第二話 地界の邂逅
『ものも言わぬなら、早々に喰らわれても文句はあるまい』
言葉にレンガは身を震わせた。自分は死にたくないのだと知って驚いた。
チャ、と粘液の音が真正面で起り、生臭い息がモワリと顔にかかった。
『ゼグトレイユ。天界人の血の匂いだ。それか? 皆が知らぬうちに独りで喰う気か』
真っ黒の中、会話にもう一人が加わった。
『フィルトレンか』
「・・・私を、喰うのか」
生死の問題を、レンガは問わずにおれなかった。
『いかにも』
『天界人か。落ちてきたのか。珍しい』
『フィルトレン。この者は、何のために来たのか言わぬのだ。ならばもう聞く必要はあるまい?』
『なるほど、エサになるのが相応しい』
「待ってください。なぜ、私を。なぜ、天界人だと。このような私を」
レンガの問いに、静けさが起きた。
『レンガ。お前は一体何を求めている』
『レンガという名か。なるほど。けれどお前は紛れもなく天界の者。天界の存在』
「馬鹿な。私は。私のこの身は」
『・・・確かに血の匂いが強い。すでに手負いか』
『転んだ程度であろうよ。したたり落ちるほどの匂いは出ておらぬ』
「私は。天界には、相応しくなく、そのために天を降りた。肌の色と同じに惹かれて、ここに」
『明かりを。フィルトレン』
『やれやれ。やっかいな』
ボゥ、とオレンジ色の灯りが浮かび上がった。
レンガは驚いた。
降り注ぐ空の光では無い、周囲を照らすのに酷く柔らかい色味の光だった。夜の星の輝きさえもっと明瞭だ。
にじむように黒の中に輪郭が浮かび上がった。
レンガは息を飲んだ。
巨大な、ヘビに似た生き物がレンガの目の前に。
その脇に、レンガよりはよほど大きいが、ヘビよりは大分小さいヤギに似た生き物が、少し宙に浮いてレンガを見ていた。
『己で血を出した様子だ』
ヤギが言った。声で、こちらが後から来た方だと分かった。
ならば先にいたのはヘビの方だ。
そのヘビは目を細めて尋ねた。
『これは最後の問いかけだと思え。何のために来た』
「・・・私に相応しい、場所を求めた」
『天界人ならば天界が相応しい』
「私は相応しくなかった。私のすべてが黒い。私は地界でこそ産まれるべきだったのでは」
『地界を馬鹿にするのか』
『待て、ゼグトレイユ。天界人よ。なぜお前は相応しくない』
「私は天界の汚れ。私は黒。白い天界には」
『理解した』
ヘビが言った。
『それで。天界を去ったお前は、地界に何をもたらすのだ』
レンガは驚いた。自分が何かをもたらす事など、考えてもいなかった。
「私は、ただ・・・」
『どういう場所が、お前に相応しい』
「黒い場所が」
『どうする。ゼグトレイユ』
『どうするも。喰っても後味が悪かろう』
「私が黒いから」
『違う』
『その意味では無い。お前は間違いなく食えば美味い』
ヘビが大きな頭を左右に振った。
『愚かしい。紛れもない天界の者が』
「私を、天界の者と言ってくれたのは、あなたがたが初めてだ。礼を言いたい」
『なんだと』
「もし私を喰うのなら、その前に礼だけを言わせてほしい。私の話を、このように、聞いてくれたことを、感謝する」
『・・・』
『馬鹿か』
ヤギの呟きに、無言だったヘビの方はバシンバシン、と尾を打ち付けて音をならした。
『教えてやろうか、やるまいか』
『喰わぬのだろう。教えてやればいい』
『喰わぬと決めたわけでは無い』
『だが今は喰わぬ』
『確かに。だが苛立ちをどうしてくれよう』
『それはそれ。これはこれよ』
レンガはただ相手方の会話を聞いていた。口を挟むほどに理解が出来なかったからだ。
『だが、言いもせぬものをこちらから用意してやる謂れはない』
『当然だ』
急に会話が止り、ヘビとヤギがじっとレンガを見つめる。
天界では誰も見てこなかったレンガの黒い眼球を、じっと両方が見つめてくる。逸らす事などない。
レンガは衝撃を受けていた。初めての経験だったからだ。
じっと見てくる。じっと、レンガの反応を待っている。
レンガの方からの言葉を、待っているのか?
「私は」
そう言ったところで、どっと目に涙が溢れるのを知って、レンガは驚いた。
私は。
話したかった。目を見て話してもらいたかった。話を聞いて、それに答えてほしかった。その答えに、自分からも答えさせてほしかった。
私は、受け入れてほしかった。
天界で。
あの白い世界で。
私は天界人なのだ。間違いない。そう断言してくれるのが地界の方なのはどうしてなのか。
そして、私は、地界でも受け入れられない。
私は、黒くあっても、天界の者なのだから。
『良いから言え』
ヤギが言った。
「私は、私は、私は」
話そうとすると感情が溢れて止まらなくなる。
悲しさと怒りと、自らへの憐れみと、失望と、それでも求めてしまう自分への嫌悪と、存在の意味の無さと。
「私は、ただ、認められたかった。色が違うだけで、変りないのだと。紛れもなく、天界の者だと。他者との縁を。安らぎを、得たかった」
『与えよう』
そう言ったのはヘビだった。
ヤギは無言でヘビの様子をチラと見る。
『お前は紛れもなく天界の者。だが良い。その色に免じて許してやる。その色を持ったお前に分け与えてやろう。レンガよ、地界で求める物を手に入れるが良い』
『忠告だ。ここでは、自ら求めねば、手に入らぬ。だが、すでにお前は一つ二つ手に入れた』
「二つだ。あなた方だ」
『我をゼグトレイユと呼ぶと良い』
『ゼクトレイユがさんざん呼んだあとゆえにお前にも与えよう。我が名はフィルトレン。必要であれば呼べ。ただし必ず答えると思わぬことだ』
「ありがとう。ゼグトレイユ。フィルトレン」
『やれやれ、やっかいな』
『まずは血の匂いを消すと良い。他の者もエサ目当てに集まろう』
『天界人の手当てなど分からぬ』
『たしかに。レンガよ。自ら手当をするが良い』
レンガは言われて、自分の腕や身体を眺めた。
オレンジ色の光の中でも、血が滲んでキラキラ光を跳ね返していた。
「・・・治し方が分からない。ずっとこうだ」
『やれやれ。全ての血を舐めとろう』
『食欲に負けぬようにな』
『保証が出来ぬな。・・・分かった。子どもたちに舐めさせよう。ならば被害は少なかろう。明かりを消せ、フィルトレン。天界人には見えていると不快だろう。捕食光景と変わりないゆえ』
フィとオレンジ色の光が消える。
ザワザワと空気が揺れるような音がして、ベチャベチャと上から細い紐が落ちてきた。レンガは悲鳴を上げることになった。話からして、これらは子蛇だ。
皮膚の上をはいずり回られてチロチロと舐められる感触に耐えていたが、ふっと気づいた。
皮膚から熱さが取れていく。
これは、治療までされている。
彼らは私を天界人だと分類したのに。
彼らは、私を受け入れてくれた。




