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ホップ、ステップ、ミルクレープ(2)

 陸くんは来月の国体に備えて、既に減量を始めているそうだ。

 今日のお昼ご飯はおにぎりが四つ。中身は梅干しとおかかが各二個ずつだった。

「それでちゃんと体重落ちるの?」

 私は当然疑問を抱いたけど、陸くんはあっさりと頷いた。

「トレーニングすればな」

「何かすごいね。食べた分以上に減らせるとか」

「そもそも減らそうにも、食わなきゃ運動できねえからな」


 ダイエットをするとなると、私はまず『食べない』という選択をしがちだ。その方がてっとり早く思えるし、ハードな運動まではしたくない。

 でも陸くんはこれだけしっかり炭水化物を取ってなおかつ体重を落とせるというんだから、よほど運動で燃焼させることができるんだろう。どんなトレーニングなのかな。


「陸くんにダイエット指導してもらったら、すごい痩せそうな気がする」

 思わず私がついた溜息は、屋上へ続く非常階段の踊り場に響いた。

 同じ段に並んで座る陸くんが、私を見て不思議そうにする。

「ダイエット? お前がか?」

「うん。痩せたい願望だけはずっとあるんだよね、行動が伴わないだけで」

「必要あるようには見えねえけどな」

 陸くんは私を上から下まで軽く眺めた。私服ならいくらでも誤魔化せるお腹のあたりも、夏の制服だと隠し切れないのが困る。私が視線から逃れようと両腕で庇うようにお腹を覆うと、陸くんはおかしいのを堪える顔をした。

「お前が気にしすぎなんじゃねえか」

「そんなことないよ。もうすごいから、お見せできませんって感じだから」

「俺は気にしねえから見せてみろよ」

 しかも陸くんは言うに事欠いてとんでもないことを仰る。

「いやいやもう無理全然無理。陸くんに引かれるの確定だし!」

「引かねえって」

「引くって! もうとんでもないんだよ! もっちりしてるんだよ!」

「もっちりしてんなら触り心地よさそうで、いいと思うけどな」

 陸くんはそう言ってくれたけど、ここだけの話『もっちり』でさえいわゆるところの過少申告というやつである。本当はむしろ『ぽっこり』、いや『たっぷり』かもしれない……。

「簡単にお腹へこませる方法、陸くんは知らない?」

 思い余って尋ねた私に、陸くんは声を立てて笑ってから言った。

「気にしねえって言ってるだろ。お前の腹ならどんなんだって可愛いよ」

 口から心臓が飛び出てきそうなセリフを口にして、何事もなかったように続ける。

「どうしても気になるって言うんなら、トレーニングメニュー組んでやるけど」

「それって、素人がやっても大丈夫なレベル?」

「もちろん。ゆっくり慣らしてやるよ」

 不安いっぱいの私に向けられた陸くんの笑顔は優しかった。

 最近の私は陸くんのお蔭で、努力の大切さがわかってきたところだ。運動は苦手だけど、せっかく陸くんが提案してくれたんだから、お言葉に甘えてみるのもいいかもしれない。いつか見せる日が来る時までに自信の持てるお腹になっておきたい――まあそれは当分先の話だと思ってるけど、私達まだ高校生だし。

「でも、陸くんはしばらく忙しいよね。国体が終わったらお願いしようかな」

 私がその気になると、おにぎりを四つとも食べ終えてしまった陸くんが頷いた。

「そうだな。忙しいのはお互いに、だしな」

「いや、私は忙しいってほどじゃないよ。ちょっと緊張してるけど」

「今日だったか? 部活の集まり」

「うん」

 騒々しい新学期を迎えた私には、もう一つ、乗り越えなければならない壁があった。


 それはもちろん家庭部のことだ。

 夏休みが明けてすぐ、私は家庭部の現部長と会い、次の部長を引き受けることをはっきりと宣言した。部長はとても喜んでくれて、茅野さんなら大丈夫、とも言ってくれた。夏休みの間にもお菓子作りを続けただけあって、今の私は夏休み前よりは成長しているはずだった。

