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後日談:ベリー、スイート、チョコレート

「バレンタインデー、陸くんは何がいい?」

 イベント前のリサーチのつもりで聞いてみた。

 すると陸くんは優しく、こう答えた。

「気持ちだけでいい」

「ええっ!?」

 驚きのあまり声が裏返る私に、陸くんはものすごく不思議そうな顔をした。

「なんでそんなに驚くんだよ」

「いや……だって陸くん、私を誰だと思ってるのかなって」

「誰って、一穂は一穂だろ。俺の彼女だ」

 またそういう発言をさらっと口にする。

 私はどぎまぎしたのを誤魔化す為に声を張り上げた。

「それだけじゃなくて、私は家庭部の部長だよ!」


 そう、陸くんの彼女である私のもう一つの顔、それは家庭部の部長であるということ――。

 家庭部とはその名の通り家庭科室を根城として活動する部活動であり、主な活動内容はお菓子作り。先代の部長から部長の座を引き継いで四ヶ月、私は私なりにその職務を全うしてきたつもりだ。

 そこへ来ての一大イベント、バレンタインデーである。


「バレンタインと言えば製菓の祭典、チョコ祭りだよ。そんな時に『何にも作らない』なんて家庭部部長の名折れ!」

 私は必死になって力説した。

「チョコ祭りってのは確かに、そんな感じするけどな」

 陸くんは納得した様子を見せつつも、気遣う口調で続けた。

「でも、一穂にはいつも作ってもらってるだろ。クリスマスだってそうだ」

 クリスマスの出来事はまだ記憶に新しく、陸くんが話題に出した途端、私はちょっと恥ずかしくなる。去年、初めて二人で過ごしたクリスマスにはブッシュドノエルを作ったり、プレゼントを贈り合ったり、した。

「嬉しいけど、毎度だと悪い。材料費だってかかるだろ」

「好きで作ってるからいいんだよ」

 私は首を振って否定する。

 もっともこの場合の『好き』はお菓子作りそのもの以上に、食べてくれる人のことかもしれない。

「いつも、俺ばっか貰ってるからな」

 陸くんは言葉通り遠慮がちに言った。

「俺はお前に大したことしてやれてねえし、いいのかと思ってな」

 そんなことはない。私に努力の素晴らしさを教えてくれたのは他でもない陸くんだ。頑張ってよかった、って気持ちは陸くんと一緒にいて初めて感じたものだった。

 だから私は反論した。

「私だって陸くんからいっぱい貰ってるよ」

 すると陸くんは訝しそうに、

「何か、俺がやったものってあったか? クリスマスのあれ以外で」

「えっと……愛、とか?」

 自分で言っといて何だけど、これはこれで恥ずかしい発言かもしれない。でもそうとしか言いようがない。そういう恥ずかしい言葉を使わないと表現しきれない気がしていた。

 私が照れながらも答えると、陸くんはふっと大人びた笑みを浮かべた。

「それなら尚更、俺の方が貰ってる」

 強烈なカウンターパンチに意識が飛んだ。

 つくづくこういうことをさらっと言っちゃう人だ、陸くんは。

「どうしてもって言うんなら、簡単なやつでいいから」

 私が意識を飛ばしている間に、陸くんも考えたんだろう。少し歩み寄った意見をくれた。

「簡単なやつかあ……」

 ぶっちゃけ私にとってはどんなお菓子も簡単じゃなくて、努力をしなければ作れないものだ。家庭部部長と言えど実力はこんなもんです。もっと上手くなりたい気持ちはあるんだけどな。

