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彼と彼女とアップルキッシュ(1)

 大変お世話になったので、部長には報告をした。

「実はその、こないだ、告白をしちゃいまして……」

『おお! やったね茅野さん、頑張ったね!』

 電話をかけて恥ずかしながらも事実を伝えれば、部長は途端に声を弾ませた。

『それで向坂さんの返事は? もちろん上手くいったんでしょ?』

「え、えっと、まあ……」

 見えないにもかかわらず目を輝かせている顔が浮かぶようで、私は大いに照れた。


 本当は電話じゃなくて会って報告、そしてお礼を言いたかった。

 部長にはいろんな局面でお世話になったし、何度となく背中を押してもらった。本来ならお茶でもごちそうしながらお礼を述べるのがすじだろう。

 だけど今はお盆で部長はこの街にいない。ご家族と田舎へ帰っているらしい。だからこうして、電話での報告となった。

 部長以外の人に報告するつもりはまだなかった。

 実は終業式の後、クラスの友達の何人かからは問い合わせが来ていて――それはもちろん私と向坂さんの関係、及びどういうわけか私自身の安否を問うものだったんだけど、それには正直に答えていた。うん、当時の認識としては正直に『付き合ってるわけじゃないよ』って。でもそれはあくまであの頃そうだったというだけだ。今は違う、多分。

 夏休みが明けたら大騒ぎだろうなあ、なんて他人事みたいに思っている。

 それがわかっているからこそ、今はまだ、クラスの子達には黙っていたかった。


 閑話休題。

『ねえねえ、どんなふうに告白したの?』

 部長が突っ込んで聞いてきたから私は慌てた。

 別に大したことを言ったわけじゃないけど、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

「言えませんってそんなの……内緒っす、内緒!」

 自分の部屋のベッドの上、見えもしないのにごろごろじたばたする私を部長の声が追い立ててくる。

『えー知りたい知りたいー。どんな感じだったかだけでも!』

「いやいや本当お話しできるようなことでもないんで!」

『何なに、人に話せないような出来事があったの?』

「話せないって言うか、何にもなくても言いづらいじゃないっすか、こういうの」

『私は茅野さんの協力者なんだから、少しくらい教えてくれてもいいじゃない』

「も、もちろん感謝はしてますけど……自分の口から言うのはちょっと、その」

 私が言いよどむと、不意に電話の向こうで息を呑むのが聞こえた。

『あっ。茅野さんを困らせたりしたら、私が向坂さんに怒られちゃう?』

 それがまた冗談に聞こえない深刻なトーンだったので、私はさっきとは別の意味で慌てた。

「そんなことないですって! 向坂さんは無闇に怒ったりする人じゃないっす」

 部長は未だに向坂さんのことを怖い人だと思っている節がある。あんなに優しくて格好いい人なのに、知らないところでこうも怯えられている向坂さんがかわいそうだ。夏休みが終わって二学期が始まったら、私は向坂さんのイメージ改善にできる限り努めたいと思っている。

 だって私は、向坂さんの――。

『だって茅野さんはもう向坂さんの彼女でしょ? 何かあったら……』

 震える声で呟く部長の言葉に、聞き慣れないその単語に、たった今時分でも思い浮かべかけていたにもかかわらず、私は思いっきりうろたえた。

「か、彼女っていうアレかどうかはわかんないんですけどっ」

『でも、付き合ってるんでしょ?』

「ど……どう、なんすかね……へへ」

 はっきり、付き合おうとか言われたわけじゃない。

 向坂さんの口から私を彼女にするとか、そういう宣言をされたわけでもない。


 でも向坂さんは私を好きだと言ってくれたし、私が向坂さんを好きだという気持ちを伝えたら喜んでくれた。

 今度は二人でデートをする約束をしていて、最近はまめに連絡を取り合ってどこへ行こうとか、どんなことをしようとか話をしている。向坂さんが、次はお前の行きたいところでいいと言ってくれたので、お言葉に甘えて選ばせてもらうことにした。水族館なんていいかなと思ってる。涼しそうだし、何か薄暗い感じが大人のデートっぽいし。

 そんなわけで、私はまだ向坂さんの彼女になったっていう実感はないんだけど、両想いなのは確かだし結構幸せかななんて……えへへ。


『向坂さんが茅野さんには優しい人だっていうのは、話を聞いててわかってるけど』

 浮かれる私とは対照的に、部長は心配そうに言った。

 だから私はすかさず太鼓判を押しておく。

「私だけに優しい、ってわけじゃないっすよ。向坂さんは強くて優しい人なんです」

『強いのはすごくわかる。試合も見てたしね』

 部長は向坂さんの試合を全て動画で観戦していたそうだ。私が最初の試合すらまともに見られなかったことは黙っていた。向坂さんの前で泣いてしまったのもあるし、言いにくかったからだ。

