましたか?」

章介さんが電話の向こうで苦笑する。

『あれは緊張も入っていたけど、具合が悪いのだろうとは思ってた』

「・・・・・気にさせてすみません」

『構わないさ。和晃のことも知ってるみたいだし、あいつのことを心配してくれていることは伝わってきたから』

本当に章介さんは優しい人だと思う。・・・・・・俺とは違って。

「すぐ行けるか分からないんで、鳴海の病室がどこか教えてもらって良いですか?」

章介さんから鳴海の病室を教わって、電話を切った。

「ん、」

帰宅して初めて朔が声を発した。ただの呻き声か。

「朔。朔?」

起きるだろうか、と思いながら声を掛けてみる。すると朔は小さく瞼を震わせて、ゆっくりと目を開いた。亡羊とした瞳が、天井を走査し、そして、俺を見上げた。

「朔?俺が分かるか?」

色を失った唇が戦慄(わなな)き、掠れた声を発する。

「斗賀野、・・・・さん、」

「気分はどうだ?・・・・最高な訳はないと思うが」

朔は何かを考えるかのように瞳を閉じる。

呼吸は穏やかだが、陸や春樹という男のことを考えてパニックに陥るかも知れない。

だから応えは急がせず、俺はただ朔が話し出すのを待った。

やがて、

「・・・・・・・ごめんなさい、」

朔が紡いだ言葉は予想を裏切った。てっきりあの時の心理的な状態について触れてくるかと思ったのに。

「なんで謝るんだ」

「・・・・・・」

「どっちかといえば謝るのは俺のほうだろ。朔を一人にするべきじゃないっていうのは考えなくても分かることだったのに」

朔はそんなことない、と蚊の鳴くような声で言う。

「僕が弱いから。兄さんのこと、突っ撥ねる力もないから、」

今になって恐怖が蘇ってきたのか、朔はギュッと強く目を閉じて拳を握り締めた。小さく小刻みに震える体が朔の恐怖の度合いを俺に知らしめる。

「朔、あまり自分を責めるな」

「で、でも、」

「俺は怒ってないから。だから謝る必要はない・・・そりゃ心配はしたけど、」

ぽろりと零れ落ちた言葉に、俺は自分で驚いた。

心配?

・・・俺は今自分で“心配”と言ったのか?

他人を心配できる心が、俺にはあるのか?

「じゃあ心配させてごめんなさい、」

「じゃあって何だよじゃあって」

思わず突っ込むと、朔の頬が微かに緩む。

「・・・・・そう言えば、兄さんたちは?ここ、斗賀野さんの家だよね、」

そうか、朔は前後状況が理解できていないのか。

俺は朔の精神的負担にならないように、言葉を選んであの時の状況を説明してやった。

・・・・・・・・そんな気遣いがまだ出来るんだな、という軽い驚きとともに。










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