13、朔のトラウマ
朔が魘されている理由の一端が明らかになります。まだまだ謎は多いですが・・・。
・・・・・朔の魘される声で目が覚めた。
「俺いつの間に寝てたんだ・・・・・・」
俺はぼんやりする頭を抱えたまま、魘されている朔を見た。朔は汗びっしょりで掛け布団を思い切り跳ね除けていた。俺はといえば朔の寝顔を見ているうちに眠ってしまったのか、胡座をかいたままの姿勢で眠りに落ちていたらしい。器用だな、と自尊する。
「う・・・・はぁ、はあっ・・・」
俺は電気を点けないままに立ち上がり、洗面台からタオルを取りに行く。住み慣れた部屋だからか、電気を付けなくても少々なら歩ける。濡れたタオルと乾いたタオルを一枚ずつ用意し、部屋に取って返す。
「っ、・・・・・」
一体どんな夢を見ているのか。起こしたほうが本人のためになるのだろうか。少し考え、俺は濡らしたタオルをそっと朔の額に載せた。朔が一瞬身動ぎしたが目を覚ますことはなかった。額が気持ちいいのか、苦しげだった表情が微かに和らぐ。
俺は乾いたタオルで朔の汗を拭いてやりながら、今何時だろうと首を巡らせる。
壁掛け時計は文字盤が光るので、闇の中でも時間は分かる。
時刻は午前零時を少し過ぎたあたり。何気に寝ていたんだな。
そういえば鳴海は今晩がヤマだと医者は言っていた。頑張ってくれている、だろうか。
きっと鳴海のことだから、自分が死んだらおじさんやおばさんが悲しむから・・・とか何とか理屈を捏ねて生還するに違いない。あいつはそう言う奴だから。
『鳴海ちゃんは他人のために頑張るタイプだけど、あんたは自分のために頑張るタイプだよね』
大学で知り合った一匹狼気質の女、九条晶子の言葉が不意に脳裡を過ぎる。彼女は日本の中心で無事就職を果たしたらしいが、最近は連絡を取り合っていない。
確かに九条の言は正鵠を得ている。鳴海は他人の目を気にして、簡単に自分を殺すタイプだ。
俺は自分大好きではないが他人よりも自分を優先する。だからこそ俺は後輩ではあるが鳴海といるとあまり気分が重くならなかったのかも知れない。
人間嫌いとまでは行かないものの、俺は人があまり好きではない。第一に面倒くさい。第二に、邪魔くさい。なんでこんなにいるんだ、と疑問に思ったことも少なくない。どいつもこいつも何のために生きてるんだ・・・と思うこともたまにはある。
まぁ俺も今のところこうして生きてるわけだから、無茶なことは言えないけど。
「う、」
朔がぶるっと体を震わせたかと思うと、疲れきった瞳が開いた。額に載っているタオルに気付いたのか、手を伸ばす。
「朔?」
「あ、」
「すごい魘されてたし、汗掻いてたから。冷たかったか?」
「・・・・とても気持ちよかったです、ありがとうございます」
上体をゆっくりと起こし、タオルがかかったせいで濡れた前髪を掻き下す。
「気分悪いとか無いか?何か飲むか?」
朔の魘され方は尋常ではなかった。顔全体を苦悶に歪ませ、胸を掻き抱く姿がちらつく。
朔は少し迷ったようだが、
「お水、下さい」
と掠れた声で頼んできた。俺は頷き、台所へ向かう。流しの上の電気だけ点けると朔が背後で身動ぎする衣擦れの音が響いた。
「ほら、水。御代わりなら言えよ・・・水ならたくさんストックがあるから」
朔は頷くと、コップ一杯を一気に飲み干した。
「はぁ、はぁ、・・・っ、」
「!」
朔の体がぐらりと傾ぐ。眩暈でもしたのか。
「大丈夫か」
「・・・・・・」
こくり、と再び頷く朔。その顔には生気がない。
「寝ろ」
「でも、どうせまた魘されるし・・・それに僕夜より日中のほうがよく眠れるから」
力なく言う朔に俺は一つの可能性を思いつく。
「朔、暗闇が恐いのか?」
それは夜など致命傷ではないか。俺がそう思いつつ訊くと、朔はなんとも言えない哀しげな表情になった。
「・・・・・恐い、とまでは行かないけど、好きじゃない。自分が暗闇に食べられるような気がして」