「チョコブラウニーとかどう? 定番だけど」

 ふと思いついた簡単なチョコ菓子の名前を挙げてみる。

「簡単なのか、あれ」

「混ぜて焼くだけだからね」

「俺にはそれだけでも難儀に聞こえるけどな」

「他の大物に比べたら全然だよ」

 陸くんは気を遣っているようだったけど、チョコブラウニーなら私でもかろうじて作れる。見た目が素朴でも格好つくのもいいところ。

 こうして、バレンタインに作るお菓子がようやく決定した。


 ――と思いきや。

 その直後に出た家庭部の会合で、私は早くも迷うことになる。

「私、今年はザッハトルテ作るつもりなんだ」

「すごーい! 私はチョコシフォンかなあ……」

「それだってすごいじゃん。私なんて――」

 バレンタインデー直前の家庭部にて、部の皆はお菓子の話題に夢中だ。

 当たり前だけど家庭部にはお菓子作り大好きな子達が揃ってる。そしてバレンタインは製菓の祭典、チョコ祭り。皆が張り切るのも当然だろう。

 私はその会話を聞きながら、今更のように気後れし始めていた。

 ザッハトルテにチョコシフォンかあ……。どっちも作り方は何となくわかるけど、私にはちょっと、いやかなり難しいかな。クリスマスにはブッシュドノエル用のスポンジを焼いてみたけど、あれはぐるっと巻くから失敗してもわかりにくいという利点があった。私も部長になって以前よりはお菓子作りが上達したけど、本格的なお菓子にはなかなか手が出せないのが現状だった。

 しかしこの流れで『私はチョコブラウニーかな』とは言い出しづらい。皆さんいささかハイレベルすぎやしませんか。

 そこへ、

「ところで、部長は何作るんですか?」

 部員の一人が私に話を振ってきて、私は慌てた。

「わ、私はチョコブラウニーの予定だったんだけど……」

 見栄を張るわけにもいかないから、正直に答えたけど。

「へえ、シンプルイズベストってとこですか?」

 帰ってきた反応はこうだ。ちょっと不思議そうですらあった。

 ベストも何も、そのくらいしか自信持って作れないからなんだけどなあ。お菓子作りの雄が集う家庭部において、私が部長に選出された理由は『先代部長との交換条件によって』だった。そのことを知っているのも私と前の部長だけだ。部長になったからといってお菓子作りが特別上手いってわけじゃない。

 でも実際、シンプルすぎるかな。


 後輩の言葉に私は、珍しく深刻に考え始めた。

 陸くんは気を遣ってくれていたけど、やはりバレンタイン。初めての彼氏に渡すチョコレートが創意工夫のない代物じゃちょっといただけない。陸くんが喜んでくれるような、私の努力のしがいがあるようなお菓子を作らないと。

 かといって今から練習するにはちょっと時間がない。

 迷いに迷った末、私は決断する。


 バレンタインデー当日は日曜日だった。

 そこで私は前日の土曜にチョコブラウニーを焼き、翌日に陸くんを自分の部屋へ招いた。

 なぜ私の部屋かというと、陸くんの部屋に私が行くと海ちゃんが黙ってないからなのだそうだ。

「クリスマス、帰りがやけに遅かったって散々突っ込まれてな」

 陸くんは照れ半分、憂鬱半分でそう言った。

「今連れてくとあいつ本気でうるせえから。ほとぼり冷めたらまた来てくれ」

 というわけで、本日は私の部屋に来てもらうことにした。

 陸くんに部屋へ来てもらうのは今日が初めてで、めちゃくちゃ念入りに掃除をした。カーテンも洗った。チョコ渡すだけなら他の場所でもよかったんだけど、自分の部屋だとお金がかからないのがいい。親が仕事でいないから、夕方までは確実に二人きりになれるのも大事。

「……お前の部屋、なんかすげえな」

 入ってくるなり陸くんは物珍しそうにきょろきょろして、落ち着かない様子だった。

「そうかなあ、普通じゃない?」

 私の部屋に珍しいものは何もない。机、ベッド、オーディオラック、あとぬいぐるみ用の棚。あるのはそんなものだ。

 でも陸くんは溜息をついて、

「女の部屋ってこういうもんなのか? 色使いがすげえ」

「あ、それは私の趣味」

 ネオンカラーが好きな私は、部屋の家具を派手なピンクで統一している。カーペットもピンク、ベッドカバーもピンク、オーディオラックの中に入ってるコンポももちろんピンクだ。カーテンは白地にピンクの水玉模様。冬っぽくていい。

