16、強襲
朔は笙汰とともに鳴海のお見舞いに来ましたが・・・・。
病院は早くも賑わいを見せていた。病院の朝は早いのだろう。
「行くぞ、朔」
人の多さに戸惑っている朔の腕を取り、俺は昨日鳴海が収容されていたICUへ向かった。
「おや、斗賀野君、」
章介さんが俺の姿に気付いて、座っていた長いすから立ち上がる。おばさんは疲れたのだろう、背もたれに背を預けて深い寝息を立てていた。
「来てくれたのか、ありがとう」
「鳴海は?」
鳴海はまだICUの中のベッドで眠っている。しかし顔色が昨日見たときよりも良くなっている。
「まだ入ってるけど、午後から一般病室に移れるそうだ。患者さんが多くて個室になるそうだけど、ヤマを越えて生きてくれているだけで私も妻も満足だ」
そう言ってガラス越しに鳴海を見つめる章介さんの瞳は優しい。実の息子を見ているかのようだ。
「・・・・・おや、その子は?」
章介さんが俺の後ろに隠れるようにして佇む朔に気付いた。朔がビクッと体を震わせる。
だがここで怯えられるようでは、先が思いやられる。
「朔。ちゃんと挨拶して」
俺は半ば無理矢理に朔と体の位置を入れ替えると、章介さんの前に立たせた。章介さんの不思議そうな目が朔を見下ろす。
見知らぬ相手の矢面に晒された朔はなかなか顔を上げることが出来ずにいたが、俺は一切の助け舟を出す気はなかった。薄情だ、冷淡だ、と幾ら他人に罵られようがこのスタンスは変えない。俺たちの間に奇妙な沈黙が流れ、先に気まずさに音を上げそうになったのは章介さんだった。だがそんな彼が声を発する前に、朔が名乗りを上げた。
「く、来栖・・・朔、です!よろしくお願いしますっ」
今にも裏返りそうな声。だが俺は笑わないし、章介さんは更にそうだ。章介さんは一生懸命な人間には優しいのだ。
「初めまして。和晃のおじの鳴海章介です。君は斗賀野君のお友達?」
「あ、ぼ、僕は」
朔が口篭もるが、当然だろう。真逆自分の兄が鳴海を殺そうとしたので、その謝罪に来ました、などとは言えないだろう。
「俺の親戚です。俺の友人が入院してるって言ったらお見舞いに行くって聞かなくて」
全くの嘘ではないが、殆どが嘘だ。章介さんに嘘を言うことは、何故か酷く気が引けるが、仕方ない。
「そうか。・・・ありがとう、和晃もきっと喜ぶ」
その言葉はどれほど朔の心を抉ったのだろう。そっと朔の顔色を伺うと、白い頬を強張らせていた。章介さんが目敏くそのことに気付いた。
「顔色が悪いね。大丈夫かい?」
俺にではなく、朔に直接問い掛ける。朔は何度も首を縦に振って、それを返事に変えた。俺は軽く朔をフォローしてやる。
「多分疲れてるんだと思います。な?朔」
「はっ、はい……っ」
「そうか。そこまでして和晃のお見舞いに来てくれたんだね。有難う」
「べ、別に、そんなに、」
「鳴海は、あれから話したんですか?」
「いや。でもたまに目を開けて、先生の声には反応するみたいなんだ」
「そう・・・ですか」
とりあえず一命を取り留めたのは確定のようだ。
「一般病室に戻れるのは午後から、なんですね?」
「ああ」
午後、と呼べる時間帯までまだまだ時間はある。このまま病院で待ち続ける・・・という選択肢もあるにはあるだろうが・・・。
俺は横に突っ立って鳴海の様子を眺める朔の横顔を盗み見る。
今にも倒れそうな蒼白な顔。章介さんも朔の様子が何かおかしいと感じているのか、気遣わしげな視線を変えない。
余計な心労を章介さんにかけそうで、居心地が悪い。
「章介さん、」
「ん?」
「昼前にまた来ます」
「分かった。よろしく頼むよ」
俺は章介さんに礼をすると、朔の手を引いてその場を離れる。
「と、斗賀野さん・・・・・・?」
「お前、顔色悪すぎ。見舞い客が患者になるとか悪い冗談は論外だ」
一度外に出た方がいい。俺はそう考えて朔の手を引いたまま、外への道を急ぐ。
「と、斗賀野さん、痛い、一人で歩けるから放してっ!」
朔の大声が響いて、院内の人々の目が俺たちに一斉に向けられる。俺は彼らに何でもありませんから、と愛想なく言い放ちながら兎に角歩く。
外来は早くも多くの人でごった返している。