暗闇に食べられる?俺は異様な表現に眉を顰めるが、朔は俺の表情には気付かないのかそれともどうでも良いのか言葉を続ける。
「昔、夜にちょっと事件があって、それから・・・イメージが消えなくて、」
「事件?」
「僕、人間に殺されそうになったことがあって」
奇妙な言い方をする、と俺は思う。人間に殺されそうになった?まるで朔自身は人間ではないような言い方ではないか。
「灯りの無い空間で、首を締められて・・・・・・・だから夜に寝てたり無明の中に佇んでると、闇から腕が伸びてきて僕の首を締めてきそうな気がして、恐いんだ・・・・・」
上がる嗚咽。震える華奢な肩。鳴海や蛍に重なる。
「・・・だからそれ以来、夜は明かりを点けて寝ないと魘される。いつもじゃないけど、確立は高い。だから灯りはつけたまま寝てる」
「じゃあ何で先に言わなかったんだ」
俺はそう言いながら電気を点ける。いきなり明るくなったせいで明順応できず、俺は目を瞬かせるが朔はそんなことは必要ないようだった。
蒼白な顔が俺を見上げている。
「だって普通は電気を消して寝るでしょ?だからその、あなたもそうじゃないかって、」
「勝手に判断するな」
言葉の途中で割り込む。朔が気圧されたように口を噤む。
「いつ俺が灯りを消さないと寝られないと言った」
「そ、それは」
「朔にそういう事情があると分かった上で俺がわざわざ電気を消すと思ったのか」
純然たる疑問である。俺はそんなに嫌なやつに見えるのだろうか。
『あんたって腹に一物抱えてそうな顔してるからね』
九条にずっと前に指摘されたことを思い出す。アレは本当に不本意だった。九条には言われたくなかった。
「そんな、こと……思わない、けど、」
苦しげに、そして悲しげに朔は言葉を紡ぐ。
「けど、何?」
俺は何を突っ込んで訊いているのだろう。朔は怖がっているのか、身を硬くしている。
「……いや、無理には訊かない。悪いな、脅かすみたいな言い方して」
朔は首を左右に振る。
「……兎に角、電気は点けたままにしとく。暗くしないと寝られないっつうことはないから、心配するな」
「ありがとうございます……」
「朔、敬語は使わなくて良い。そういうの慣れてないからむず痒くなる」
以前鳴海にも言ったことのあることを言った。鳴海は敬語のまま話すが、朔はどうだろうか。
朔は何が恥ずかしいのか、口篭もっていたが素直にこくりと頷いた。
「あり、ありがとう」
「どういたしまして。・・・ほら、電気点けとくから体を休めろ」
朔は上体を倒し、じっと蛍光灯を見上げる。
「え、っとあなた、は寝ないんです・・・寝ない、の?」
何だそのぎこちない言葉の羅列は。そう思うと俺は可笑しくなってプッと噴き出す。
「な、何で笑う・・・の」
「いや、良い。朔らしくて」
「ぼ、僕らしいって、ば、馬鹿にしてる・・・の!?」
俺は目の端に涙を浮かべつつ、顔を照れに真っ赤に染めている朔の額を緩く撫でてやる。
「してないよ」
以前、大学で倒れた鳴海を医務室に見舞いに行ったときも俺は鳴海の額を撫でてやった気がする。鳴海は気持ち良さそうに目を細め、お見舞いありがとうございますとはにかんだような顔で笑った。
俺は何時の間にか朔と鳴海を重ねているのかも知れない。今病院の集中治療室で必死に戦っている鳴海と。
・・・・・・頼む、鳴海。絶対に戻ってきてくれ。
俺の願いは鳴海に届くのだろうか。そんなことを思いながら、明るい光のもとでうとうとし始めた朔の額を撫で続けた。
最近自分の思う通りにならない。
皆が寝静まった中、陸は腕を組んでむっつりと不機嫌な顔で黙り込んでいた。
朔には逃げられるし、心底拒絶されるし、殺そうとした鳴海という異能者は息を吹き返し、よって朔を絶望に突き落とすことも出来ない。散々だ。
(・・・・・待っててね、朔。絶対君を絶望に突き落としてあがるから。そして、兄である僕の傍でしか生きていけないことを、思い知らせてあげるから)
無理矢理自分を奮い立たせ、陸は薄明かりの中整った顔立ちを嘲笑の形に歪めた。