第32話 ■「エリザベートのドッキリ宣言」
クリスが去り二か月余りが過ぎ年が明けた。
そして僕は……思ったよりダメージを受けていた。
いやぁ、まさか好きな人と別れることがこれほどショックを受けるとは思ってもみなかった。
気づけばふとぼーっとしていることが増えていた。
バインズ先生も僕の気持ちを汲んでくれたのか集中力を要する実戦形式ではなく基礎体力向上を目的とした練習をメインにしてくれた。
そのおかげで今では大分落ち着いてきた。
一方、ベルはむしろ張り切っていた。
次にクリスと会ったときに恥ずかしく無い様にとの事だ。
うん、やっぱり女の子は強いなぁ。僕も見習わないと。
準備が整った僕たちは一月十日に入学に向けて王都に出発する事が決まった。
そしてその前日の夜、旅立つ人たちを集めたささやかな宴が催されている。
参加者は父さん、母さん、アリシャ、リリィ、ファンナさん、ランドさん(ベルの父親で我が家の御者だ)、ベル、バインズ先生、フレカ・アーシャ・ミスティのメイドさんとその家族。
(人足と護衛たちは人数が多いから別室で宴会をやっているそうだ)
当たり前の話だけど付いて来るメイドさんたちも、当分の間家族とは離れ離れになる。
特別手当は出るけれども僕の都合で家族と離れ離れにしてしまう事は少し申し訳なく思ったりもする。もちろんベルもその一人だ。
アリシャやリリィは、この所ずっとご機嫌が悪い。
クリスとお別れしたばかりでさらに僕やベルと暫く離れて暮らすことになるからだ。
まぁ、弟か妹が出来れば二人にも責任感が生まれるだろう。
それに四年もすれば二人も僕と同じ学校に通う事になる。
それを教えてあげると少しは機嫌が直ったようだ……いまも僕の腕に引っ付いたままだけどね。
「エル、ベル、ちょっといいかしら?」
母さんが僕とベルを呼ぶ。なんだろ?
傍に来た僕に母さんは、控えていたメイドから折りたたんだ服を受け取り僕に差し出す。青を基調としたブレザータイプの服である。
「エル、これがエスカリア国立学校の制服になるわ。
荷物に予備も入れてあるけれど、直接手渡しをしたかったの」
「ありがとうございます。母様」
「エルにとってはもしかしたら学ぶことは少ないかもしれない。
けれど学校は勉強するだけじゃない。ともに何かを成す仲間を作ってきなさい。
それはあなたがお父様の跡を継いだ後にどれだけ大切かがわかるわ」
「はい、『よく学び、よく遊べ』ですね」
「ええ、よくできました」
僕と母さんはそう言って笑い合う。
「それから……ベルもこっちに」
「はい、なんでしょうか? エリザベート様?」
「あなたにもこちらを……」
母さんはそう言うとベルに布を差し出す。いやあれは女性用の制服?
「エリザベート様、これは?」
「ベル、あなたの制服よ」
「え? ですが私はエル様の傍付メイドとして……」
「うーん、最初はそう思っていたんだけれどね。やっぱり止めることにしたの」
「え、それは、私はクビという事でしょうか?」
「厳密にいうと傍付メイドはクビと言えるわね。
その代わりにエルの補佐をする人材になってほしいのよ。
エルから聞いたわ。ベルはもしメイドになって無ければ技術者になりたかったんですってね」
「あ…………」
あー、そういえば以前、夕食の会話の際にそんな話をしたことがあったかもしれない。
確かその後、ベルの技術者としての才能はどうなのか? とか色々聞かれたなぁ
「私はね、ベル、今後の事を考えるとエルのために専門分野に特化した人材が欲しいの。
ひどい言い方をすれば、エルの世話をするだけのメイドなんて簡単に揃えることが出来る。
けれど、エルの思いを理解し力になる事が出来る人を揃えるのは大変なの。
ベルはこの一年、常にエルの傍でエルの考えていることを見てきている。
だからお願い。エルのためにあなたにも多くの事を学んできてほしいの。
これは、ファンナともよく話し合って決めたことでもあるの」
「え、お母さんも……」
いつの間にか母さんの傍に来ていたファンナさんにベルは問いかける。
それにファンナさんもうなずく。
「ベル、あなたが望むことをしなさい。
それが父さんや母さんにとっても幸せなことだから」
「お父さん、お母さん……エリザベート様……ありがとうございます。
このような扱いをして頂き感謝しかありません」
「あら? ベルにとってはこれからが大変よ。エルが通う学校は大半が貴族。
平民であるあなたへの扱いはひどいものになる可能性があるわよ?」
その言葉の意図に気づき、ベルの表情が暗くなる。
この国では地位がモノを言う。貴族にとって平民は搾取する相手。
しかも客観的に見てもベルは美人だ、女性としてより成長していけば、性的な意味で何をされるか分かったもんじゃない。
母さんはそんな不安そうなベルに微笑みかけ頬にそっと手を添える。
「だから考えたの。簡単な事よ。あなたも貴族になればいいの」
うん? 今何と?
