12、鳴海の独白
意識不明に陥っている鳴海のお話
『化け物、鳴海っ』
『化け物、鳴海ィッ』
まだ小学生の僕が蹲る周りを、数人のクラスメートたちが囃し立てながら走り回る。
僕は涙を流しながら止めてと訴えるけれど、誰も止めてくれないし、誰も助けてくれない。
『やめ、止めてよぉ』
『泣いた泣いた、化け物の癖になぁいた』
野次は酷くなる一方。
ついには髪を掴まれて、ぬかるんだ土に顔を突っ込まされた。
『どうしたの鳴海。化け物は化け物らしく抵抗して見せてよ』
とうに声変わりの済んだ同級生の男の子の声が聞こえた。僕を苛めているグループのリーダー。
『ぼ、僕・・・は、化け物なんかじゃない・・・・・・』
『え?聞こえない』
明らかな嫌味に、上がる笑い。
『ぼ・・・・僕は化け物なんかじゃないっ』
『化け物じゃなかったら何な訳?枯れた花に触れたら綺麗に咲くなんて普通出来ないでしょ。化け物でもない限りさ』
倒れたまま俯く視界に、リーダーの靴先が入ってきた。ぴかぴかに磨かれた、小学生が履くの?と言えそうな高級そうな革靴。その靴先がゆっくり右の方に動いたかと思うと、
『いっ・・・・・!』
僕の右手の甲を思い切り踏みにじった。激痛に、更に涙が出る。
誰も助けてくれない。僕が泣き喚くのを楽しそうに眺めているだけ。
先生すら見て見ないフリをした。先生も知っていたから。僕の変な“力”を。
先生も、僕を変なものを見るような目で見た。
その目が、今でも頭から離れない。僕を否定する、僕を不気味だと断言する瞳。
僕は誰にも危害なんて加えてないのに。ただ、枯れかけていた花に触れただけ。そしたら何故か枯れかけの花が巻き戻しを起こしたかのように綺麗に咲いた状態になった。
最初自分の“力”に気付いたときは驚きより恐怖の方が勝っていたように思うけれど、それでも嬉しかった。他の人には無い“力”ではあったけど花がまた綺麗に咲けるのなら花も喜んでくれると思った。それに僕が他の人と違うのだということは幼心にも分かったし、人の顔色を気にしがちな僕だからその“力”を滅多に使わなかったし、絶対に人の前ではやらなかった。
なのに、何を間違えたのか僕はあんな・・・皆の目の届く場所で、してしまった。
その瞬間に走ったざわめきと、僕を見る皆の目は決して忘れることなど出来ない。
その瞬間から、僕の周囲は僕を集団の輪から弾き出し、僕を“化け物”だと罵るようになった。
中学校に行っても、同じ小学校の子が多かったから、僕の良くない噂が広まるのに大した時間はかからなかった。苛めはなくならなかったけど、幸いといえば幸いか僕を小学校の頃に苛めていたグループのリーダーは引っ越していったから、酷くもならなかった。
そのかわり友達も出来なかった。もともと引っ込み思案だし、近付いていって“化け物”と罵られ拒絶されるのが嫌だったから。だから自然僕は周囲と距離を置くようになった。
高校は一般の公立高校に行った。中学校によくしてくれた先生には私立も狙えるとは言われたけど、受験というものにも私立の高校にもワンランク上の高校にも興味は無かったから。
それでも実家からは離れた高校にした。電車で片道一時間はかかる高校だ。
運が良かったのか、その高校ではあまり地元の顔見知りは居なかった。だから安心はしたけど、その頃には“力”のことは抜きにしても人と触れ合うことに一種の恐怖を抱いていたから友達はあまり出来なかった。それでもクラスにニ、三人は話仲間は出来た。一緒にどこかに出かけたり、といったことはなかったけど、学校にいる間だけ傍に居れくれればよかった。学校は何かと誰かと組になったり授業の関係でグループを作ることが多いから、少しでも話せる相手がいれば都合が良い。
つまはじきにされることもなく、かといって誰かと親密になるといったわけでもなく、高校生活は普通に過ぎていった。
そして、大学。今いる大学を選んだことに大した意味はない。募集要項を見て、少し興味のある学科があったこと、そして自分の学力で受かるであろう公立の大学だったから。両親を亡くした僕は学費をおじさん夫妻にご厄介になっていたけど、さすがに私立大学に行くだけの学費を工面してもらうのは申し訳なくて気持ちだけで良いと言った。おじさんたちは気にしなくて良いと言ってくれたけど、大学に行かせてもらえるだけで僕は嬉しくて満足だった。
そして入学からしばらく経ったある日、僕は最悪な人と再会していた。
『あ』
