第192話 ■「忌み鉱1」
王国歴三百十一年十二月十五日
今後のバルクス辺境候の治安体制について軍部の皆と話していた時、ある来客が訪れた。
「アーグ教の司教が来た?」
僕の声に執務室にいた皆が一様に嫌な顔をする。
その反応を見る限りどうやら招かれざる客のようだ。
特にアリスにいたっては、しまったといった感じの顔だ。
「説教師共かよ。何しに来やがったんだ」
丁度報告に来ていたルッツ団長は露骨に嫌そうに喋る。
その場に居るリスティ達も同じ気持ちのようである。
「知りませんでしたけど、この国にも宗教家って居たんですね」
「この国ってよりかは、この大陸って奴だな」
この大陸ってことは王国だけではなく帝国や連邦もということか。
となるとかなりの大勢力なのだろうか?
「エルスティア様、ここはとりあえず私に任せておいていただけますか?
上手いこと取り成してお帰りいただくので」
「うん、わかった。それじゃ頼むよアリス」
「ありがとうございます。すぐに済ませてきますのでお待ちください」
僕の答えにアリスは一礼すると部屋を出て行く。
ちょっとした空き時間が出来たからアーグ教について聞いてみることにした。
「御大、アーグ教という奴について教えてもらえます?」
「さっき言ったようにラスリア大陸全土で信仰されている宗教だ。
魔法至上主義を謳い、魔法を生み出したとされる魔道神ウズを唯一神としている」
ふむ、一神教というやつか。
それにしても魔道神ウズというのは初めて聞いた名前だな。
昔読んだ本に書いてあったっけ?
「ただ、このアーグ教というのがめんどくさくて……」
「というと?」
リスティがそう続ける。
「そもそもがウズを信仰している宗教は『ウスリア教』と呼ばれているんです」
「ふむふむ……」
「ただその教典の解釈の違いによりいくつもの宗派に分派したうちの一つが『アーグ教』なんです」
うーん、僕自身が宗教に詳しくないから違うのかもしれないけれどキリスト教がカトリック・プロテスタント・オーソドックス・ギリシャ正教のように分派したのに似ているのだろうか?
「……あれ? ウスリア教ってどこかで聞いた記憶が……」
そう、どこでまでは思い出せないけれど記憶の片隅に引っかかりを感じる。
「エル、多分ですが貴族学校の授業の中ではないですか?」
「……あ、そうかも」
そうつぶやく僕にリスティは恐らく授業をまともに聞いてなかったんだなぁという感じで苦笑いする。
だってしょうがないじゃない。僕にとっては宗教ってそこまで思い入れのあるものではないのだから。
生前から僕にとっては宗教はそこまで身近なものではなかった。無宗教と言うやつだ。
勿論、死んだ両親や先祖の墓に手を合わせるという事はやっていた。
けれど『南無阿弥陀仏』がどこの宗教かと聞かれるとちょっと自信がない。それくらいの知識しかない。
だが、この世界はよく考えれば中世レベル。
現代のように科学的な知識も低いから多くの事が神の奇跡として考えられていた。
幸か不幸かバルクス家は父さんや母さんを含めて宗教色が非常に希薄だ。
ゆえにそれが当たり前で宗教というものを考えたことがなかった。
だから貴族学校の授業で聞いていても、僕にとっては日本史の授業で日蓮宗や真言宗を興した人物の名前を暗記する程度の認識しかなかったから記憶からもスッポリと抜けていたのだ。
「ウスリア教を何となく思い出されたという事で……アーグ教はウスリア教の中でも主戦派になるんです」
「……どうしてこうも僕の周りはめんどくさいのが多いんだろうね」
その僕のぼやきに皆が苦笑いする。
それは何となく僕が言うか? という雰囲気が含まれているような気もする。
「それで主戦派ってのは具体的には?」
「エル坊は、奴らの中で鉄がなんて呼ばれていると思う?」
「鉄がですか? なんでしょう」
「崇高なる魔法を邪魔する鉱石、『忌み鉱』だよ」
うん、ネーミングセンスの無さは僕とどっこいどっこいだな。
「エル坊、不思議に思ったことは無いか? 鉄は魔法を阻害する。それは防御にも使用される魔法も含まれる。つまりは武器として使用した場合、最高の素材になる」
「はい、だからこそ騎士団の武装を変えたわけですし」
そう、だからこそ僕は騎士団の武装を銀製品から鋼鉄製に代えたのだ。
その効果はルーティント解放戦争でも十分な成果として実証された。
「ならば何故、他国は武器として使用しない? もちろん、製鉄技術が未熟だってのはあるがな」
この世界は、魔法技術の存在ゆえに医術や科学技術があまりにも未熟だ。
生活レベルは中世に近いが、科学技術だけに目を向けた場合、青銅器時代に近いんじゃないかと思うことがある。特に悲惨だったのは資材工業だろう。
銀の精錬技術はマシではあるが、銅や鉄についてはほとんど精錬されていない。
後はせいぜい、市場価値がある金くらいだろうか?
