第204話 ●「ローザリアの日常1」
ローザリア・エンザ・モードの朝は早い。
とはいえ、基本的にこの世界の人は早起きではある。
いや、早起きにならざるを得ないと言ったほうが正しいだろう。
この世界には夜を照らし出す照明――蝋燭やランプだ――は貴重品。
そんな物を惜しげもなく使えるのは商人といった裕福な平民層か貴族や王族位だろう。
それ以外の人は、薪によるかがり火が夜の唯一の光源である。
ゆえに人々の生活サイクルは日の出とともに始まり日の入りとともに終わる。
一方でローザリアが暮らしているこの建物には電気による照明が先月取り付けられたことで夜でも明かりに苦労することは無くなった。
それでも、長年の習慣というものは中々抜けるものではない。
特に、自然とともに生きてきたローザリアにとっては、夜でも明るいという環境がどうにも理解できないのである。
だが、人間――亜人だが――というのは慣れる生き物である。
一月もすると、気にしてもしょうがないという結論に至っていた。
ルーファ族は、日の出の数時間前から狩りに出かけるため、日の出前の空気、匂いというのだろうか。
それに反応して自然とこの時間に起きてしまうのだ。
目を覚ましたローザリアが目を開くとそこにあるのは、少女の顔のドアップ。
いや、すでに二十歳を迎えたのだから、女性……だろうか? 少し涎を垂らしながらも幸せそうに眠っている。
ユスティ・ヒリス・ラスティ
彼女のご主人――本人は何故か嫌がるのだが――であるアインツ・ヒリス・ラスティの双子の妹である。
ご主人のご主人であるエルからローザリアのバルクスでの世話役として任命された。
自分よりも四つ年上である彼女だが、どちらかと言えば童顔。
ローザリアと並んで歩けば身長は低いが、自分のほうが年上と見られることも少なくはない。
それでも不慣れなローザリアに色々と妥協しながらも過ごしやすい環境を作ってくれていることには感謝しかない。
ただ、困ったことの一つになるのだが就寝する際、一緒のベッドで寝ることを半ば強制してくるのだ。
ローザリアにとって、それまで寝る際の場所は地面に藁や葉っぱを敷いてその上でというのが当たり前だった。
ベッドはそれまで未経験、最初はおっかなびっくりであったが、慣れてみれば中々に良いものである。
まず何と言っても起きた際に体が凝っていない事が素晴らしい。
藁などを敷いているとはいえ固い大地にほぼ直接寝ることが多かったから毎朝まずは体の凝りをほぐすことからだったのに比べてその必要がないというのはローザリアにとっては画期的な事だった。
故にローザリアとしてもベッドでできるだけ眠りたいのだが、そのベッドはユスティのベッドでという縛りをつけられてしまった。
ならば床で……と言うとユスティはこの世が終わったかのような表情をローザリアに向けてくるのだ。
まったくもって卑怯な手である。
自分は朝起きるのが早いから……などなど色々な理由をつけたものの結局、ローザリアが折れる形で今に至っている。
「……ぐふふ、エル君。もう食べられないよ……」
そんなお約束の様な寝言をつぶやくユスティを起こさないようにそっとベッドから降りる。
まぁユスティは起床の時刻ピッタリまではほぼ起きて来ることは無いのだけれど、何だかんだと敬愛している彼女に迷惑をかけたくないと言うのがローザリアの気持ちなのだ。
そして手早く身支度を整え静かに部屋の外に出ると、寮の前の広場へと向かう。
――――
寮の前の広場は、この寮に住むベルやメイリアたちによって一部の場所に季節の花々が植えられた花壇がある。
そこからかすかに漂っている花の香りが人よりも僅かに優れた嗅覚を持つローザリアを心地よい気持ちにさせてくれる。
二月ももうすぐ終わり、暦上はもうすぐ春だがさすがに日も昇らぬ今の時間帯は肌寒い。
動きやすい格好ゆえに薄着のローザリアは一度身震いする。
