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目撃者

「イタズラ娘?」

 カールが飛び起き、その拍子にマリーはころころと地面をでんぐり返り、ようやく止まった時には世界が逆さまになっていた。上下がひっくり返った視界に、全速力で飛びながらこちらへやって来るハリーの姿が見えた。彼はマリーとカールの間に着地するなり、マリーを見て叫んだ。

「見えた!」

 何事かと思えば、ひっくり返った拍子にスカートがめくれあがって、下着が丸見えになっていた。マリーは慌てて身体を起こし、スカートの裾を両手で押さえる。見上げれば、にんまり笑うハリーの顔があった。しかし、彼を蹴るなり引っ叩くなりする暇は無かった。ふと影が差したかと思えば、ハリーの背後に恐ろしい形相のカールが見えたからだ。ハリーも気配に気付き、振り向いてからわっと叫んで尻もちを突いた。

「カール!」

 ドロシーの声を聞いて、カールははっと息を飲み、走ってきた道に目をやった。マリーが振り返れば、マントと子兎を胸に抱いてドロシーがこちらへ駆けてくる。彼女が追い付くと、カールは観念したように大きく息を吐いた。

「カール、一体どうしたって言うの?」

「すまない、ドロシーさん。領主様が、伯爵様に捕まってしまった」

 ドロシーは、さっと蒼ざめた。

「俺は領主様をお助けするどころか、こそこそ隠れて見てることしかできなかった。本当に申し訳ない」

 深々と頭を下げるカールが、少し間を置いて上げた目には、おびえの色があった。

「ひょっとして、伯爵様と戦争になるんですか?」

「馬鹿な事言わないで。そんなことにはならないわ」

「それじゃあ、領主様はどうするんです。伯爵様に捕まってるんでしょ。助けに行かなくっていいんですか?」

「それは……」

 ドロシーは考え込んだ。事実を話すべきかどうか、迷っているようだ。

「時間が惜しいんだろ、ドロシー? こいつが聞きたがってることを、さっさと話してしまえ」

 ただの子兎にしか見えないジローがしゃべるのを見て、カールはぎゃっと言って飛びのいた。

「目の前に腰を抜かした天使がいるんだぞ。今さらウサギが口を利いたからって、そんなにびっくりしなくてもいいと思わないか?」

 ジローはぶつぶつ文句を言った。

「びっくりの種類が違うのよ、ジロー坊ちゃま」

 ドロシーは苦笑してジローの頭を撫で、ジローは気持ちよさそうに目を閉じた。それからドロシーはカールに目を向け、言った。

「この子たちのことは、ひとまず置いて領主様の話をしましょう。領主様は今、ひどい悪党に濡れ衣を着せられて、そいつの代わりに伯爵様の裁きを受けようとしているの。私たちは、領主様の無実の証拠を探しているところよ。そしてマリーちゃんが、どうやらその手掛かりを掴んだようなの」

 マリーは立ち上がり、小首を傾げてカールにお辞儀をした。

「するとイタズラ娘も反省して、今は領主様のお役に立ってるんですね。それなら、めちゃくちゃになった俺の麦たちも浮かばれるってもんです」

「あのね、マリーちゃんは――」

 マリーはドロシーに向かって、唇に人差し指を立てて見せた。余計なことを言って、押し問答でも始まれば時間を無駄にするだけだ。マリーが改心したと思っているのなら、そう言うことにしておく方がいい。ドロシーは渋々頷き、カールに言った。

「カール、彼女の質問に答えて。あなたの言うことが、領主様を救ってくれるかも知れないの」

「そう言うことなら喜んで」

 最初にマリーが聞いたのは、レイヴンが捕まった時の状況だった。

「酒場からの帰り道で船着き場に差し掛かると、松明を持った伯爵様と彼の兵隊たちが、お屋敷の方からすごい勢いで走ってくるのが見えたんだ。俺は面倒事に巻き込まれるのはごめんだったから、草むらに隠れて様子をじっとうかがってた。けど、誤解するんじゃないぞ。俺は後ろめたいことなんて、何一つやっちゃいないからな。ただ、偉い人たちってのは俺らにはわからないルールで動いてる時があるから、平穏に暮らしたけりゃ彼らの気を引かないのが一番だと考えてるだけなんだ」

「お前は賢いやつだ、人間」

 ジローが誉めると、カールは蒼い顔をしたが、もう飛び退いたりはしなかった。

「ありがとよ、子兎さん。とにかく、伯爵様たちは川を渡ると、松明を振りながらあちこちを探し始めた。しばらく経って、誰かがいたぞと叫んで、みんな一斉に小屋の方へ走って行った。兵隊たちは小屋をぐるりと取り囲み、伯爵様がその中へ入って行った。次に彼が出てきたときは領主様が一緒だった。兵隊のひとりが領主様を縄でぐるぐる巻きにすると、彼らはまた艀に乗って川を渡り、お屋敷の方へ戻って行った。俺は兵隊たちの姿が見えなくなるのを待ってから急いで家に帰り、布団を被って見たことを忘れようと頑張った。でも、ダメだった」

