旅立ち
「お、お前、じ、自分が何したかわかってんのかぁ!?」
山瀬の声が上ずる彼がこんな衝撃を受けたのは初めてだった。
山瀬にとって北山龍平という男は理想のパートナーとも言える存在だった、金を渡せば今まで自分の行ってきた非人道的行為をある程度の金品でもみ消してくれた。
深く考えず目の前の金品に飛びつく姿はさながら残飯に食いつく餓えた野良犬のように山瀬には思えてならなかった。
しかし、そんな所を扱いやすいという理由から山瀬は高く評価すると共に見下していた。
今回も、カナが殺される事は火を見るよりも明らかだったが北山の機嫌を取っていたほうがいいと感じたため特に抵抗せずカナを差し出した。
だが、カナは死なず北山が死んだ。
山瀬には理解できなかった、北山は仮にもこの地区の管理官だ。
たとえ殺そうと考える人間が百人いたとしてもそれを実行に移す人間は一人もいない。
(それがどうだこいつはさも当然のように簡単に殺しやがった……)
山瀬の頭の中は荒れ狂う海のように落ち着かなかった。
店は当然のごとく騒ぎになっていた 人々は我先に悲鳴をあげながら逃げ出していた。
山瀬の言葉には答えず、男は動けずにいたカナに手を差し出す。
「大丈夫か? 立てるか?」
カナは差し出された手をすぐには掴むことができなかった。
「あ、ありがとうございます……」
やっとの事で手をつかみ立ち上がる。
暖かな手は懐かしい感触を思い出す。
カナは今起きた出来事をまだ信じられずにいた。
だがカナの前に横たわる北山の死体がカナに現実を突きつける。
「良かった大丈夫そうだな。そろそろ俺は行く、これだけの騒ぎだ、さすがに軍の奴らも無視できないだろうからな」
去ろうとする男にカナは考えるよりもまず言葉にした。
自分の中に沸き上がった思いを隠すこと無く。
「私も連れて行ってください!」
カナは自分がとんでもないことを言ったという事にすぐ気付いた。
「お前何を言ってるんだ? 俺と来てもろくなことにならないぞ?」
男は当然のように困惑している。
「ここにいたって、ろくなことになりません!」
だがカナは引かなかった。
「俺といたら確実に死ぬぞ」
その言葉がただの厄介払いの脅しではないことはすぐにわかった。
だが、カナの意思は曲がることはない。
「ここに残ってもいつか遠くないうちにきっと死にます! 同じ死でもここに残って死ぬのと、あなたに付いて行って死ぬのじゃ意味が違う、そんな気がするんです!」
カナは涙ぐみながら訴える。
「同じだ」
男は冷たく言い放つ。
少しだけ負けそうになった心をカナはなんとか保つ。
「ならどうして助けてくれたんですか? 私は今日ここで終わりだと思いました。でもあなたが壊してくれたんです私の死という運命を、勝手なことを言っていることは分かります。でも私はあなたが救ってくれた命で新しい世界を見たいんです」
「……その世界が、今まで以上に残酷だとしてもか?」
男は静かに最後の確認を取る。
「はい」
カナの大きく澄んだ黒い瞳が男の姿をまっすぐに捉えていた。
男は店の奥を指さした。
「すぐに出るぞ準備してこい」
「はい!」
男は長い髪を揺らしながらぱたぱたとかけていくカナの後ろ姿を見送る
(怖いくらい似てるな……あいつに)
男は遠い記憶を思い出す。
「あ、あんた誰だ? なんで北山がし、死んでるんだ?」
静かな記憶の回想は、耳障りな山瀬の声によって遮られた。
さっきの大声とは変わって、何が何だか分からないという状況のように山瀬は怯えている。
「今回はお前か」
山瀬が怯えているのも無理は無かった。
なぜなら北山がなぜ死んでいるのか、誰に殺されたかすら山瀬にはわからないのだから。
「すいません!お待たせしました!」
カナは大きなリュックを背負い息を切らしながら戻ってきた。
「本当にいいんだな?}
「はい」
迷いが無いと言えばウソになるだろう。
不安やためらいもあった。
だがそれと同じくらいの希望をカナは抱いていた。
「じゃあ行くぞ、ああその前にこいつはどうする?」
男は銃を山瀬の頭に押し付ける。
「散々な目に合わされてたんだろう?お前が望むならこいつをここで殺してやってもいいぞ」
男は感情のない瞳でカナに聞いてきた。
「ひぃ」
太った体を縮めて山瀬は怯えている。
「なぁ、許してくれカナ! 本気で北山なんかにお前を差し出すわけないだろ? ほんの冗談だったんだよ! でもあいつはいかれてるからこんなことになっちまって……いざとなりゃ、俺は止めようと思ってたんだ!そしたら、北山は気付いたら死んでるしこんな状況だしでもう何が何だか……とにかく許してくれカナぁ!」
誰が見ても嫌悪感を隠しきれないほど見苦しい言い訳だった。
普通の人間なら間違いなく殺したはずだ。
だがカナの出した答えは驚くべきものだった。
「どうする?」
「私は、この人を殺させません」
カナは男の銃を握り降ろさせる。
「確かにこの人には散々な目に遭わせられてきました。でも今日という日のために必要な過程だったと思うと少しくらいは許してみたいって思えたんです」
銃を握りながらカナは男に向かって笑った。
「優しいな」
男も静かに笑っていた。
「私は、自分の優しさに誇りをもちたいんです」
カナは思った。さっきの言葉を心の支えにしながら生きて行こうと。
「ああ、お前はそれでいい」
男は銃をゆっくりとしまう。
「じゃあ。いくか」
男は出口に向かって歩き出した。
「はい! これからよろしくお願いします!」
カナは深く頭を下げ、男の少し後ろを歩き出した。
こうして、二人の旅は始まった。
太陽の日差しが強い午後の事だった。