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努力、勝利、バニラクッキー(6)

 材料が捌け、屋台を店じまいした後、向坂さんと私は校庭の隅に並んで座った。

 校庭には屋台で買ったものを食べる為のテーブルとパイプ椅子がいくつか置かれていたけど、そのどれもが埋まっていた。他校の生徒や父兄がたくさん来ているからしょうがない。

 だから私達は校舎の陰に隠れるように座って、ベビーカステラでぱんぱんのパックを開けた。


「あいつら詰め込みすぎなんだよ、どんだけ入れてんだ」

 向坂さんはぼやきながら、こんがり茶色く焼かれたベビーカステラを手に取る。ぱくっと一つ頬張って、眉を軽く上げた。

「まあまあ、ってとこか。ちょっと焼きすぎたかもな」

 そして私を横目で見て、カステラ山盛りのパックをこちらにも差し出してきた。

「ほら、遠慮すんなよ。お前も食え」

「あっ、いただきます」

 私は頭を下げてから、見た目はソースなしたこ焼きといった風情のカステラをいただいた。一口かじると表面はさっくりしていて、どこか懐かしい甘さが口の中に広がる。まだほんのりとだけ温かくて、美味しい。

「美味しいですね、これ」

「そうか? けど、お前が焼いたクッキーほどじゃねえだろ」

 向坂さんは謙遜しているのか、否定するように眉根を寄せた。

「いや、負けないくらい美味しいっすよ、これ」

「何言ってんだ。付け焼刃のこれとお前の努力とを同列に比べていいもんじゃねえだろ」

 そんなふうに言われると、ちょっとだけ耳が痛い。


 私の努力もある意味付け焼刃みたいなものだ。部長に頼み込んでびしばし鍛えてもらってようやく、まともにクッキーを焼けるようになったけど。

 向坂さんは甘い物が好きみたいだし、もっといろんなお菓子を作れるようになりたいな、なんて漠然と思う。

 作ってあげたいっていうのは気が早いと言うか、出しゃばりな考えかもしれない。でももしかしたら、また何か食べたいって言ってもらえるかもしれないし――何より私だって、れっきとした家庭部員だから。


「本当はもっとふわっとしたカステラにしたかったんだよ。けど中まで火通すとなるとな」

 焼けたベビーカステラをつまむ向坂さんはどこか悔しそうだった。

 それも口に放り込んであっという間に飲み込んだ後、水のペットボトルの蓋を開けて、ごくごくと音を立てて飲んだ。

 ずっと屋台の中で熱々のたこ焼き器と格闘していたから、喉が渇いているんだろう。ペットボトルの水があっという間に向坂さんの喉へ吸い込まれていく。食べ方も飲み方も実に豪快な人だった。

「思えばこれ、向坂さんの手作りお菓子なわけですよね」

 私も買ってきたお茶を飲みながら、一緒になってカステラを食べた。たこ焼きサイズのカステラは私なら三口ほどだけど、向坂さんは一口でぺろりと食べてしまう。

「生地混ぜたのは俺じゃねえけど、まあ手作りかもな」

「ですよね。光栄っす、向坂さんの手作りお菓子が食べられて」

「持ち上げても何も出ねえぞ」

 ははは、と声を上げて向坂さんが笑う。

 日陰にいるのに明るいその笑顔をこんなに近くで見ている。何かもう、嬉しいやらどきどきするやらで心臓が破裂しそうだ。


 最初に、模擬店に来てくださいって誘ったのは私の方だった。

 でもすぐに向坂さんも誘い返してくれて、約束通りに訪ねていったらベビーカステラをごちそうしてくれて、しかも屋台が終わった後、こうして一緒にカステラを食べてもらっている。

 おまけにさっき、何だかすごく思わせぶりなことを言われてしまったような気がする。『まだ』彼女じゃない、とか――いやもしかしたら向坂さんはそんなに深い意味合いで言ったんじゃないかもしれないけど。