『だからこそ、怒らせたら絶対まずいって思っちゃったな。生きてる世界が違う感じさえするもん』

 更にそう言われて、そんなもんかなと私は首を傾げた


 世界が違う、かあ。さすがにそこまで思ったことはないかな。

 クラスの男子なんかも、向坂さんをヒットマンなんて評してたけど、向坂さん自身は暗殺稼業とは縁もゆかりもなさそうな人だ。試合を全部見ていたら、私もそんなふうに思っただろうか。今となっては確かめようがない。


『だけど、茅野さんはあんまり変わってないみたいだね』

 ふと、部長が言った。

 私は電話を握り締めたまま瞬きをする。

「え? 変わってないっすか?」

『うん、話してる限りは。見た目はまあ、会ってみないとわからないけど』

 部長は田舎から帰ってきたら予備校の夏期講習に通うらしい。だから会えるのは夏休み明けだ。

 デートにお弁当を持っていきたいんです、と相談を持ちかけたら、つきっきりでは教えられないけどとレシピをいくつかメールで送ってくれた。今回は練習から一人でやらなくちゃいけない。頑張らないと。

「そんな、夏休みくらいで人間、劇的に変わったりしないっすよ」

 たとえその夏休み期間に彼氏ができたりしたとしてもだ。

 私はそう思ったけど、部長はそう思っていないらしい。どこか真剣な口調で言われた。

『向坂さんと付き合ったら、茅野さんは変わっちゃうんじゃないかって私は思ってたな』

 それはまあ、いい影響は受けたいなって思ってる。

 向坂さんは私なんかよりずっと大人だ。同い年とは思えないことがちょくちょくある。あんなふうに強く、優しく、温かくあれたら素敵だろうなと思う。

「変われるなら変わりたいっすね。私もぼちぼち大人になんないとですし」

 私が笑っても部長は笑わなかった。

 少しの間沈黙があり、その後でおずおずと言われた。

『ね、茅野さん。興味本位だけで聞くわけじゃないんだけど……』

「何すか?」

『やっぱりその、大人の階段、上っちゃった?』

「ええ!? な、ななな、何言ってんですか!」

 予想外の質問、もしくは確認に私は思いっきり動揺する。何を聞いてくるかと思えば部長もまた随分な質問を!

 部長も自分で聞いておきながら、電話越しにあたふたし始める。

『だ、だって、向坂さんと付き合うならやっぱり……そうなるのかなって……』

「何でですか! そ、そもそもそんな人じゃないっすよ向坂さんは!」

『私の中では向坂さんって肉食獣か、そうでなければ仁侠映画のイメージだから……』

「そのイメージがおかしいっす! 獣でも任侠でもないっす!」

『そうなの? てっきりもう美味しくいただかれちゃってるんじゃないかって……』

「いやもうこっちがびっくりっすよ! 部長ってば何考えてんですか!」

 部長は向坂さんを一体どんな人だと思ってるんだ。頭がくらくらしてきた。向坂さんには牙もなければ刺青だってないのに。

 これはもう夏休みが終わったら是が非でも向坂さんのイメージアップ作戦を決行しなくてはなるまい。

『本当にそういうのなかったの? 何にも?』

 尚も部長は食い下がってくる。

「ないっす当然っす! 私達こないだ両想いになったばかりですから!」

『じゃあ、キスくらいはしたでしょ?』

 続けて問われたその内容には、短い間だけ詰まってしまった。

「し……てないです! マジで!」

 ぶっちゃけ未遂だった、ような気はする。

 でもしてない。私と向坂さんは高校生らしい実に健全で真っ当なお付き合いをしている――と思う。

「と言うか皆、向坂さんを誤解しすぎっすよ。向坂さんはヒットマンでも任侠でもないですし、すごく誠実な人なんで、ウーパールーパー飼っててもおかしくないです!」

 私は庇うつもりで言い切った。

『う、うん。ウーパールーパーってどこから出てきたのかわかんないけど』

 気圧されたように答えた部長に、駄目押しのように更に告げる。

「むしろ飼ってたら可愛いですから。向坂さんはそういう人っす」

『か、可愛いかな。そんなことあの人に言えるの、茅野さんくらいじゃない?』

 部長は溜息混じりに言った後、気を取り直したように小さく笑った。

『でも、そういうものかもね。きっと向坂さんには、私達が知りようもない、茅野さんしか知らない一面がたくさんあるのかも』


 それはどうかな、と思う。

 私しか知らない向坂さんは、まだごくわずかだ。私が知っている意外な一面は、きっと海ちゃんや向坂さんのご両親もとっくに知っているような向坂さんの本質に違いない。だから私は向坂さんをもっと知りたいと思う。誰かに理解してもらう為にも、更にたくさん知っておきたい。そしていろんな人に知ってもらいたい。