 ただ部長の素質っていうのはお菓子が作れればそれでいいというわけじゃない。家庭部をまとめ、引っ張っていく気概が必要だし、それを皆に言葉で、わかってもらえるように伝えなくてはならない。

 つまり私は家庭部の皆の前で『次期部長をやらせていただくことになりました、よろしくお願いします』と挨拶をしなくてはならないのだ。

 しかも今日の放課後。

 緊張のあまり武者震いもするというものだ。


「お前なら大丈夫だ。自信持って、胸張っていけ」

 陸くんは力強い言葉をかけてくれた。

 部長も、この間同じようなことを言ってくれた。今の茅野さんなら大丈夫、皆もついてくるよって――二人にそう言ってもらって、応えられない自分ではいたくない。だから今日の挨拶も頑張るつもりでいる。

 ただ緊張はする。どうしたってする。

「陸くんがいっぱい励ましてくれたら、すごく頑張れるかなって思うんだけど……」

 ねだるつもりで私が言うと、陸くんも心得たように私の頭に手を置いた。

 大きな手が優しく私の頭を撫でてくれる。

「これでいいのか?」

「え、えへへ……ありがとう。よくわかったね、して欲しいこと」

 頭を撫でてもらう、それだけでもう溶けちゃいそうなくらい幸せになれるから不思議だ。陸くんの手からは何か、人を幸せにするオーラ的なものが出ているのかもしれない。その為にしっかり鍛えてる感じがするし。

 でれでれする私をひとしきり撫でてくれた後、陸くんは急に手を離し、代わりに私の肩を掴んで抱き寄せた。

 私は隣に座る陸くんの肩に、横向きに倒れ込む。あまりに唐突な行動だったから何の反応もできなくて、人形みたいにかちこちのままその肩にもたれかかっていた。

「り、陸くん、人が来たら見られちゃうよ……!」

「滅多に来ねえよ。だからここにいるんだろ」

 確かにこの非常階段へやってくる人はあまりいない。踊り場に窓が一つあるだけで昼休みだというのに日当たりが悪いし、屋上のドアはいつも施錠されていて立ち入ることができないからだ。でもそういう場所だけに、たまに見回りの先生が来たりはする。こんなところを見られても怒られはしないだろうけど、だからって見られたいわけでもない。

「悪いことしてるわけでもねえのにこんなとこまで追いやられてんだ。このくらい役得あっていい」

 陸くんはきっぱりと言い切り、しばらくの間私の肩を抱き続けていた。

 その間、私はめちゃくちゃどきどきしていて緊張しっ放しだったけど、同時に陸くんの温かさを感じていられるのが嬉しかった。

 手だけじゃなくて、陸くんの全部が私を幸せにしてくれる。

 こういう時間が過ごせるなら別に教室に戻れなくてもいいかななんて、ちょっと思わなくもない。現金だなあ、私。


 放課後、私は家庭部の会合が行われる家庭科室へと向かった。

 家庭科室には部長が先に来ていて、私の顔を見るなりちょっと微笑んで近づいてきた。

「茅野さん、緊張してるでしょ」

「そ、そりゃもう……」

 こんな状況下で緊張してない方がおかしい。私は次の部長になる為に皆に認めてもらわなくてはならなくて、その為に皆の前で挨拶をしなくてはならない。もしここで何らかの失敗をやらかそうものなら、皆に『本当に茅野さんで大丈夫かな……』と不安を抱かせてしまうことになる。それは家庭部全体の雰囲気の悪化、士気の低下にも繋がることだろう。失敗はできない。