アインツ達と出会った頃に着ていた皮製の服ではなく、ユスティ達女性陣がかしましくしながらも選んでくれた布製の服で着心地は良い。
この姿で耳と尻尾さえ隠せば何処にでもいる女の子と変わりは無い。
ローザリアとしては耳を帽子などで隠されると聴覚が落ちるので違和感はあるが、バルクスで生活するためと納得はしている。
ただ、侯爵家の敷地内であれば隠すことは強制されないので今は晒している。
花壇から少し離れたところまでたどり着くと、ローザリアは地面に手を着き詠唱を始める。
詠唱が終わり地につけた手を離すとそこに付いてくるかのように土が伸びあがり次第に形を、一振りの剣へと変えていく。
それは十六氏族が『グートリア』と呼ぶ十六氏族のみが使用可能な魔法系統――彼らは『精霊魔法』と呼ぶ――の中の一つ。
大地の精霊に語り掛け、その恩恵の一部を借りて武器を作り出す『ウェポンクリエイター』と言う魔法である。
十六氏族はこの魔法を使えるから――とっさの護身の為に小剣は身に着けるが――得意とする武器を持ち歩くことが少ない。
その分、人間種に比べると武器に対しての思い入れも少ない。
アインツやユスティが三日月と何かの花の刻印がされた剣や弓を大事に扱っている事もよくわからない。
だからと言って、それを馬鹿にしたり否定したりは考えてはいない。
人間と十六氏族のそれぞれで独自の文化が形成されてきたのだ、それを否定するものではない。
そもそも十六氏族の中でさえ文化が異なるのだから。
それはユスティが自分の文化を理解しつつも人間社会で問題ないように調整していくれている事への感謝もある。
「僕も大分こっちの生活にも慣れたもんね」
そう一人呟くと笑顔がこぼれる。
魔陵の大森林に連れ去られた妹を助けるため掟を破って村を飛び出した事に後悔はしていない。
結局、妹を助け出すことが出来ず、村に戻ることもできなくなったローザリアを救ってくれたのはエルでありアインツである。
言ってしまえば拾わなくてもいい苦労を拾ってくれたのだ。
いずれはこの恩をどうにかして返したい。その気持ちがローザリアの中では強い。
自分がその恩を返せるとしたならば、それはこの剣の業だろう。
だからこそ、今でも欠かすことなくこうして朝早くから剣の鍛錬を続けているのだから……
――――
「おっ、今日もやっているみたいだな」
ローザリアが剣の鍛錬を始めてから三十分、不意に後ろから声を掛けられる。
「ごしゅ……アインツ、おはよう」
人が近づいてくる気配を感じ、その歩様の癖でアインツと分かっていたローザリアは振り返ることもなく挨拶する。
アインツは口調や態度はぶっきらぼうではあるが、こと剣術となるとこうして朝早くに起きて訓練することを欠かすことは無い。
だからこそ、毎日行っているローザリアにとっても近づいてくる人物を間違いようもない。
「まだ、ご主人様って言いそうになる癖は直んないみてぇだな」
苦笑いするような雰囲気を感じるが、それでもローザリアは振り返ることなく剣を振り続ける。
「僕にとってはご主人はご主人だからね。アインツに言われてできるだけ呼ばないようにはしているけどさ」
「悪いな、俺はエルと違って下も下の男爵様の家に生まれたからな。そんな感じで呼ばれることに慣れてないんだよ。
さてと、それよりも模擬戦でもやってみるか?」
そう言ってくるアインツにローザリアはやっと振り返る。
「うん、今日こそ僕が勝つよ」
「おぅ、今日も負かしてやるよ」
そうローザリアが言い返すと、アインツは嬉しそうに笑う。
二人の模擬戦の形式はあの時――初めて剣を交わした時と同様である。
お互いに一振りの剣を握り構えあう。
二人が出会って何度目になるだろうか?
バルクスにおいても今や最高峰に近いであろう二人の模擬戦は、誰に見られることもなく、静かな朝の中庭で始まるのであった。
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