世界の断片
「そういえば、お名前はなんて言うんですか?」
カナは歩き出して少し経ったころ、今更とも言える疑問をぶつけてみた。
「そういえば言ってなかったか」
そう言うと、男は少し悩んでからカナに名前を教えてくれた。
「宇佐美だ、宇佐美幸一」
「宇佐美さんですか! 改めてよろしくお願いします!」
カナは手を差し出し握手を求めた。
「よろしくな、お前はカナって言ったか?」
カナの握手に快く応じながら宇佐美も聞き返す形で質問した。
「はい、カナと言います!」
「苗字は?」
宇佐美は先ほどから引っかかっていた、カナは自分の苗字を言わないのだ。
「それがないんですよね、苗字」
「ない?」
予想だにしていなかった答えに驚き宇佐美は少し間の抜けた声が出てしまった。
カナは笑いながら答える。
「そんなに変ですか? 私はあの酒場に生まれてすぐ捨てられていたそうなんです。その時着ていた産着に名前が書いてあっただけらしいですよ」
あっけからんと重い過去をカミングアウトされた事により宇佐美の良心は痛んだ。
「そうか……そうとは知らずに無神経だったな、すまない」
「いいんですよ、気にしないでください」
カナに明るく励まされる。
宇佐美はさらに凹んだ。
「それより、これからどこへ向かうんですか?」
そんな宇佐美の心情を知ってか知らずかカナは話題を変えた。
「これから、この22区の中央の町に向かい統括官に会う」
カナは驚きを隠せなかった、そんなのはわざわざ死にに行くようなものだからだ。
統括官は区のトップでいくつものややこしい許可を取らなければ会う事は出来ないはずだった。
許可も無く統括官に面会を試みても会う事はおろか生きて帰る事すらできない。
「会ってどうするんですか?」
カナは恐る恐る聞いてみる。
「殺すんだよ、統括官を」
宇佐美は当然のように物騒な言葉を口にした。
「ええ!? 何でです?」
カナはあまりの事に先ほどの宇佐美とは比べ物にならないくらい変な声を出した。
「奴らの持ってる『鍵』がいるんだよ」
カナの頭は完全に宇佐美の話に追い付いていなかった。
「鍵?いったいどこの鍵なんですか?」
「1区の門を開くための鍵だ」
「待って下さい、最初からお願いします」
カナは宇佐美の前に立ち、両手を前に出して宇佐美を止めた。
「最初からか? 放すと長くなるし、俺は話し下手だからな……説明しないとだめか?」
「是非説明をお願いします!」
カナは宇佐美に詰め寄った。
「分かった分かった……取り合えず寝床を確保してからだな、だいぶ暗くなってきた」
いつの間にか、太陽は沈みかけていた。
廃ビルの中に入り、ほこりまみれの床を手で払い座りたき火を焚きながら、宇佐美は静かに話し始めた。
2204年当時この国は、様々な問題を抱えていた。
食糧問題、弱腰の外交、政治の腐敗などである。
打開策を打ち出せない政府に対しての不満が高まる中「真島」という男が率いる一派が、突如現れこの国の政権を手中におさめた。彼らは、すべての国民を幸福にすると語り強い国作りが必要だと言った。
人々は期待したのだ「強いトップ」に。
だが、政権を手にした途端に彼らは変わった。
外交を途絶し、また首都である東京に物資や優秀な人材を集め始めるとみるみる地方の人々の生活は苦しくなりついには餓死する者すら出始めた。
ないがしろにされた地方の人々は当然のように怒り大きなデモを起こし、東京の彼らの本拠地がある1区(この時は港区という名前だったらしい)に詰めかけた。それは凄まじい人数で道という道が人で埋め尽くされ、車の音や工事の音が全てデモ隊の抗議の声にかき消されたという。
その一時間後、1区は静けさを取り戻した。何千という屍の上で。
デモ隊に軍が鎮圧と称する虐殺を行ったのだ、これをのちに「1区事変」という。
この事件は、反乱を起こそうと考えていた人々と平和というぬるま湯につかっていた人々から「反抗」という牙を根こそぎ奪い代わりに、「恐怖」という鎖と「従順」という首輪をつける結果となった。
そして「1区事変」の後に東京は各区の名称を廃止し二十四の番号と「統括官」と「管理官」を各区に割り振り、「真島」たちは1区に引きこもった。
そのため、各区の統治は実際は統括官が行うようになった。そんな現体制に反発する人々もわずかながらおり、その後の反乱や鎮圧活動によって区の中に無人の空間やスラム街のようなものがあるという。
この、廃ビルもそんな無人空間の中にある。
「でも、宇佐美さんは1区に入りたいんですよね? わざわざ統括官の人たちを殺さなくても普通に行けばいいんじゃ……?」
「理由があるんだよ、理由も無しに人は殺さない」
そう言っている宇佐美の顔はどこか寂しげだった。
「1区を開ける鍵は二十二ある、各区の統括官は二十二人で鍵を肌身離さず持っている、そして鍵はすべて無ければ1区の門は開かない、ここまで言えばわかるだろ?」
宇佐美は、たき火に木の棒を投げ込んだ。
「それじゃあ、統括官の人たちも1区に行くときは全員で行かなくちゃ1区に入れないんですか?ちょっと変ですよそれ」
何故そんな面倒なシステムになっているのかカナにはさっぱり分からなかった。
「まあな、だが基本的に各区は独立していて、東京に二十二の国があると考えた方がいい。1区は基本的に各区に干渉しないし、たまに重要な命令を出すだけだから何度も集まって会議みたいなのもしなくていい、もし反乱分子が万が一鍵を手に入れようが全ての鍵を奪われなきゃ問題ない。まあ元々1~5区以外の区同士のつながりは薄いんだけどな」
「1区に入るだけでそんなに大変なんですね……ちなみに鍵は今いくつ持ってるんです?」
宇佐美は静かに胸元からニ本の鍵を取り出した、カナには何の変哲もない鍵に見える。
「二本あるだろ、少し見てろ」
一本の鍵から光が出てもう一方の鍵を下から上に照らす、すると片方の鍵が消えもう片方の鍵に2と刻まれた。
「この数字が二十二になれば、1区の門が開く」
鍵を強く握り、宇佐美は再び胸に鍵をしまった。
「悪いなあまり上手く喋れなくて、一気に説明したから疲れただろ? もう寝よう」
宇佐美はたき火を慣れた様子で消した。
「他の事はまた今度教えるから」
そう言って宇佐美は横になった。
カナには、なぜ宇佐美が1区にそうまでして入りたいのか聞けなかった。
カナは疲れているはずだったがその疑問とすでに二人もの統括官を殺すだけの力を持っている宇佐美への興味でしばらく寝付けなかった。