 マリーは考えた。今の話では、まだ足りないことがある。

「伯爵様と兵隊さんが岸へ渡ろうとしたとき、艀はどっち側にあったの?」

「伯爵様の領地の方だけど、それがどうかしたのか?」

 最後にマリーは、ペイルの村で何度も繰り返した質問をカールに投げかけた。昨日の晩、村の外で誰かに会ったり見かけたりしなかったか? カールの答えも他のみんなとまったく同じで、誰とも会っていないとのことだった。

 ようやくマリーは、答えを掴んだように思えた。その事を告げると、ハリーとドロシーは詳しく教えてくれとせっついた。しかし、マリーは首を振った。ここで答えを披露しては、全て台無しになってしまう。

「酒場にいたみんなが私に答えたのと同じことを、伯爵様にも聞いてもらいたいの。もし証人が先に答えを知ってしまったら、思い違いを起こすかも知れないわ。みんなを集めて伯爵様のお屋敷に向かいましょう」

 ハリーとドロシーは渋々頷いた。次に彼らはダリルのところへ戻った。ダリルは子供のマリーを見るなり目を三角にしたが、カールから事情を聞きあっさりと彼女を許した。残るアベルはペイルの村にいるはずなので、彼らは船着き場へとやって来た。

「おーい、みなさん」

 対岸から、馬を引くエドが手を振って言った。

「どうしたのエド?」

 ドロシーが口の横に手を当て大声で聞くと、エドはひどく気忙(きぜわ)しげに答えた。

「探す手間が省けてよかった。ちょっと前に、お屋敷の方から逃げて川を渡る黒騎士様を見たと言う者が現れたんです。黒騎士様の領地の村の者で、ビルと名乗ってました。みなさん、お屋敷まで急いで来てください」

 ドロシーは険しい表情で頷いた。彼らは艀に乗り込み対岸へ渡った。

「ここまで、馬ですっ飛ばして来たんです。何か収穫はありましたか?」

「ええ、マリーちゃんが証拠を見つけてくれたようなの。でも、答え合わせは伯爵様の前に立つまでお預けなんですって」

「アベルさんも連れてこなきゃ」

 マリーはドロシーに思い出させた。

「俺が連れてくる。俺なら村までひとっ飛びだ」

 ハリーが言った。

「しかし、ハリー。見付けた後はどうします。まさか、あなたが抱えて飛ぶなんて言いませんよね?」

 エドが指摘する。

「そこまで考えてなかった。さすがに俺が抱えて飛べるのは、そこのちびっ子が限界だ」

「では、私が参りましょう。馬がいれば、歩くよりはずっと早い」

「待てよ、エド。あんたアベルの顔知らないだろ?」

「もっとマシな方法があります」ダリルが言った。「エドさん、あんたの馬を貸してください。俺が探して連れて来ます」

 エドは頷き、ダリルに手綱を預けた。

「ダリル、あなたも証人の一人なのよ」

 ドロシーが思い出させた。

「わかってます、ドロシーさん。目一杯、急ぎます」

 ダリルは生真面目に答え、エドの馬に跨がり走り去った。

 マリーたちはペイルの屋敷へ急いだ。到着した彼らをペイル自らが出迎え、書斎へと案内した。そこにいたビルは、マリーを見てぎょっと目を剥くが、伯爵の手前で遠慮したのか何も言わなかった。

「待たせたな、ビル。申し訳ないが、私に話したことを彼らにも聞かせてやってくれないか」

「構いませんとも伯爵様」

 そう言ってから、ビルは申し訳なさそうにドロシーを見た。

「領主様にとっちゃ不利なお話になりますが、勘弁してください」

「わかってるわ、ビル。嘘偽りなく話してちょうだい」

 ドロシーが安心させるように言うと、ビルはぺこぺこ頭を下げた。

「それは、俺が伯爵様の村での用事を終えて、船着場に差し掛かった時です。伯爵様のお屋敷の方から、誰かがもの凄いで走って来るのが見えました。俺は夜盗か何かだと思ってとっさに身を隠しました。よっぽど急いでたのか、そいつは一歩も立ち止まることなく艀に飛び乗り、そこでようやく、俺はそいつの正体が領主様だと気付いたんです。領主様は川を渡ると小屋の中に隠れました。俺はこっそりと、それでも急いで艀を自分の岸に寄せてから、川を渡りました。高潔な領主様がこそこそする理由は何かと、どうしても気になったんです。けれど、俺は物見高い自分の性根が心底嫌になりました。小屋の壁に耳を付けると、女の声が聞こえて来たんです。俺は思いました。こりゃあ、領主様は身分違いの女に惚れて、逢い引きしていらっしゃるんだろう、と」

