10、陸からの電話
俺は携帯を握る手に力を込めた。鳴海の、力なく閉じられた瞳が脳裡を過ぎる。
「・・・・さっき病院に行ってきた。お前のせいで最悪な気分だ」
『あはは、それ僕のせいじゃないよ。鳴海っていうガキのせいだ・・・変な力を持ってるから』
変な力。枯れ掛けの草木を綺麗に咲き誇らすことが出来る。そのことを言っているのか。
「お前に、鳴海の何が分かる、」
押し殺した俺の声に、電話の向こうが哄笑を上げる。一々人の気に触る言動を取る奴だ、と思う。
「朔がお前の弟なのか?」
『そうだよ。朔、僕のこと何も言わないの?』
声に、微かに怒りが篭もる。
「お前、俺たちを見てるのか?」
『ん?』
「僕の弟を苛めるな、って言ったな。そんなの、俺たちを見てないと分からないはずだ」
『なぁんだ、そんなことかぁ』
また笑った後、可笑しくて仕方ないといったように、
『だって僕と朔は一心同体だから。朔が考えてることはすぐ分かる。今、泣いてるのも、分かる』
その言葉に、俺は朔を見た。朔は涙に濡れた目で俺を見ていたから、目が合った瞬間に気まずそうに目を逸らした。
「朔」
「!」
「朔、お前の兄貴からだ」
朔の目が見開かれる。
「出ないのか」
『出ないよ。出たくないと思ってるから』
電話口から聞こえるそんな声。
『朔、僕のこと嫌いだもんね。僕はこぉんなに朔のこと好きなのにぃ』
朔が腕を抱えて俯く。傍目から見ても体ががたがたと震えているのが分かる。
『朔、僕の大好きな朔。今から会いに行こうかな?』
朔の耳元に電話を近づけるんじゃなかったと、俺は後悔した。我慢するかのように蹲ったままだった朔がいきなり俺が携帯を持っているほうの手を払ったのだ。携帯が飛び、床に落ちる。
『あは、あはははははははは!!僕の可愛い朔!怯えてるね、恐がってるね、いつもの可愛い悲鳴を聞かせてよ!!』
一体どういう原理なのか、離れた電話から、耳につけている時に聞こえるくらいの音声で声が聞こえてくる。
「嫌だ、もう・・・・、嫌だ」
耳を塞ぎ、涙を流す朔の様子は尋常ではない。これ以上電話を繋いだままにするのはやばい。俺は携帯へ急ぐと、
「もう喋るな。クズ」
捨て台詞をはいて電話を切ろうとする。
『知りたくないの?鳴海を殺そうとした理由』
俺の指は、その言葉にピクッと動きを止めた。朔の精神状態を考えれば今すぐ通話を切るべきだが、その先を聞きたくもある。
『知りたくて仕方ない・・・っていう沈黙だね、それは』
くすくすくす、と笑う声が耳に障る。
「・・・・お前、何を知ってるんだ」
こいつが鳴海を殺そうとした。鳴海を殺そうとした。鳴海を殺そうとした、
『朔を渡すことを条件に教えてあげても良いよ?』
「!」
そう来たか。声の感じや話す内容から碌な人間ではないと思っていたが、やはり碌でもなかった。
『どう?あなたには朔を匿う理由なんてないし、可愛い後輩が殺されそうになった理由を知るほうがあなたの為にはなるような気はするけど、どう?』
「・・・で朔を渡したら、また体に傷を付けて笑うのか?」
『あははははは!!悪い!?だって朔は僕の“玩具”だもの!玩具を持ち主が好きにして何が悪いの!?』
続く哄笑を遮るように、俺は声を出した。
「断る・・・と言ったら?」
笑い声が唐突に止み、
『それ、本気で言ってるの?』
怒りの滲んだ声が聞こえて来た。俺は薄ら笑いを貼り付け、
「本気だよ。人間性に問題があるとは言え、恐怖に怯えてる人間を放り出すほど腐っていないからな」
朔が顔を上げる。俺が目を遣ると、不安そうに見返してくる。だが涙は止まっていた。俺は電話を耳から離すと、
「朔」
「な、何・・・・・?」
「お前、兄貴のもとに戻りたいか?」
朔は何度も首を左右に振った。掻いた汗が中空に飛び散るほどに。
俺は頷き、再び電話に意識を戻した。
「一心同体で朔のことなら何でも分かるんだろ?」
向こうから抑揚のない声が聞こえて来た。
『・・・・・・・・・あぁ、分かるよ。朔が僕をとても拒絶して居るのが分かる』
「だからお前の条件は呑めないな。切るぞ」
『朔に伝えといて・・・・・必ずまた泣かせてやるって』
次の瞬間にはツーツーという音。俺はやれやれと溜息をついて携帯を置いた。さ
「に、兄さんは何て?」
「・・・・・取引を持ちかけられたんだ」
朔が首を傾げる。
「朔を渡す代わりに、鳴海を殺そうとした理由を話すって」
「!!」
「それと・・・・・、」
本当に伝えるのか。必ずまた泣かせてやるって兄貴が言ってたって。
「・・・・・あの、」
俺の逡巡が伝わったのか、朔が不思議そうに声を掛けてくる。俺はそんな朔の頭を撫で、
「何でもない・・・朔がいやだって言うなら、絶対兄貴には返さないから」
朔は真っ赤な目を見開き、唇を震わせる。顔色は更に蒼白くなり、絶対休養が必要だと嫌でも分かる。
俺でも不思議だが、何故行きずりで拾った人間を此処まで介抱し守ってやろうとしているのか俺には分からずにいる。赤の他人である朔がどうなろうと俺には関係ない。
その、筈なのに。
俺は一体どうしたんだろう。何がしたいんだろう。
「あり・・・・・がとう、」
また零れる涙。でもそれは悲しみのせいではないと思いたい。
「ありがとう・・・・・・ございます、」
掠れながらも必死に紡がれる言葉に、俺の足りない“何か”が震えたような気が、した。
朔を守ってやりたいと思い始めた“俺”の心に何か変化が起こりつつある様子。
そして朔の兄である陸はどう出るのか・・・・・・。