「え? エリザベート様、それってどういう?」
「バルクス伯には八つの男爵号があるのよ。けれど幾つかの男爵家、特に『ピアンツ男爵家』は断絶して久しいの。
いつまでも空席にしておくのはバルクス伯家としても恰好がつかないんだけれど、男爵号に見合うだけの実績がある一族が実際問題いなかったのよねぇ」
今までの経験から察する。
母さんがフレンドリーに話す時には何か良からぬことをたくらんでいると。
まるでいたずらを思いついた子供のような目になる。こうなると誰にも止められない。
でも今まで悪い方向に進んだことが無いから本当に不思議ではあるけれど……
ただ、それによって誰か(主に父さん)が苦労するという事は伝えておこう。
確かにバルクス伯内には四家しか男爵号を持つ一族がいない事を思い出す。
つまりは四家が空席なのだ。
この世界では公・侯・伯・子(子については一部例外あり)の爵位は国王の承認無くして封じられる事はない。
それに対して男爵は公・侯・伯・子の権利として有限ではあるが封じることが出来る。
バルクス伯としては八つまで封じる事が出来るという事だ。
うん、それは分かる。
けど承認するにしても流石に大義名分が無いんじゃないか?
平民を男爵位に封じるにはかなりの実績が必要と言われている。
ベルはまだ八歳の子供だ。そんな彼女に実績があるというのは難しい。
「それでね。ベルはファンナが昔、中央の騎士団に所属していたことは知っているわよね?」
「はい、知っています」
「実はね。出産を機に中央騎士団は退役したけれど騎士号自体は返還していないの。
つまりは、今でもファンナは騎士というわけ。
そして、バルクス伯のメイドになった時もエルの護衛役を兼ねていたの。
うんうん、当主の子息を警護するなんて騎士の鑑と言えるわね。
この八年間、エルはこうして何事もなく成長することが出来た。
これは感謝してもしきれないわ。
なのでバルクス家としてメル家に対してその功績に感謝しファンナ・メルを当主として『ピアンツ男爵』に封じる事にしました。
おめでとう、イザベル・ピアンツ・メル男爵公女、パチパチパチぃ」
そう言って嬉しそうに手拍子する母さん。
そして苦笑いするファンナさんと父さん。
うん、清々しいほどに突っ込みどころ満載の暴論だ。
だけれど、バルクス伯としてそれで筋が通っていると言えば、問題ないという事になる。
……まぁ、父さんは頭を痛めただろう。心中お察しします。
メル家、ここではファンナさんが男爵家当主になる。それはベルが男爵公女になるという事である。
実際の所、男爵号は「貴族ですよぉ。平民じゃないですよぉ。偉いんですよぉ」くらいの権力しかない。
公爵領では男爵号が多すぎて「村長が男爵です」というところもあるらしい。
だが本質は別の所にある。
バルクス伯国の名においてメル家を庇護する事を宣言したに等しい。
つまり、ベルに対して不遜なことをする者は、バルクス伯国に対して喧嘩を売った事になるのである。
これは貴族社会においては恐ろしいまでの抑止力になる。
いまだに理解できていないベルの肩をバインズ先生が優しく叩く。
「エリザベートに気に入られるのはこういう事だ。これからも苦労するが……まぁ頑張れ」
と聞こえたような気がするけれど、空耳だったんだろう。うん、きっとそうだ。




