第215話 ●「何時もの風景1」
いつもと同じ時間に私は自然と目を覚ます。
外は太陽が昇りだしたほどで部屋の中へと差し込む明かりはまだ少ない。
ベッドの上で上半身を起こし、大きく伸びをした後、ベッドの横に据え付けられたランプのボタンを入れる。
ランプの明かりがまだ薄暗かった部屋を満たしていく。ランプを灯すのは旧来の火ではなく電球からの優しい光だ。
ベルとメイリアが頑張って作り出した火力発電機による電気によってバルクス侯爵家と隣に立つこの寮の生活は大きく向上した。
日が落ちても、ランプへの燃料補充や火の始末を考えることなく部屋を明かりに満たせる生活は私にとっては至高である。
火のランプは照度が低く、風などによってぶれるので趣味である読書の妨げとなっていた。
けれど電気のランプは安定した明かりを提供してくれるので読書に熱中することが出来る。
もう一度大きく伸びをした後、布団から抜け出し、寝巻きと下着を丁寧に脱ぐと部屋に据え付けられた浴室へと向かう。
侯爵家と寮には常に温かいお湯が提供されている。
ほぼ二十四時間稼動する製鉄場の鉄の冷却や炉熱を利用してお湯を作り出しているのだ。
さすがに飲料水としては使えないが、お風呂やシャワーとしては十分である。
侯爵家ではメイド達の更衣室にもシャワールームが建設されて大変好評とのことである。
多くの平民の家にはお風呂というものが存在しない。公衆浴場を利用する者がほとんどであろう。
それ故に夕暮れ時になれば多くの人がごった返してお風呂でゆっくりするという余裕は無い。
けれど侯爵家であれば比較的落ち着いてシャワーを浴びることが出来る。しかも無料なのだ。
メイド達の多くが平民――辺境では中央ほどのメイドに教養は必要とされない――だから懐にも優しい。
なのでほとんどのメイドが仕事前と仕事後にシャワーを浴びていく。
貴族らしからぬ懐の広さを見せる領主ゆえに、いまや侯爵家のメイドは人気の職業第一位といえるだろう。
寝汗を流し終えた私は新しい下着を身につけ、メイドが準備してくれた制服を身にまとう。
別に制服を着用することは強制されてはいないのだが、これを着る事で身がしまるので私は気に入っている。
そして鏡に向かい身支度を整えていく。とはいっても正直私には化粧というものが良く分からない。
私の身の回りの世話をしてくれるメイドが薦めてくれた肌に良いとされる化粧水をつけるくらいだ。
私の立場からすれば外部の人間と接する機会も多いので化粧は覚えたほうがいいのだろうなとは思うのだがどうしても二の次となっていた。
そんな事を考えながら身支度をしている最中、私――アリストン・ローデンの脳裏にある人の顔が浮かび上がる。
それは私が知る限りでは一番の美人といっても過言ではないクラリス・バルクス・シュタリアの顔である。
彼女は三ヶ月前、元気な男の子を産んだ。それと共に不思議なもので彼女の表情も母親の顔になってきた気がしている。
だがやはり根っこの部分は変わらない。
今も続く二人だけのお茶会で間接的にプレッシャーをかけてくるのだ。
――エルスティア様にいつ告白するのか?――と
以前、クリスには譲れない条件として他のメンバーが告白してからと言った。
そして今やベル、ユスティ、メイリア、リスティの全員がエルスティア様に告白し了承を貰ったという。
つまりは私の譲れない条件は既にクリアしてしまった。
そしてお茶会の席で楽しそうに言うのだ『エルと皆の結婚式は身内だけで慎ましく合同でやりたいわね』と。
その言葉の裏に隠れている真意は『合同対象のアリスも告白しないと、ベルたちも結婚できないわよ』だ。
友を人質に取るのはずるいと思いながらも、執務官として冷静な自分が非常にいい策だと太鼓判を押す。
もちろん、自分だってエルスティア様の事を嫌っているわけが無い。
クリスと話してよりエルスティア様の事を意識するようになった。そしてこれは好意であると納得できた。
ただ、正直どう告白すればいいのかが想像できないのだ。
思春期のほぼ全てを男社会の中で過ごしてきたせいか、女子の感覚がやや欠乏しているのだ。
体つきについては胸については……うん、平均以上はあるはずだ。
困った時には先駆者に学べということで友人を参考にしようと考えた。
ベルの告白は二人だけにしか分からない言葉のやり取りだったから参考には出来ない。
他の人にも何気なく探りを入れてみたが、やはり恥ずかしいらしくうやむやにされてしまった。
となると自分の言葉で伝えなければいけない。
そして思い出に残るようなシチュエーションで伝えたいという、僅かばかりの乙女心もあるのだ。
政治や経済の事であれば水が流れるがごとく流暢に喋ることができるが、自分の恋となると突如堅牢なダムに言葉がせき止められてしまう。
『愛しています』という六文字程度の言葉のなんと難しいことか。
「……ふぅ、あまり考えすぎるのも困りものよね」
独りごちると、タイミングよく部屋をノックする音が聞こえる。
ベルかメイリアが侯爵家の朝食に一緒に向かうために来たのだろう。
「おはよう、アリス」
「おはよう、アリス」
「おはようベル、メイリア。それじゃいきましょ」
扉を開けると予想通りベルとメイリアが連れ立って私を迎えに来ていた。そうして三人は雑談をしながら侯爵家の食堂へと向かうのであった。
――――
ここ最近の侯爵家の食堂の風景で変わったことがある。
一つは小さな天使が加わったことだ。
アルフレッド・バルクス・シュタリア――エルスティア様とクリスの間に生まれた一人息子である。
生後三ヶ月で少しずつ表情が豊かになってきた。
クリス曰く非常に手の掛からない子らしく、今も大人しくクリスから授乳してもらっている。
まさに家族の団欒だ。もうすぐここに友の四人も加わることになるだろう。
そんなところに未だ部外者といえる自分がいることになんとなくアリスはむず痒さを感じる。
もう一つは、食事の中にジャガイモを使用したメニューが追加されたことだ。
エルスティア様から一通りの調理法――エルスティア様の前の世界の料理本をベルが翻訳したもの――を習った調理人が奮起している成果である。
毎日趣向を凝らした料理は密かな楽しみである。
ジャガイモについては、種芋となる分を除いて未収穫であった残り半分については商人連に引渡しを行った。
当初はアリス達同様にその見た目に懐疑的な視線を向けてきた商人連の幹部達も試食によりその評価を大きく改めることになる。
商人連が管理する畑で栽培をしたいと種芋の購入を願い出てきたほどである。
アリスとしてもジャガイモの先行販売も考慮に入れていたので安く種芋と栽培方法を販売した。
短期的に見れば損ではあるが商人連の収入が増えることは領内の経済活性だけではなく、税金収入の増加も見込めるのだから長期的には得をすることになる。
そんな事をボーっと考えていたアリスの後ろにある扉に向かってパタパタという足音が二つ近づいてくる。
「おはよう! 父さん、母さん、兄さん、クリス姉、アルフ、みんな!」
「お早うございます。父様、母様、お兄様、クリス姉様、アルフレッド、みなさん」
朝一の農場の作業を終えたアリシャ様とリリィ様が元気よく食堂に入ってくると何時もの席に座る。
そのタイミングに合わせたかのように給仕のメイドたちによって、温かな食事が配膳されていく。
これが、バルクス侯爵家での何時もの食事風景であった。
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