そもそも市場価値という点で鉄は銀の五百分の一、銅でも三百分の一しかない。
それでは精錬にかかる経費と釣り合いが取れていないから出回らないのも当たり前である。
バルクスは他領に比べれば鉄の埋蔵量は数十倍であるが、僕のご先祖様たちも利用価値を見出せなかったのも仕方が無いことだ。
もちろん、鉄をどこも作っていないのか? でいえば作ってはいる。
だが多くの場合、対魔物の要塞――ルーティント解放戦争でも戦場となったモレス要塞や、魔稜の大森林との領境にあるルード要塞の外壁の建築や修繕に使われるのみ。
市場に出回ってもほぼ未精錬に近いくず鉄だ。
けれどルッツ団長が言うように武器として使用しないというのはずっと変だと思っていたのだ。
鉄の阻害範囲は三十cm、そう三十cmしかないのだ。
例えばくず鉄でも矢先の傍にでもつけておけば鏃は三十cmの範囲内だから十分効果があるのだ。
一方で矢筒を自分から少し――三十cm以上離しておけば、魔法の阻害もされなくなる。
それだけでもいいはずである。
特に魔法を使わないゴブリンアーチャーのように鉄で作った鏃を使用する魔物も存在するのだから。
「……まさか、その理由が?」
「あぁ、このアーグ教のせいだ。このアーグ教ってのは、王国もそうだが、帝国、連邦の上層部への影響が強い。噂によるとアーグ教から莫大な支援が入っているというのもありやがる」
「……なるほど、政治に宗教が絡んでいるってやつですか」
前世の歴史においても政治に宗教が絡んでくる話は枚挙に暇が無い。
十字軍もその代表だろう。
主にカトリック教会の諸国が、聖地であるエルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的とした八回(九回とも)にもおよぶ遠征だ。
それ以外にもイベリア半島をイスラム勢力から奪還するレコンキスタなども有名である。
日本においても戦国時代に十年にもおよぶ織田信長と一向宗との抗争も有名だ。
だからこそ、日本では政教分離という原則まで出来たのだ。
しかし、なるほど。それで少し納得できた。
上層部に息がかかった宗教が禁忌扱いとする鉄を使うというのは難しいだろう。
「……たかが一宗教と考えないほうがいいでしょうね」
宗教は多分においては救いであるが、一方で束縛の一面も持っている。
なんせ『狂信者』という言葉があるくらいだ。
僕が生前好んで読んでいた小説にも、ある宗教の差し金で一人の英雄を失っているのだ。
特に中世時代には宗教は大いなる権力を持つことが多い。
宗教とはある程度の距離感を保ちながら敵対しないことが重要なのだ。
「…………あれ? 騎士団の中で武装を鋼鉄製にすることへの抵抗は無かったんですか?
アーグ教徒であれば教典に反する行いだから耐え切れないんじゃ?」
「あー、簡単なことだよ。バルクスにアーグ教徒が殆ど居ない。それだけだ」
「そうなんですか?」
「バルクスは常に魔物に襲われる可能性がある。
そんな中で信じられるのは、いるか居ないのかも分からん神様ではなく騎士様だったってだけだ。
それに入信していても穏健派の『ウスリア教』信者ばっかりって訳だ。
ウスリア教は鉄に関してそこまで問題視はしていないからな」
「なるほど」
「それに特にバルクス騎士にとっては武器こそが全てだからな。
自分の生存確率があがるのであれば悪魔の武器だろうと使うぜ」
ルッツ団長は豪快に笑う。
「まぁ、俺にも信じている神はいるがな」
「という事はウズという神様では無いんですよね?」
「んな、見えもしないもんを崇める気になんかならねぇよ」
「ってことは誰なんです?」
「うちのかーちゃんに決まってるだろ。魔物どもを退治して疲れて帰った俺に豪勢な食事を出してくれるんだからな。まったく神様が如きだ」
「それはそれは、仲がよろしいことで」
ルッツ団長の言葉に僕は曖昧に返す。
まぁ冗談はさて置き、バルクス領では熱心な信者が少ないというのは本当らしい。
あれ? とすると……
「であれば、ルーティントの騎士達は?」
「そこはリスティ嬢とアリス嬢がアーグ教徒で無い事を確認してたってだけだ」
「それは……リスティとアリスには迷惑かけたね」
「そこらへんの雑多な部分でエルが気にかける必要は無いですから」
僕の感謝にリスティは笑う。本当にもったいない仲間だね。
けれど宗教か……色々とめんどくさいことになりそうだな……
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