 ただ陸くんの部屋とは百八十度違うから、居心地はあんまりよくないのかもしれない。

「そういや一穂、いつもこんなの着てるよな」

 陸くんは床に座りながらカーテンを指差した。すかさず私が差し出したクッションもネオンピンクで、陸くんはそれを受け取ると遠慮がちに上へ座った。


 私はキッチンで紅茶を入れると、冷やしていたブラウニーと共に部屋へ運んで、陸くんの前へ置いた。

 一目見て、陸くんが驚きの声を上げる。

「チョコブラウニー……だったよな?」

「ホワイトチョコで作ったんだよ」

「ああ、それでか」

 ケーキみたいなきつね色に焼き上がったブラウニー生地は、ホワイトチョコレートを材料にしたから出せた色合いだ。生地の上には同じく真っ白なチョコグレーズを作り、しっかり冷やし固めてある。せっかくのバレンタインだから、見た目もきれいに仕上げてみた。

「これ、中に何か入ってんのか?」

 既に四角く切り分けてある生地の側面からは、真っ赤なラズベリーの粒が覗いていた。生地をホワイトにしたお蔭でベリーの赤さが引き立って見える。

「ラズベリーだよ。ちょっと酸味があった方が美味しいかなって」

 これまで作ったお菓子の中でも、果物を使ったものは陸くんから好評だった。チョコだけよりは甘すぎなくて食べやすいかなと思ってのことだ。

「思ってた以上にいい出来だ。ありがとな一穂」

 陸くんが感心してくれたので、私は照れた。

「そ、そっかな……へへ。早速食べる?」

「ちょっと待て。写真に撮る」

 言うが早いか携帯電話を取り出し、ぱしゃっと音を立てて一枚撮る。

 写真に撮りたいくらいの出来だったってことかな。嬉しすぎる。頑張ってみてよかった。

「こんなチョコ貰ったの初めてだ。食うのがもったいねえな……」

 陸くんは言葉通り惜しそうな顔をしていたけど、せっかくのお菓子だ。食べてもらわないとそれこそもったいない。

「食べて、感想聞かせて欲しいなあ」

 私がねだると、陸くんも笑って頷いた。

「わかった。いただきます」

 白いチョコグレーズを割らないようにか、陸くんはブラウニーの側面からフォークを差して、一切れぱくっと頬張った。

 目をつむってじっくり味わってから、

「美味いな」

 しみじみと、感嘆したように言ってくれた。

「ラズベリー入ってるのがいいな。程よい酸味があって」

「陸くんなら喜んでくれると思ってたんだ」

 私が見守る前で、陸くんは立て続けに三切れも無言で食べた。その後で少し済まなそうに口を開く。

「結局、手の込んだの作らせたみてえだな。大変じゃなかったか?」

「ううん、全然。基本から材料替えただけだもん」


 チョコブラウニーだけじゃシンプルかな、と考え始めた時点でバレンタインまで日がなかった。

 だから新しいレシピの練習とか、技術を向上させてる余裕は全然なくて、そんな中で私にできることと言えば既存のレシピを改変することだった。チョコブラウニーはどう作っても大体美味しいから、それならちょっと見た目にもこだわってみようかな、なんて思った。

 それでも家庭部の皆には全然敵わないけど。


「うちの部の子はね、ザッハトルテとか、チョコシフォンとか作るって言ってたんだ。すごいよね」

 私は陸くんに、素直に経緯を打ち明けた。

「でも私は部長だけど、部長なのに、皆ほどすごいのは作れないから……」

 昔から陸くんには、格好悪い打ち明け話もできてしまえた。考えてみれば不思議だ。好きな人なのに、陸くんの前じゃ見栄を張ろうとか、嘘ついてでも格好つけようなんて気持ちにならない。ただひたすら頑張ろうって思える。

「だからせめて、見た目だけでもよくしようと思って」

「味だって十分いいだろ」

 陸くんが、まるで割り込むような力強さで言い切った。

「昔のお前なら、『チョコブラウニーが簡単だ』なんて間違っても言わなかった」

 大人の男の人と遜色ない精悍な顔に、温かく、柔らかい笑みを浮かべて。

「それだけでも目覚ましい成長だって、俺は思うぜ」

 私の目にはその表情が、愛情に溢れた笑顔に見えた。

 陸くんはクッキーもまともに焼けなかった頃の私を知っている。それは何年も前の話じゃなく、たった半年前かそこらの過去だ。その頃から見たら今の私は成長したんだろうし、成長できたのは間違いなく陸くんのお蔭だった。