 それに部長が言ったような、そんな、そういうことは、さすがに私も心の準備ができてないって言うか。そういうのはもっとお互いを知ってからじゃないといけないと思うし。

 向坂さんだってまだそんなことは考えてないはずだ。絶対。


「と、とにかくですね。私は大人の階段なんて当分上りませんから!」

 そう主張すると、部長が今度は声を弾ませた。

『そっか。茅野さんは先に部長の階段上らなきゃ、だもんね』

「……え。ま、まあ、そうかもっすね……」

 部長の階段。そっちは既に何段か上りかけてる気がしなくもない。案外もう踊り場辺りにいたりして。ここから引き返せるかな……。

 まだ覚悟も決まらず冷や汗を流す私に、部長はしみじみと語ってみせる。

『夏休みが明けたら、茅野さんに会うのが楽しみだな。変わってて欲しいような欲しくないような、複雑な気分だけど』

 その夏休みも、そろそろ終わりが見えてきていた。

 私は変わるか変わらないかの瀬戸際にいるのかもしれない。そんなことを考えている。


 向坂さんの家にお邪魔してババロアを食べてもらって、そしてお互いに気持ちを伝え合ってから、一週間が過ぎていた。

 そして私達は一週間ぶりに顔を合わせた。


 場所は水族館へ向かうバスの車内、私が自宅最寄のバス停からバスに乗り込んだら、事前の打ち合わせ通りに向坂さんも乗っていた。

 後ろから二列目の二人掛けの席に窮屈そうに座っていて、乗り込んできた私に気づくと軽く手を挙げてくれた。口元のガーゼは取れていて、目の下のあざは薄くなり、腫れも引いているようだった。

 私はいそいそと向坂さんの座席に近づき、声をかける。

「お、おはようございます。隣、座っちゃってもいいっすか」

 一週間ぶりだからか、今日までずっと連絡を取り合っていたにもかかわらず、直接話をするのが妙に照れた。

「おはよう。駄目だなんて言うわけねえだろ」

 向坂さんが笑ってくれたので、私はいそいそとその隣に腰を下ろした。

 私が座るのを待っていたかのように、停まっていたバスが唸りを上げて動き出す。


 夏休み中にもかかわらず、乗客は私達を含めて十人ほどだった。この中の何人が終点近くの水族館前で降りるのかはわからない。

 バスの車内は過剰なくらい冷房が効いていて、バス停で待つ間に掻いた汗が一気に引いていくようだった。向坂さんは夏らしい青色のTシャツ、私は例によってデートらしいキャミワンピを着ていて、二人掛けの座席に座るとお互いに剥き出しの腕が時々ぶつかる。ぺたりとくっつく。それだけのことに、どきどきする。


「思ったより大荷物だな。重くねえか?」

 向坂さんが私の膝の上に目をやった。

 蓋が閉まるタイプのバスケットを抱えて、私は首を横に振る。

「そんなでもないっす。お話ししてた通りお弁当作ってきました」

 真夏のお弁当には注意すべき点がたくさんある。中まできちんと火を通さなくてはならないし、しっかり冷やしてから詰めなくてはならない。食べる頃まで冷たさをキープしておくことも大事だし、そうなると冷えても美味しいメニューであることが求められる。

 部長が送ってくれたレシピのうち、オーブンを使うメニューを選んで作ってみた。一人でオーブンを扱うのは初めてだったし不安もあったけど、オーブン自体は部活でも使ったことがあったし、やってみたらそこまで大変でもなかった。真夏だしさすがに暑かったけど。

「悪いな、いつも。こないだも作ってもらったのに」

 向坂さんは気遣うようにそう言い、すかさず私はもう一度首を振った。

「いえ、私も好きでやってることなんで」

 そして自分で言ってから何となく照れる。


 好きでやってる、だって。

 お菓子作りのことをそういうふうに言えるようになるとは思わなかった。もちろんその『好き』には、向坂さんに喜んでもらいたいって気持ちもたくさん含まれてはいるけど。

 修業の一環だというのも確かだった。まだ決めたわけじゃない。はっきりと胸を張って、やります、なんて言えるレベルじゃ到底ない。

 でも私は確かに、部長の階段を上りつつあるんだと思う。


「今回はリンゴでキッシュを作ったんです」

 私がメニューを打ち明けると、向坂さんは目を丸くする。

「キッシュって甘いのもあんのか」

「はい。味見したら結構美味しかったんで、期待してください」

「お、今回も自信ありそうだな」

「あります。練習、頑張りましたから」

 それはもう、毎日作ってはお母さんに『またオーブン使うの?』ってうんざりされるくらい練習した。お蔭で自信は割とある。

 頷く私の顔を、向坂さんは興味深げに見つめてきた。二人掛けの座席は素肌の腕がくっつくほど狭く、すぐ近くからじっと見つめられた私が息を止めると、それに気づいたみたいに優しく笑った。

「お前、自分で頑張ったって言う時、いい顔するよな」

 唐突に、そう言われた。

 不意を突かれてぽかんとする私を、彼はまた興味がある様子で見つめてくる。すごく熱心に、穴が開きそうなくらいしげしげと。

「思えばそれがきっかけだったな。いい表情で、好きだ」

 デート開始五分も経たないうちにこの人は、なんてことを言うのか!

 私はいきなりの攻撃にあっさりと陥落し、冷房効きまくりの車内でうっかりのぼせそうになった。


 部長は変なこと言うし、向坂さんはすごいこと言うし、何か今更緊張してきた。

 今日は一体、どんなデートになるんだろう。

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