それは小学生時代に僕を一番苛めていたあの革靴の子だった。街角でばったり出くわしたのだ。僕は一人で、相手は友人を含め五人。
目があった瞬間に僕は身を翻して立ち去ろうとしたけど、反応したのは向こうの方が早かった。
『お前、鳴海だよね』
呼び声に、ビクンッと体が竦み、身動き出来なくなった。脳裡に苛められていたときの苦痛と悲しみが一気に蘇った。
『何、知り合い?』
仲間が怪訝そうに言うのに頷いて見せる。
『まぁね。小学生の時の同級生。ちょっと来いよ』
グイッと腕を引っ張られ、抵抗することも出来ないまま暗がりに連れて行かれた。
『は、放してよっ・・・・・!』
『今俺ら、金がなくて困ってたんだよねぇ。くれない?』
『ど、どうして僕が・・・・っ、』
グイッと胸倉を掴まれ、ニヤニヤ笑んだ顔がグッと近付いて来る。
『金寄越せよ。“化け物”の鳴海君?』
『・・・・・・・・・っ!』
仲間の腕が伸びてきて、僕の鞄を奪う。
『か、返し・・・んぐっ・・・』
お腹を殴られて、僕は呻き声を上げてあまりの痛みにしゃがみ込んだ。でも攻撃はやまなかった。鞄を取り戻そうと伸ばした腕を捻られ、地面にねじ伏せられる。
『い、痛いっ・・・!』
『さっさと財布だけ取ってずらかろうぜ』
『分かってるよ、・・・おっ。結構持ってるじゃん』
止めろ、それはおじさんがくれたんだ、好きなものを買いなさいって僕にくれたんだ・・・!
だがそんな言葉は痛みと恐怖の前に出てこない。諦めるしかないのか、と思った。
その矢先、
『・・・折角の休みなのに、嫌なもん見ちまったなぁ・・・・・・』
妙に間延びした声に、その場全員の視線が声の主に向かう。
・・・・そこにいたのはすらりと背の高い二十代前半くらいの男の人だった。綺麗な顔立ちで、一瞬女の人かと思った。少し眠たげな瞳が僕に注がれる。
『何だ、お前』
『ただの通りすがり。ねえ君』
その人が何気ない口調で僕に声をかけてきた。返事をしようとしたけど、気道が塞がれてしまったかのように声が出ない。
『・・・・・・君がやられ役で間違いないみたいだね』
そして唇の端を歪めると、僕の鞄を物色していた一人に視線を向け、
『ぐわっ・・・!』
あっさりと倒した。それを見た仲間たちが逆上して思い思いに男の人にぶつかって行くけど、男の人は彼らを軽くいなしただけでいとも簡単に地面に伏さした。
『な、何だ・・・お前、』
残るのはあの革靴の子だけになっていた。仲間たちが簡単に倒されてしまったことに畏敬の念を隠し切れずに男の人を見上げている。
『・・・・・お前がヘッドか、』
眼光が一気に鋭く光った瞬間、
『クソッたれ・・・!』
定石の捨て台詞を残して逃走した。
『・・・・・・・』
僕はポカンと間抜け面で助けてくれた人を見上げた。差し出された手におずおずと掴んで立ち上がる。
『はい、鞄』
『あ・・・・りがとうございます』
掠れた声しか出せなかったけど、にっこりと微笑んだその人に頭を撫でられる。
『じゃあ。気をつけろよ』
『あ、』
ちゃんとお礼も出来ぬまま、僕を助けてくれた人は雑踏の中に消えて行った。
『・・・・・・・・』
それが僕と、斗賀野笙汰先輩の出会いだった。
斗賀野先輩が同じ大学に在籍していると知ったのは偶然だった。五コマ目終了後に構内を歩いていると、友人らしき人と歩いているのを見たのだ。
先輩はまだ帰らないのか、鞄を持っていなかった。何処に行くんだろう、と僕は思いながら何となく先輩たちの後をつけた。
『・・・・・・地歴研究会?』
確か入学後すぐに開かれたサークル紹介で、映像だけの紹介のグループにそんな名前がなかっただろうか。先輩はサークル棟のその部屋に入っていったのだ。
つけてきたのは良いけど、僕はどうしたいのだろうとドアの前でボケッと立ち尽くしていると、
『邪魔』
『!ご、ごめんなさい!!』
人が後ろに立ったことにも気付かなかった。慌てて身を退けるのと、後ろにいた女の人がドアノブを掴もうと手を伸ばすのと、そのドアが内側から開いたのは殆ど同時だった。
『九条遅い・・・ってお前、』
『あ、』
ドアを開けて顔を覗かせたのは僕を助けてくれた人で、向こうも絡まれていたのが僕だと気付いたらしく眉を上げた。
『あの時の』
『あ、あの、あの時はっ』
九条と呼ばれた綺麗な黒髪の女の人が胡散臭げに僕を見下ろす。
『九条は先に入ってて』
『・・・・・・ええ』
九条さんと先輩が入れ違いになる。先輩はドアを閉めると、
『あの時は訊かなかったけど、怪我はなかったか?』