館内放送に、子どもの喧しい泣き声・わめき声や外来患者の歓談する声にと院内は騒がしい。
俺はそんな中を突っ切り、朔とともに外へ出た。
「無理矢理引っ張ったりして悪かったな、」
「・・・・・・」
朔はよほど痛かったのか、目の端に涙すら浮かべていた。
「いえ、」
「気分はどうだ」
「・・・・正直、しんどいです」
「だろうな、」
医療に門外漢な奴でも分かりそうなほどに朔の顔色は悪く、具合がよろしくないのは一目瞭然だ。
「病院の中にある売店で飲み物買って来るから、此処で待ってろ」
俺が朔を座らせたのは、病院の敷地のすぐ外にあるバス停のベンチだった。
他にもバス待ちの人がいたが、時間の関係か数は疎らだ。
「バスが来てもそ知らぬフリしてれば良いし、誰かが話し掛けても無視してたらいい。ちゃんと此処で待ってろよ?」
朔の目に一瞬心細そうな色が浮かんだが、朔はその目をすぐに俺から逸らして俯いた。長い前髪が目鼻を隠す。
「うん。分かった」
朔が頷いたのを確認してから、俺は病院に取って返した。後に自分のこの行動を酷く悔やむことになることなど、全く予想しないままに。
鳴海さんが一命を取り留めて嬉しい筈。なのに、僕の心は全く晴れない。
なんなんだろう、酷く嫌な予感がする。
斗賀野さんは飲み物を買って来るからと言って、病院の中に戻ってしまった。
飲み物なんかどうでも良いから、兎に角傍にいて欲しかった。変な意味ではなくて、本当に一人でいるということが恐かったんだ。
「・・・・・・・・」
道路の縁だから、車の音と排気ガスが凄い。こんな道路の傍に立つ病院に入院しても大丈夫なのだろうか。空気が汚いとは思わないのだろうか。
「斗賀野さん、早く戻ってきて、」
嫌な予感がヒシヒシと僕の頭と心を締め付ける。
僕は顔を上げる。車と人が道路を引っ切り無しに行き交う。
憧れていた“外”なのに、居心地が悪すぎてどうしようもない。
でも、それでも“あそこ”に戻りたくない想いに変わりはない。
・・・・・・そんなことを取りとめもなく考えていると、僕の横に誰かが座った。斗賀野さんでないことは、横目で見ただけで分かる。男の人であることに間違いはなさそうだけど、斗賀野さんより小柄で比べるべくもない。
「トガノ、っていうんだ?どういう字、書くの?」
楽しげに発された言葉に、ぞくっと皮膚が粟立った。
この威圧感。この声。
僕は一瞬にして呼吸出来なくなった。
「・・・・・この僕が聞いてるんだ。応えろよ、クソッたれが」
「に、さ、」
言葉は、詰まった咽のせいで上手く出せずにいる。
「ふふ」
楽しげな笑い声が僕の鼓膜を刺す。
腕を掴まれ、グッと握り締められる。
「い、痛っ、」
「大人しく僕に付いて来い・・・・・・・」
嫌だ、助けて斗賀野さん、とが、
「・・・・・・・・はあ」
呆れたように、兄さんが溜息をつき、
「・・・・・!!」
町の往来にも関わらず、咽元にナイフを突きつけてきた。でもナイフを握った手は長い袖で隠されていて、傍目では僕がナイフを突き付けられていることなど分からないだろう。
「その咽掻っ切っても良いんだよ?僕に朔の可愛い悲鳴を聞かせてくれるの?」
「・・・・や、嫌だ、兄さん・・・・放して、」
「分かってるんでしょ?悪いのは朔だって」
「嫌だ、いや・・・・・、」
斗賀野さん、助けて、
「・・・・・・・・・・馬鹿朔」
兄さんの我慢がついに限界に達したのだと、その言葉で僕はありありと悟った。
「僕を苛つかせたこと、後悔すると良いよ」
ちくっと、小さな痛みが首筋に走り、兄さんが一人ではないことに今気付いた。
「・・・っ、」
全身がいきなりカッと熱くなった瞬間、視界がぐらりと揺れた。目の前がぐらつく。
『君に“自由”をあげようか?』
自由なんて、僕には・・・・・・・・・
絶対に手に入らない。そんなことずっと、分かってた筈なのに。
「斗賀野さん、たす・・・・・け、て」
助けを願う資格なんてないって分かってる筈なのに、僕は斗賀野さんを呼んでいた。
「朔は、僕だけのものだ」
兄さんの楽しげな声を最後に、僕の意識は闇の中に沈んだ。
朔捕まってしまいました・・・・・というより兄貴である陸の執念が恐ろしい・・・・私がそういう風にしたんですけど・・・・。