 けど! 恋する乙女は深読みが大好きで、例によって私もあれこれ考えてしまうのだ。いい方向に。と言うか、自分に都合のいい方向に。

 とりあえず、ただのクラスメイトよりかは近くなれたって思って間違いないはずだ。


 向坂さんは黙っているとすごい勢いでカステラを食べる。山盛りだったベビーカステラがみるみるうちに減っていく。気持ちいいくらいの食べっぷり。

 彼の横顔を盗み見ながら、私は今のこの時間を、このチャンスを活かすにはどうしたらいいかと考える。

 もっと向坂さんと近くなりたい。

 そして、向坂さんのことをもっと知りたい。

 今でもクラスメイトとしてはいくらか知ってるつもりでいたけど、さっき部長に聞かれてしまった時は上手く答えられなかった。これからも、向坂さんを怖いと思っている人達に何か聞かれることがあったら、胸を張って『怖くないです、優しい人です!』って言いたい。そう言い張る為にも、私は向坂さんのことをもっとよく知りたいと思う。

 例えば、ボクシングはいつから始めたのか。ボクシングのどこが好きなのか。顔が腫れるくらい殴り合ったりするのに怖くないのか。夏休みにインハイがあるって言うけど、調子はどうですか、とか。

 もしインハイの後でまたお菓子を差し入れるとしたら、何がいいですか、とか。

 聞きたいことは山ほどあってまとめきれないほどだ。そして最後の質問を無事聞けたら、私はまたお菓子作りの練習をしなくてはならない。


「……食わねえのか?」

 いつの間にか残り数個となったベビーカステラのパックを、向坂さんがこちらに差し出してくる。

「じゃあ、いただきます」

「おお、食え食え。余ってもしょうがねえしな」

 私はもう一つカステラをいただき、相変わらず一口で頬張ってはいい食べっぷりを見せる向坂さんに切り出してみた。

「向坂さん、質問してもいいですか」

「何だ? 聞きたいことでもあんのか」

 また不思議そうな顔をして、向坂さんが私を見下ろす。

「あ……あります! 実は前からいろいろ聞いてみたいなって思ってて!」

「俺にか? なら遠慮すんな、何でも聞け」

 落ち着きのない私とは対照的に、彼はどっしりと構えて答えた。

 校庭の賑やかさから少し離れた校舎の影の中、大人びて見える向坂さんの真剣な顔つきに緊張が高まる。笑ってないから怖いと思っているわけじゃない。どきどきするだけだ。

 何を聞こう。何から聞こう。切り出しておきながら私の頭の中は何らまとまっておらず、聞きたいこと知りたいことはたくさんありすぎてパンクしそうだった。できればこれから何時間でも向坂さんを独り占めして質問攻めにしてみたい。でもそんなこと、できるはずがない。

「茅野?」

 私が考え込んでいるからか、向坂さんは一層不思議そうに目を瞬かせた。

「あ、えっと……」

 とにかくまず何か聞かないと。せっかく向坂さんが答えてくれる気になってるんだから今のうちに――焦る気持ちがついうっかり、私の口を滑らせた。

「あのっ、向坂さんって、彼女とかいるんですか?」

 いきなり、不躾なことを聞いてしまった。

 確かにそれも目下すっごい気になる事柄ではある。あるけどもだ、そういうのはもうちょっと軽いやり取りを重ねてから何気なく聞いちゃうべき問いであって、こんなの真っ先に聞いたら何か、何と言うかもう、すごくわかりやすいではないか!

 向坂さんもいきなりそれを聞かれるとは思っていなかったのかもしれない。たちまち目を剥いて聞き返された。

「俺に、いそうに見えるか?」

「え? ま、まあ、どっちかって言うと……」

「どっちだよ」

「いてもおかしくはないかなって、思うっす」

 だって向坂さん、格好いいし。

 クラスでは特に仲のいい女子もいないようだけど、私が知っている情報はあくまで『クラスメイトの向坂さん』だけだ。教室の外ではどうかなんて、まだ知らない。知りたい。

「そりゃ買い被りすぎだな。いるわけねえ」

 向坂さんは自嘲気味に笑うと、肩を竦める。

「何でか知らねえが寄ってくんのは男ばっかりだからな。女はお前くらいのもんだ」

「そ、そうなんすか……私だけ、なんですね」


 そうなんだ。

 やった。それは結構嬉しいと言うか、安心かもしれない。こっそり胸を撫で下ろしておく。

 にしても、男子にもてもての自覚はあったんだ。確かにすごいからなあ。クラスでもそうだけど、さっきの屋台にいた子達も向坂さんを心底尊敬してますってふうだった。私を『姐さん』と呼んだのは、二重の意味でびっくりしたけど。