『あ。ぜ、全然平気です』
気にしてくれていたんだと思うと、僕はなんだかこそばゆい気持ちになった。
『・・・何だ、嬉しそうな顔して』
『あ、ごめんなさい・・・・・・』
『お前、名前は?』
『な、鳴海和晃です。鳴く海に和平の和に日の光の晃です』
馬鹿丁寧に説明する僕に、先輩がプッと噴出す。クールそうなのに、笑うと茶目っ気のある顔になるなぁと僕はぼんやりと思った。
『一年生か?』
『入学したばかりです』
『そうか。俺は斗賀野笙汰。一応三年』
そのときはただ世間話をするだけサークルに入会をするとか見学をするといったこともなかった。
でも僕は結局サークルに入り、先輩や九条さんたちに可愛がってもらって、
先輩には“力”を目撃されて・・・でも先輩は僕を気持ち悪がったり不気味がったりしないで、ただ凄いと言ってくれた。
僕を排斥することなく、“力”のことを認めてくれて。誰かに言い触らすこともなく。
態度を変えることなく。
大学を卒業後も何かと僕のことを気にしてくれて。
そう、今日だって・・・・・・就職のことを気にしてくれて。
いつものように優しい笑顔で頭を撫でてくれて。
父さんの掌のように大きくて温かい手。
でももうその手に触れること・・・出来ないのかな。
僕の人生は、楽しいことよりも圧倒的に辛くて哀しい出来事が多かったように思う。
それに、どうして自分にあんな“力”があるのだろうとも思う。あの“力”さえなければ、苛められなくて済んだんじゃないか。そう思うこともある。あんな“力”がなかったら、もっと違う人生を遅れたんじゃないかって思う。
でも。
きっと先輩に出会えて親しく出来るようになったのはこの手の“力”のおかげなのだろう。
先輩に凄いと認めてもらえて、久しぶりに“力”を持ててよかったと思った。一番最初は“力”が発現してすぐのこと。当時淡い想いを抱いていた女の子が花が枯れたと泣いたことがあった。だから僕はその子の家に遊びに行ったとき誰も居ないタイミングを見計らって“力”を行使した。そしてみんなが戻ってくると花は綺麗に咲き誇っていて女の子は神様の奇跡だ!と言って喜んでくれたこと。彼女の両親は気味悪そうに花を見ていたけどそのときの僕は女の子に喜んでもらえたことが嬉しくてそんなの全く気にならなかった。
一寸先は闇。昔の人は上手に言ったものだな、と僕は苦笑する。
今からだの感覚は一切ない。ただ指が何処らへんにあるかは何となく分かっていて、その指の先から一寸の距離もないほどに黒々と蟠る闇が存在している。それに触れたら僕はもう二度と先輩やおじさんたちのいる世界には戻れないのだろう。
それは哀しいし、寂しい。でも僕に、戻る資格なんてあるのだろうか。
変な“力”。先輩は認めてくれたけど、認めてくれたのは先輩だけだ。確かに知られることが恐くて隠してはいたが、僕の“力”を知らない人は五万といて、知っている人はほんの一握りだけ。
本来普通の人間であれば持っていない“力”を僕は持っている。それだけ僕という存在は世界から見れば異質な筈だ。世界を狂わせる、不必要な存在。そうではないのだろうか。
きっと僕が死んだらおじさんやおばさんは悲しむはずだ。先輩も、泣いてくれるだろうとは思う。思うけれど。
おじさんやおばさんは、僕の“力”を知っても僕を好いていてくれるだろうか。“力”のことを抜き差しにしたって、僕はこの人たちの負担になっているんじゃないかって、この人たちに本当は嫌われてるんじゃないかって思うことがある。その上に“力”のことを明かそうものなら、きっと僕は疑心暗鬼になってあの人たちを信じられなくなると思う。
異能者は、一人残らず消えてしまえば、いい。
・・・・・思い出した。僕を押した人が言っていたであろう言葉。声は聞こえなかったけど、何故か口の動きははっきりと捉えることが出来た。
その人は、怒っていた。僕に。僕の、“力”に。
真っ赤な唇は弧を描いていたけど、目は全く笑っていなかった。射殺さんばかりの凍て付いた瞳で、じっと僕が道路へ体を倒していく様を観察していた。
異能者め、ここで果てろ
・・・・・朔君に良く似た顔。朔君は片目に眼帯をしていたけど、僕を押した人は眼帯をしていなかった。その違いを覗けば、朔君と明らかに違っているところはなかったと思う。
朔君とあの人は知り合いなのか。・・・・・でもあんなに似てるんだから、兄弟か何かなのかな。
朔君・・・先輩は知り合いって言っていたけど、本当に?