「大丈夫だよ。茅野さんはここ最近、すごく頑張ってたじゃない」

 おさげの似合う部長は、私の顔を覗き込んで言った。

 一つしか違わないのに、三年生の部長は私よりもずっと大人っぽい。その顔が今は何だかすっきりと、晴れやかに見えた。

「夏休みが明けて顔を合わせたら、何だか雰囲気まで変わった気がするし」

「いやそれほどでも……ちょっとは成長できたかなと、自分でも思うんすけど」

 私自身は、自分の顔に大きな変化を見いだせてはいない。毎日見る鏡に映る顔は相変わらずぼんやり生きていそうな私だ。ちょっと日に焼けたかな。あと家に一人でいる時も頬が緩んでにやにやしてることが多いかもしれない。その程度だ。

 でも気持ちは、大分変わった。陸くんが背中を押してくれた。だから頑張ろうと思った。

「夏休みの間に変わっちゃう子って結構いるけどね。茅野さんはすっかり落ち着いちゃった感じだね」

「お……落ち着きました!? うわあ、そんなこと初めて言われたかも……」

 予想外の誉め言葉に私はうろたえ、部長はそれがおかしいのかくすくす笑う。

「そんなに驚くこと? でも茅野さんが落ち着いちゃうと、ほんのちょっと寂しいかも」

「そうっすか? 落ち着いた方がいいじゃないすか、もう部長にご迷惑もかけなくなりますよ」

「うん、それが寂しいのかな。自分で次の部長頼んでおいて、変な話だけどね」

 寂しい、か。私はこれまで部長にかけてきた数々のご迷惑を思い返して、複雑な気持ちになった。

 部長が引退して、私が次の部長になれたら、もうこの人に頼ることはなくなっちゃうのかな――いや、もちろんそうすべきなんだろうけど。何だろう、心細さ以上に、私もちょっと寂しいかもしれない。

「ね、引退前に教えてくれる?」

「何すか?」

 問われて聞き返すと、部長は私の耳元にそっと囁いた。

「やっぱり、大人の階段上っちゃったんでしょ?」

「――上ってないっすよ!」

 私は大慌てで叫んだ。

 すると部長はくすくす笑いながら、

「本当かなあ。その辺の話、いつかじっくり聞き出してもいい?」

「じっくり聞かれたって出てきませんから! マジで!」

「だとしても聞いちゃうからね。受験が終わったらお茶に付き合ってね、茅野さん」

 いやに楽しそうに私の傍を離れていく。

 大舞台の出番前にとんでもない爆弾を投げ込まれた私は、だけど仏頂面なんてしていられなかった。こっそり赤面しつつ、苦笑もしつつ、これからのことを考える。

 部長をお茶に誘える頃には、心配をかけないような新部長になっていたい。


 家庭科室に部員が全員揃ったところで、教壇に立った部長が話し始めた。

「毎年度恒例のことではありますが、私もこの九月、前期終了と同時に受験の為、家庭部をお休みすることになりました」

 やっぱりこの人は真面目で、話し方からしてきびきびしている。本当に頼れる立派な部長だった。

「部長として至らないところもたくさんあったかと思いますが、部の皆が協力してくれたお蔭で、どうにか一年間務め上げることができました。皆、本当にありがとう」

 そう言って部長が頭を下げると、私を含む家庭部員からは自然と拍手が湧き起こった。

 部長は拍手の間、思い出を振り返るみたいに部員一同の顔をじっくりと眺めていた。心なしか、その目が少し潤んでいるように見えた。

 でもやがて拍手がやむと、部長の表情もすっと引き締まってこちらを向く。

「私の次の部長は、茅野一穂さんにお願いしようと思っています」

 家庭科室に居合わせた部員達が、一斉に私の方を見た。

 私はその表情を一人一人確認したい衝動に駆られたけど、こんな時にまで落ち着きないのは格好悪いと黙って部長を見つめ返していた。ただ、誰も驚きの声を上げなかったのが意外だった。これがうちのクラスなら男子の一人くらいは『茅野かよ! 無理だろ!』って突っ込んでるところだ。

「じゃあ……茅野さん。前に来て、挨拶をお願いします」

 部長は私を促すと、教壇から一歩下がって黒板の前に立つ。

 私は席を立ち、まずは教壇を目指した。正直この時点でめちゃくちゃ緊張していたけど、胸を張ることだけは忘れないようにして歩いた。それから教壇に立つ前に、部長に感謝を込めて一礼することも忘れなかった。部長も目だけで微笑んでくれた。