 今の私はまだザッハトルテもチョコシフォンも焼けないけど、それでも頑張れば陸くんは喜んでくれる。私だってずっと、陸くんに喜んでもらいたいから、美味しいって言って欲しいから努力してきたんだ。

「だから謙遜すんな、胸張ってろ」

 その言葉に私は、深く頷く。

「うん。私、陸くんに美味しいって言ってもらえて嬉しい!」

「美味いよ。最高だ、一穂」

「ありがとう!」

 誉められて、私は照れつつお礼を言った。

 陸くんは私にいつも嬉しい言葉をくれる。校内には陸くんを必要以上に怖がる人がいるけど、私はこれまで陸くんに傷つけられたことなんて一度もない。それどころかいつも、救われてるような気さえする。

 そして私はそんなふうに優しい陸くんが大好きだった。

「でも一穂なら、そのうちザッハトルテもシフォンも、美味いの作れるようになるだろうな」

 ふと、陸くんが呟くように言ったから、

「そうかなあ」

 はにかみつつ、そんな未来を思い描いてみたりする。いくつくらいになったら作れるようになってるだろう。大学生かな、それとも社会人になってから? その時私と陸くんは、どんな大人になってるかな。

「その時も絶対一緒にいてね、陸くん」

「約束する。絶対離さねえ」

 やっぱり、さらっと言っちゃうんだなあ。

 もちろん嬉しいけど、陸くんにそう言って欲しかったんだけど、いざ言われると顔がにやついてきて困る。ついでに動悸も激しい。ほっぺたが熱いのは私の部屋が暖房効いてるからだろうけど、バレンタインに大好きな人と一緒だからかもしれない。

「あ……あのね、陸くん」

 もうちょっと頑張って、勇気を振り絞って私は告げる。

「バレンタインだから、もう一つ貰って欲しいものがあるんだけど……」

「何だ?」

「えっと、愛、って言うか……」

 この気持ちはチョコレートだけではもちろん、言葉でも伝えきれない気がしますので。

「私……つ、つまらないものですけど……」

 最高に恥ずかしい台詞を発した私を前にしても、陸くんは一切動じなかった。

 静かで真剣な、それでいてすごく幸せそうな面持ちで言った。

「謙遜すんなって言ってるだろ。つまんなくねえよ」

「ほ、本当?」

「ああ。大好きだ」

 そう言うと陸くんはフォークを置いて立ち上がり、私の傍までやってきて、膝をついた姿勢で私をぎゅっと抱き締めた。緊張のあまり震えてしまう私を落ち着かせるように大きな手で背中を撫で、髪をくしゃっと掻き混ぜてくれた。

 その直後のキスは、チョコレートみたいにとても、とても甘かった。

 チョコブラウニーのせいではないと思う。だってその後もずっと、何分経っても何時間たっても甘いままだった。


 数日後、陸くんは少し浮かない顔で私に言った。

「お前が作ったブラウニーの写真、海に見られて騒がれた」

 陸くんが携帯電話に保存していたホワイトチョコブラウニーの画像を見た海ちゃんは、『海も食べたかった、どうして連れてってくれなかったの!』ととてもお怒りだったらしい。

「んなこと言ったって、連れてくわけねえだろってな」

 ふんと鼻を鳴らした陸くんは、その後で私に向かって静かに笑ってみせた。

「何か感づいてんのかな、あいつ。俺達が前と違うって」

 そうなのかもしれない。何が、とはわからなくても何となく、私達が変わったように見えているのかもしれない。

 でも言ってしまえばこの世の中に変わらないものなんてない。

 たった半年の間に私がお菓子作りに目覚めて、家庭部の部長にまでなってしまったように、人は誰だって努力に応じて成長するし、人と人との繋がりも同じようにめまぐるしく変わっていく。

 だから、今の私が海ちゃんと顔を合わせたら、ちょっと恥ずかしいかもしれない。


 今度はもっと美味しいチョコレートを用意して、それを海ちゃんに食べてもらうのはどうかな。

 チョコの甘さに気を取られて、私達の間の空気の甘さには、もしかしたら気づかないでいてくれるかもしれない。

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