宝生さんにはああ言ったけど、僕も信じていなかったりする。先輩にあんな知り合いはいない。
あの二人にはえもいわれぬ距離感があった。長い間会っていなかった同士で緊張していた?
・・・違う、先輩は滅多な事じゃ緊張しない。
じゃあどうして?
「和晃!和晃!!」
あぁ、おばさんが呼んでる。おじさんも一緒に呼んでくれてる。
そうやって僕を現世に留めようとしてくれてるのも、僕が無害だから?
“力”のことを知っても僕を留めようとしてくれる?愛してくれる?
猜疑が心を覆う。いくら血の繋がりがあっても、親に捨てられる子どもだっている。自分の腹を痛めて生んだ子でなければ益々捨て易くなるんじゃないだろうか。
僕は愛されていいの?変な“力”を持ってるんだよ?
普通の人とは違う。
それでも、愛してくれるの?
蟠る闇が、ゆらゆらと揺らめく。まるで僕を“あっち”側へ誘っているみたいに。
『そんなに不安なら死んでしまえば良いよ。苦痛も悲しみもない世界に、おいでよ・・・和晃君』
誰の声だろう。中性的だけど、きっと女の人の声だ。なんだか、母さんの声に似てる気がする。
じゃあ、父さんもいるね。
・・・・・母さん、父さん。二人が死んでから、僕はよく分からなくなった。自分だけ生きてる意味が分からなくなった。“力”を持った変な僕が生きて普通で真っ当だった母さんと父さんが死んだ。
どうして?どうして僕より先に逝っちゃったの?・・・・どうせなら、僕も一緒に行きたかったな。
朔君に似た人が無理矢理、といった感じで笑顔を浮かべて僕を見ている。闇が手招きする。
『いらっしゃい、和晃。向こうで、母さんと父さんと一緒に三人で幸せに暮らしましょう?』
母さんの声。父さんも笑ってる声がする。
僕を待ってくれてる?僕、変な“力”があるのに、母さんたちと一緒に居て良いの?
『当たり前でしょう?和晃がいる世界と違って、こっちはとてもよい世界よ。人と違う“力”があるからって誰もあなたを責めたりしない。あなたも、その“力”のことも認めてくれる。みんな理解してくれる。争いも疎外もない。穏やかな世界よ』
母さんの言葉に、僕は惹かれた。今まで僕を疎外してきた人たちの顔がぐるぐると脳内を巡る。
あぁ、これが走灯馬っていうものなのかな。
あの人たちがいない世界。みんな僕を受け入れてくれるんだ・・・“力”ごと。
それって、とてもいい世界だ。
なら、行ってみてもいいかなぁ。
母さんも父さんもいるし・・・・・・・・、
「鳴海、しっかりしろっ!!」
え・・・・?
今、先輩の声がした気がする。
「鳴海、死ぬな・・・・・・」
先輩?
僕を呼ぶのは先輩?
右手に温かいものを感じる。何だろう。
「和晃!!和晃!!」
誰かが僕を呼んでる。この声は・・・おじさんと、おばさん?
「・・・・ちっ」
誰かの舌打ちが耳元で聞こえた気がして、僕は何時の間にか閉じていた目を開いた。
闇が霧散し、まばゆい光とともに僕は現実の世界に戻っていった。
ちょっと支離滅裂になってるかもしれません。読みにくくてごめんなさい・・・・・汗