「向坂さんっていつも男子に囲まれてますよね。教室でもそうですし」

 私が納得して頷くと、向坂さんは長い溜息をついた。

「まあな……。そりゃ女も寄ってこねえよな」

「……女子にも、あんなふうにもてたいですか?」

 向坂さんでもそういうふうに、普通の男子っぽいこと思ったりするのかな。私はすかさず突っ込んだ。

 途端、彼は鼻の頭に皺を寄せる。

「そういうんじゃねえよ。どっちかっつうとな、普通にされてえなって思ってる」

「普通に……? えっと、どういう意味っすか?」

「そのまんまの意味だ。何か知らねえが、クラスの連中からさえ、ダブってもねえのに年上みたいな扱い受けてるだろ。そういうの、こそばゆいよな」

 そう言った時、向坂さんは心なしか拗ねたような表情をしていた。一瞬だけ垣間見えた、歳相応の顔だった。

 もっともそれはすぐに打ち消されてしまって、次に私に視線を向けた時、彼は再び笑いのない、真剣な面持ちをしていた。

「逆に聞くけど、お前は何で、俺に寄ってくるんだよ」

「えっ。な、何でって」

 唐突な逆質問に息が詰まった。


 何でってそれはもちろん、私の中ではとっくにしっかりした答えが出てしまっているけど、それを向坂さん本人に告げる心の準備は全くもってできていない。

 今ここで言えと言われても、きっとどんなふうに形にしていいのかわからないだろう。


 私が凍りついたからか、向坂さんは真剣な顔をふっと崩して軽く笑った。

「いいのか、お前。俺は馬鹿だぞ」

 笑みながら告げられたその言葉に、さっきとは違う意味でうろたえた。

「な、何言ってんですか。向坂さんは馬鹿じゃないっすよ」

 むしろ私なんかより全然しっかりしてる人だと思う。だから思わず反論したけど、向坂さんはそれを一蹴するように強く言い放った。

「いや、馬鹿だよ。ボクシング馬鹿だ」

「あ……えっと」

 それは、もしかしたら本当なのかもしれない。

 危うく同意しかけた私を向坂さんは見逃さず、

「納得したな?」

 からかう口調で言われたから、大慌てで否定した。

「してないっす!」

「いや、しただろ」

「してないですから! 本当に! 全然!」

「俺だってそう思ってんだから、お前が思ってたって構わねえよ」

 そう言うと向坂さんは私の頭に大きな手を置き、前にもそうしたようにがしがしと撫でてきた。

 少し荒っぽいくらいのその手つきに、私は毎回のようにどきどきして、のぼせてしまう。嬉しいようで恥ずかしい感覚に、何にも言えなくなってしまう。

「俺は馬鹿だからな、こういうのも慣れてなくて、勝手がわからねえんだよ」

 私の頭を撫でながら、向坂さんは独り言みたいなトーンで言った。

「どうしたいかってのはわかってんだけどな。そこまでの手順がわからねえ」

 でも、どうしたいかがわかっているだけ、向坂さんは馬鹿じゃないと思う。


 私なんてこの先どうしたいかもわからない。

 本当にものすごく向坂さんが好きで、もっと近づきたい知りたいって思ってるけど、いざその機会が訪れると何から聞いていいのかわからなくてろくに質問もできない有様だ。だからきっと、私の方が馬鹿だ。

 こんなにも上手く考えられないほど夢中になって、柄にもないほど頑張りたいって思うようになって、ちょっとしたことで嬉しくて顔が緩んだりはしゃいだり泣きたくなったりする。もしかすると向坂さんがボクシングを好きなように、私も向坂さんが好きなのかもしれない。

