第141話 ●「ルーティント解放戦争1」
王国歴三百九年六月二十二日
ルーティント伯領 モレス要塞
ルーティント伯とバルクス伯の領境に建設されたその要塞にルーティント伯ラズリア率いる二個騎士団と民兵二万が入城した。
ここで二日ほど進軍の疲れをとり、バルクス伯領に侵攻を開始する予定である。
モレス要塞はルーティント伯との数少ない交通網の一つであるモレス街道に作られた要塞になる。
その要塞の第一の役割は人との戦争を想定したものではない。
魔物の侵略を防ぐための要塞である。
もしバルクス伯が魔物によって全滅した際、この要塞をもって王国軍の防衛ラインが構築されることになる。
つまりはバルクス伯を餌に時間を稼いでいる間に王国軍が集結するための場所になる。
非情ともいえるかもしれないが、王国全体で見た場合、中央へと侵攻する魔物がここに集中することを考えれば、この要塞の位置が非常に守りやすいと言える。
幸運にもバルクス伯の奮戦によりここまで魔物の群れが現れたことは無いが……
魔物の侵攻を防ぐことを主目的にしているが、軍の侵攻を防ぐと言う意味でも遜色ない。
まず要塞の壁は全高十三メートル。
兵が鳥のように飛べるとかで無い限り、攻城戦用の兵器の準備無く突破することは不可能だろう。
また、バルクス側の壁には対魔法のため、城壁内に鉄板が埋め込まれており、守りにおいても十分といえる。
城門も鉄で作られているため魔法による破壊は不可能。
まさに難攻不落のモレス要塞が自分にはある。
その事は、ラズリアの精神的な優越感を抱かせるには十分でもある。
だが、今のラズリアはその優越感を越えるほどに不快感が勝っていた。
「何だ! この『解放戦争』というのはっ!
まるで我々が悪者ではないかっ!」
すぐにでも侵攻したいラズリアであったが、近臣達の必死の説得によりこの要塞で兵に休みを取らせることを不承不承も聞き入れ、苛立っていたところに来てのバルクス伯からの抗議書である。
ラズリアは手に持っていた抗議書を床に叩きつけながら激昂する。
「伯爵閣下、落ち着いてください。
この手のものは伯爵閣下を苛立たせるために分不相応なことを書き連ねるものですから。」
近臣の一人、第一騎士団騎士団長のボルドーがラズリアをなだめるように口を開く。
彼としてはようやく休憩を許可したラズリアが、反故にして直ぐにでも侵攻を開始しろと言われることを避けたいのだ。
戦うことを生業にする彼にとっては、もっとも嫌うことは士気の低下である。
士気が瓦解した部隊はどれほどの名将であっても立て直すことは不可能なのだから。
今回は情報によれば敵の四倍の兵力をこちらは準備している。
『攻撃三倍の法則』と呼ばれる法則が存在する。
戦闘において有効な攻撃を行うには相手の三倍の兵力が必要という考え方だ。
よく小説や映画などで『三人で囲め』というのがあるが、それもこれに近い考え方であろう。
人の目が二つである以上、三人に囲まれればどうしても死角が出来てしまう。
もちろん、兵を三倍集めたからと言って百%勝利すると言うことでは無い。
それでも精神的な余裕になる事は確かである。
しかし今回はある理由によって期待していたほどの士気が上がってはいないのだ。
さらに、ここに来るまでの一週間に渡る進軍による疲労は既に無視できるものでは無くなっている。
軍の多くは民兵。このような長期間の遠征には不慣れであるから適度な休息が必要なのだ。
疲労は士気を下げる要因の一つだ。
しかもここからは敵領。
ゲリラ戦による妨害も考慮する必要があり、十分な休息がとれるのはここが最後の場所になる。
今回の遠征はいかに民兵の士気を維持するのかに四苦八苦している状況であった。
だが、わが主君はそれをなかなか理解できない。
いや、理解していてもバルクス伯爵憎しの感情のほうが上回っているのだ。
(まったく、どうすればここまで人を恨むことが出来るのやら)
彼も戦場に立つ男である。時に憎悪によって普段以上の力を出すことが出来ることも理解している。
しかし、それでもここまで一人に対して憎しみを抱く人間を見たことが無い。