 教壇に立つ。いつもは先生だけが見ているこの場所からは、こちらを向いて座っている皆の顔が一人一人、よく見えた。皆が私の言葉を待っているのがわかる。総勢十五名の家庭部員、私以外の全員が私を見ている。表情は皆、思っていた以上に真剣だった。

 深呼吸をする。

 これが無事終わったら、陸くんに報告しよう。その時、頑張ったんだっていい顔で言えるように精一杯やろう。

「次期部長を務めることになりました、二年の茅野です。茅野一穂です」

 もちろん、家庭部の皆は私の名前を知っている。名乗った時、何人かがちょっと笑った。

「あの、部の皆さんは私がどんな部員かは、ずっと一緒に部活動をやってきたのでご存知かと思います。もしかしたら不安に思ってる方もいるだろうな……なんて思います」

 そう続けたら皆が笑った。

 私の背後で部長も笑っていた。

 私としてもまあ、笑われてもしょうがないかと思うし、自分でも笑って更に続ける。

「でも部長になるからには、今まで通りの私じゃ駄目だと思っています。その為の努力もこの夏休みの間にしました。お菓子作りの練習もしましたし、部長からいろんなことを教わりました」

 この夏の間にいろんなことがあった。

 少し前までは想像すらしなかった、いろんなことが。

「そして、努力するということがどれだけ大切なことかも知りました。今までの私は、努力したって無理なことも叶わないこともあるし、だったら努力する意味ないなって思ってたんです。でもそうじゃなくて、努力すること自体で得られるものもあるんだって最近わかりました。私は頑張れば頑張った分だけ、前に進めているんだって」

 緊張しすぎて、ちゃんと胸を張れているかどうか自分でもわからなくなってきた。

 でも言葉は止めなかった。

「だから私、部長になってからも頑張ります! 今の部長が築いてきたものも教えてくれたものも受け継いで、その次の代として恥じない部長になれるよう、頑張ります!」

 声も張ったつもりだったけど、もしかしたら震えていたかもしれない。

「部長としてやれるだけのことを精一杯やります。だから皆さんも大船に乗ったつもりで、私についてきてください!」

 そこまで言い切った時、家庭科室が一瞬しん、と静まり返った。

 私がゆっくり息を呑むと、じっとこちらを見つめる部員達一人一人の顔に微笑が浮かんで、そして――再び拍手が湧き起こった。最初はぱらぱらと弱い拍手だったけど、直に皆が、盛大な拍手にしてくれた。

「茅野さん、頑張って!」

「新部長、引き受けてくれてありがとう!」

 部の皆からそんな声をかけられて、私は今更ながら照れた。部長になるに当たってそもそもの動機が不純だっただけに、そんな言葉が何だかくすぐったいくらいだった。

「ほらやっぱり。大丈夫だったでしょ?」

 隣に立った部長が、そっと小声で私に言った。

「はい。さすが部長、見立てもばっちりっすね」

 私が頷くと、微かに笑って言い返された。

「そうじゃないよ。知ってたから『大丈夫』って言ったの」

「そうなんすか?」

「うん。皆が嫌がる役職を進んで引き受けたんだもん、誰も文句なんて言うはずないよ」

 それから私の肩を軽く、励ますように叩いてきた。

「あとは有言実行するだけだね。格好いいこと言ったんだから、本当に頑張ってね」

「もちろんっす! あと少しの間、よろしくお願いします!」

 私の方から握手を求めると、部長はすかさず私の手を握り返す。

「こちらこそ。残り一か月もないけど、スパルタでいくからね!」


 家庭部の次回の活動は中間テストが終わった十月中旬と決まった。

 その時が私の部長としての初部活動であり、それまでに皆で作るお菓子を何にするか、私が決めなくてはならない。

 いきなり部長としての判断力の見せどころである。頑張らないと!

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