 だから、向坂さんがボクシング馬鹿だって言うなら、私は――。


「私は、それなら、向坂さん馬鹿を目指します!」

 思いついたことを勢いのまま口に出すと、当の向坂さんはぎょっとしたようだ。私の頭から手を離したかと思うと、実に奇妙そうに言った。

「何だそりゃ」

「ですから、向坂さんがボクシング馬鹿なら、私は向坂さん馬鹿になるっす!」

「なってどうすんだ。ってか、なってどんなメリットがあるんだ、それ」

「だって私、向坂さんのこともっと、めちゃくちゃ知りたいって思ってるんで!」

 変なことを言ってるのはわかってる。でも止められなかった。

 馬鹿でもいい。ボクシングに真剣になってる向坂さんを、私は、格好いいなって思ったんだから。

 だったら私も馬鹿になるくらい夢中になって、一生懸命になりたい。向坂さんに。

「もう向坂さんのことは何にも知らないことがないってくらい知りたいっす! だから向坂さん馬鹿になりますっ!」

 思わず立ち上がってまで、私はそう宣言した。

 いつしか私が向坂さんを見下ろし、私よりも背が高いはずの向坂さんが顔を上げ、私を仰ぎ見ていた。面白がるような笑みが浮かんだその表情が、更に一段階解けて、困ったような笑い方になる。

「知りたいって言うんなら、いくらでも教えてやるよ」

 それから突っ立っている私の手を軽く引き、もう一度隣に座らせると、優しく言い聞かせるように続けた。

「ただ、もうじき夏休みだろ。俺はインハイ控えてんだ。知ってるよな?」

「は……はい。それはもうばっちり知ってますし、ものすごく応援してます!」

「ありがとな。頑張ってくるから、全部済んだらどっか行くか」

「え? どっかって……」

 それってもしかして。

 むくむくと期待膨らむ私に対し、向坂さんもまた嬉しそうに笑って言った。

「そういうとこから始めるってくらいは知ってんだ、俺も」

 つまるところ今のは要するに、デートの約束と解釈していいのかもしれない。


 いや、いいはずだ。向坂さんと出かけるのだとすれば、授業のない夏休み中に学校以外で会うのだとすれば、それは間違いなくデートになり得る。

 うわあ、どうしよう! 何を着ていこう。私もちょっとデート服とか用意した方がいいかもしれない!

 あ、それと。もう一個大切なことを聞いておかないと。


「向坂さん、何か食べたいお菓子とかないっすか?」

 私はベビーカステラの最後の二個を分け合いながら、向坂さんに尋ねた。

 向坂さんは最後のカステラも惜しむことなく美味しそうに飲み込んで、それから口を開く。

「何だ。また作ってくれんのか?」

「そうできたらいいなって……インハイ終わったら作ってみますから」

「気持ちは嬉しいけど、注文つけたら大変だろ。茅野が得意なもんでいいぜ」

「いえ、私の得意メニューなんて、せいぜい冷やして固めるくらいのものなんで……」

 私が簡単に作れる物、という基準で決めるとえらいことになる。チョコを溶かして冷やしてまた固めて、みたいな代物になる。そういうのはインハイで頑張る向坂さんに送るのにはちょっと物足りないだろう。

 なので向坂さんの食べたい物を聞いてみたい。

 向坂さんは少しの間考え込むと、あ、と声を上げてから答えた。

「じゃあ夏だから、冷たいもんがいいな。ババロアとか、ムースとか」

「なるほど……なら私、頑張ってみます!」

「できる範囲で頼むぜ。無理はすんなよ」

 そう言うと向坂さんはまた私の頭を大きな手で撫で、私を、もしくは自分自身を励ます口調で続けた。

「俺も頑張るからな。お前からのご褒美、貰う資格は勝ち取ってみせる」

 がしがしと撫でてくる手つきは、その手の大きさ、力強さの割にとても優しく感じられた。

 私を見て微笑む向坂さんの表情は穏やかで、大人びていて、今の顔を見たら誰も向坂さんを怖い人だなんて思わないはずだった。


 私も、頑張ろう。向坂さん馬鹿になるって決めたんだから。

 もう柄でもないなんて思ったりしない。

 絶対頑張って、美味しいお菓子を作れるようになる!

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