そんなボルドーの気持ちなぞ知りようも無くラズリアは、怒りで肩で息をしている。
しかしその中でもほんの少し、まだ理性があったようだ。
「ボルドー! 休息後進発したとしてどれくらいで接敵できる!」
とりあえず、直ぐにでも進発しろと言われなかったことに安堵する。
「……はっ、バルクス伯で戦うとなりますと此処から五日ほど進んだところにあるカモイ大平原の可能性が高いです」
「くそっ! 後一週間も待たねばならんのか」
「……まぁまぁ、伯爵閣下。今までの積年の屈辱を思えば、後一週間後には番犬の首が取れるのです。
今はそれを楽しみに待たれればよろしいでしょう」
そうイラつくラズリアに語りかける男。
ルーディアスと名乗ったその男は、ラズリア伯爵が帰郷する際に同伴していた。
出自も本名も不明。
ただその細目が印象的だ。無論、何を考えているかも分からないというネガティブな印象として。
部下に対して傲岸不遜な態度をとるラズリアも何故か男に対してはその態度が鳴りを潜める。
そう、まるで洗脳されているかのように。
「あぁ、あぁそうだな。あの糞犬の首があと一週間で取れるのだ。
いや、さっさと首を取っては面白くも無い。
両手両足を切断した上で、奴の前で学生時代から俺を馬鹿にした赤毛や茶毛の女共を犯しつくしてやる。
そして絶望に彩られた糞犬の首を俺自身が取ってやる。
ふふっ、なんと、なんと甘美なことかっ!」
狂っている。
口には出さないがボルドーは主君に対してそう思う。
彼はあの時……ルーティント伯内の後継者争いの際に
『当主の長子だから』
ただそれだけの理由でラズリアを支持したことに今更ながらに後悔していた。(それ以外の武官達の思惑は違ったようだが)
今は亡きフォード様は幼いながらも知性の輝きを見せていた。
自分は大きな選択ミスをしたのではないだろうか?
今回のバルクス側の『解放戦争』という大義名分。
内容を要約すれば、
ルーティント伯の民は限度を超える重税・後継者を巡っての争いの際、何万もの民が謂われなき罪で殺された。
そして何万もの民がバルクス伯に逃げ込み今なお残る多くの民の救済をバルクス伯爵に懇願したという。
さらにルーティント伯爵は、恐怖政治から逃げ出した民の引渡しをバルクス伯爵に強要、受け入れなければ開戦すると脅迫した。
ここに至っては、圧政に苦しむルーティント伯の民を解放するための戦争にバルクス伯爵として踏み切らざるを得なくなった。
という事だ。
多くの真実の中に少しの嘘(何万もの民を殺したという部分だ。まぁ桁が一つ違うだけの事実ではあるが……)を混ぜ、ルーティント伯が悪、バルクス伯爵は領民解放のための善という構造を内外に対して示したといえる。
実に上手くやられてしまった。これでは我々が勝利したとしても笑いの種にしかならないだろう。
そして一月ほど前からルーティント伯内の町々に大量にばら撒かれた怪文書。
『バルクス伯がルーティント伯内の領民解放のために軍を動かすらしい』という内容。
それらの怪文書は即座に回収・焼却が行われたが、人の口に戸を立てることは不可能だ。
瞬く間に領民の噂話として広がっていった。
あれだけの枚数の文章を作るためにどれだけの労力をバルクス伯は使用したのだろうか?
(実際には活版印刷で二日で印刷していたのだが……)
バルクス伯側が事前に手を打った謀であろう。
領民に『倒すべき相手は本当にバルクス伯爵なのか?』という一石を投じる形となっている。
それにより今回の民兵二万人が、敵の四倍の大勢力であるにも関わらず士気がそこまで高くない大きな理由の一つだろう。
もし、緒戦でこちらが不利になれば、民兵丸々がこちらに剣を向けることになりかねない。
そんな危機感を軍上層部は抱いていた。
ラズリアが伯爵になった時、ルーティント伯は坂道を転げ落ち始めたのではないか?
兵力では圧倒しているにも関わらずそんな焦燥感に駆られる。
そんな馬鹿な。と否定することがなぜか出来ない。
まるでこれから自分に訪れる遠くない未来を感じ取っているかのような不思議な感覚。
未だ笑い続けるラズリアの声を聞きながら、ボルドーの気持ちは重く落ちていくのであった。




