第59話 ●「呪詛の産声6」
―― ルーティント伯館 ――
バルクス伯館と比べて一回り大きな佇まいに伯爵の趣味であろう著名とされる芸術家の彫刻や絵画が所狭しと並べられている。
だが、その内容に統一性は無く、華美に過ぎる。
芸術への造詣ではなく伯爵家の資金力を誇示しているかのようである。
そのとある一室で突如、大きな音が響き渡る。
それは食器のような陶磁器が割れる音。物が壊れていく音。
それらが混ざり合ってとても耳障りだ。
だが、その部屋に近づく者はいない。
近づけば自分たちにも何か危害を加えられる。まるで物のように。
それがこの伯館に仕えている者達の共通認識であった。
「くそっくそっくそっくそっくそっくそっ番犬の分際で!」
その部屋にいるのはただ一人、年齢は十歳にも達していないだろう。
その口からこぼれる言葉は罵詈雑言。
そして叩き壊される壺。
その壺だけで千人の平民が五年以上普通に暮らせるだけの価値があった。
だが、彼にはそんな認識はない。
いや、壊れたならばまた平民から血税で毟り取ればいい。
ただそれだけの認識である。
ラズリア・ルーティント・エスト
彼は、ルーティント伯爵の長男として生を受け、何不自由なく暮らしていた。
両親は彼が求めるものであれば何でも揃えた。
両親にはそれでどれだけの平民が飢え、死んでいくかなどに興味が無かった。
減ったならば別から奪えばいい。ただそれだけであった。
それは血税のみではなく、盗賊を使うという外道な手段もあった。
(その筆頭であった『銀狼』はエルによって壊滅したわけだが……)
ラズリアの父親には歪んだ趣味があった。
年若い女性を犯し犯し尽くした後に壊すのだ。原型も残らぬまで。
母親はそれを黙認した。
その趣味をさせておけば、彼女にとっては優しい夫であったのだから。
(どうせ壊されるのだ、非嫡出子による遺産問題の心配もない)
ラズリアが七歳になった頃、偶然にも彼は父親の趣味を見てしまった。
だが、彼の中に浮かび上がった感情は――喜悦――その時点でもう彼の中では何かが壊れていた。
その頃からだ。
屋敷に勤める執事やメイド達に対して彼が、謂れ無い罵詈雑言や肉体的苦痛を与え始めたのは。
メイドたちにとって幸運なことはラズリアがまだ幼く性に対する知識が無かったため、強姦されることは無かった。
だが、このまま成長していけばその危険性ははらんだままであったが……
それにより多くの執事やメイドが屋敷を去って行った。
だが彼には理由が理解できなかった。
いや、ここでも減ったのであれば補充すればいい。その思いしかなかった。
次第に残った執事やメイドは悟っていく。
彼は大いに褒められれば自分たちへの攻撃をしてこなくなる。
承認欲求の塊なのだ。と
そして彼は誰からも否定されることは無くなった。
どんなに褒められるべきでないことを行ったとしても。
そしてそのまま彼は学校に入学する。
同じ派閥の男爵家や子爵家の子息・子女が取り巻きになる。
彼らも自家を守るため、他家より上に行くためにラズリアを褒めそやした。
彼の身の丈を超える才能を錯覚させるほどに……
だが、世界は彼を否定した。否定する人間を用意した。
エルスティア・バルクス・シュタリア
番犬と呼ばれるバルクス家の長子。
彼にとっては「番犬」は蔑みの言葉であった。
つまりは、自分より劣る者。絶対にそうあるべき者。
だが、奴は、いや、奴の周りの人間も含めてそれを否定してきた。
それは彼にとっては看過できるものではなかった。
だから今回の剣術・魔法の教練は奴らが自分より劣る者だと認識させ、自分は喝采を受けるはずだった。
だが、現実はどうだ?
奴の(ラズリアの認識では)卑怯な手によって自分は苦渋を飲まされた。
自分に向けられる喝采は奴に向けられた。
特に、魔法教練では多くの学生の前で失神するという屈辱を味わわされた。
自分にとって奴は既に存在してはいけない者であった。
「絶対殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。……」
呪詛のように繰り返される言葉。
その呪詛は部屋の外にいるものにも否応なしに聞こえる。
それは、まるで『呪詛の産声』のようであった。
――――
彼は知らなかった。
バルクス家を『番犬』と呼ぶ意味を。
『番犬』が決して蔑みの言葉ではないことを。
いや、むしろ敬意を込めた呼び名であることを。
エスカリア王国は建国から三百年。
その間に幾度となく亡国の危機に立たされた。
記録にあるだけで四度、記録にならない事を含めればその数倍は下らない。
『魔陵の大森林』からの大規模魔物の襲来。
それを防いだのはバルクス家の大いなる功労であった。
『ある者は、死してなお剣を握り魔陵の大森林を睨みつけていた。
ある者は、数匹の魔物を槍で貫いたまま息絶えていた。
背中に傷を受けた遺体は無く、逃げた者は皆無』
と英雄譚には綴られた。
エスカリア王国の繁栄は、バルクス伯の数多の屍の上に成っていた。
そして王族、公爵・侯爵達はバルクス伯をこう称した。
『ルステリアが如き誇り持ちし番犬』と。
ルステリアとはこの世界における月の化身。
その姿は狼とも獅子とも例えられ、太陽を守る獣とされた。
太陽、つまりは王族を守る獣であると。
これは、バルクス家の家紋の一部である三日月に敬意を払っていた。
時代が経ち『番犬』とのみ呼ばれるようになったが、それは侮辱ではない。
『番犬』
ただその一言だけでバルクス家の長年の功績を称えるのは十分なのだ。
そう呼ばれることを許されるのはバルクス家のみなのだから。
他にも『魔陵の大森林』に接する封領はある? だからどうした。
所詮その封領は幾度となく魔物達に蹂躙されその当主を変えてきた。
だから彼らはこう称される『飼い犬』と――
王族や公爵・侯爵達は歴史を知る。
それだけの連綿とした繋がりがあるのだから。
だが、それ以下は違う。多くの者は知らない。
エスカリア王国誕生から続く伯爵は、バルクス家のみという事実を。
バルクス家以外は戦争や魔物の襲来により何度か絶えているという事実を。
バルクス家以外は所詮、傍流であるという事実を。
バルクス家以外で最も長く続いた家でも百五十年にも満たない。
そして、ラズリアのルーティント伯爵家などたかが八十年の歴史しかない事実を。
本来、バルクス家は公爵家に叙されてもおかしくないという事実を。
歴史を知らぬ愚者は、『番犬』。
その言葉が持つ意味だけで蔑みの言葉と曲解したのだ。
『番犬』
真の意味を誰もが理解する時は、まだ暫くの時間を要する事になる。