 ビルは気まずそうに、マリーとドロシーを見た。

「ご婦人や小さな女の子に聞かせるような話じゃありませんね」

「いいのよ。嘘偽りなく話す約束でしょう?」 

 そう言うドロシーだったが、眉間には微かな皺が寄っていた。

「と言っても、俺が知ってるのは、そこまでなんです。貴族様だろうと誰だろうと、男女の都合に首を突っ込むのは野暮ってもんですから、俺は何も見なかったことにして家へ帰りました。ところが、ちょいと前の事です。伯爵様の村に行くと、おかしな噂が耳に入りましてね。なんでも昨日の晩、お屋敷の辺りで不審な人物を見かけなかったかと、伯爵様の使いの者が聞いて回っているとか。それで俺が、見たままのことを話したら、こんなことになっちまって」

「おい、ビル。お前は領主様に受けたご恩を、仇で返すつもりか?」カールがビルをじろりと睨む。「凶作続きで苦しんでた時に税を免除してくださったのは誰だ。大枚をはたいて偉い学者さんを呼んで、小さい畑でも麦がいっぱい採れる方法を教えてくださったのは誰だ。食って行けなくて親に捨てられたり死なれたりした、俺やドロシーさんのような子供を引き取って育ててくださったのは誰だ。法を破れとは言わないが、俺たちにはあの人を信じて、あの人を守る義務があるはずだろう」

「そうじゃない、カール。まさか俺の見たことが領主様の犯罪を証明することになるなんて、思っても見なかったんだ。信じてくれよ」

 悲痛な面持ちのビルだが、マリーには彼がほくそ笑んでいるように見えた。

「うそつき」

 思わず口をついて出る。

「なんだと、このイタズラ娘が!」

 大声で怒鳴られ、マリーは首をすくめた。

「まあ、待て。子供であろうとウサギだろうと、異議があれば聞かねばならん」

 ペイルは穏やかに言った。

「そりゃどうも」

 ドロシーの腕の中でジローが言った。カールを除く男たちがぎょっとして彼を見た。

「悪かったな、子兎さん。こりゃあ、確かに失礼な態度だ」

 カールが言った。ジローは彼に向かって小首を傾げて見せた。

 ペイルは咳払いしてから、やんわりと警告した。

「威圧や恫喝で他の証言を封じると言うのは、あまり感心できない行いだぞ、ビル」

「はい、申し訳ございません。ついカッとなっちまって」

 ビルは頭を下げた。

「もちろん、君も根拠があっての発言なんだろうな?」

 ペイルはマリーに目を向けた。

「はい、伯爵様。だってビルさんは、どうやっても領主様の姿を見ることが出来ないんです」

「説明できるかね?」

 マリーは頷いた。

「カールさんがお家へ帰った後で、伯爵様の村にビルさんがいるのを見た人がいます。だから、ビルさんが船着場に着いたのは、どんなに早くてもカールさんよりも後なんです。でもカールさんは、領主様が伯爵様に捕まったところを見ていました。捕まって、もういないはずの領主様を、ビルさんはどうやって見ることが出来たんですか?」

 お話好きなマリーだが、証言は勝手が違った。お話なら、聞き手はそれが嘘か本当かなど気にはしないのだが、証言の聞き手は、彼女の言葉の中に一片でも嘘が隠されていないかと耳をそばだてている。マリーは緊張で膝ががくがく震えた。

「さて、ビル。申し開きはあるかね?」

 ペイルが発言を促すと、ビルは鎖から解き放たれた猟犬のように口を開いた。

「よくもでたらめを言ってくれたな!」

 恫喝はいけないとペイルに注意されてことを、彼はすっかり忘れてしまったようだ。マリーはさすがにカチンと来た。大声を出せば、子供がなんでも言いなりになると思うのは間違いだ。

「でたらめなんか言ってないわ。ちゃんと、見てた人もいるんだから!」

「へえ、そいつはどこにいるんだ?」

 マリーは言葉に詰まった。ダリルがアベルを連れて来なければ、マリーが言ったことを証明することは出来ない。

「マリー。君が言ったことはとても興味深いが、裏付けは必要だぞ」

 ペイルは言った。

「はい、伯爵様。もうすぐ、ここへ来てくれるはずです」

「もうすぐって、いつだ?」

 ビルがにやにや笑いながら口を挟んできた。それから彼はペイルに目を向けた。

「伯爵様、俺は義務と善意のために、ここへ来たんです。それが嘘つき呼ばわりされたとあっちゃあ、さすがに面白くありません。証人を今すぐ出せないって言うんなら、俺はもう帰らせてもらいますよ」

 すると、ハリーがビルに向かって指を突きつけ、大声で叫んだ。

「異議あり!」

 部屋にいたみんながぽかんと見る中、彼は興奮気味に言った。

「いやあ、いっぺん言ってみたかったんだ。これ!」

「満足しましたか?」

 エドが苦笑しながら言った。

「ああ、じゅうぶん楽しんだよ。けどさ、このオジサンが言うのも一理あるぜ。それもこれも、あんたの馬が遅いせいだぞ」

 すると、エドは口元を引きつらせた。

「あの馬は私が仔馬の頃に見付けて、私が手ずから育てた馬です。あの子への侮辱は伯爵様のご友人であるあなたの言葉でも、聞き捨てには出来ません」

「ホントに馬なのか怪しいもんだぜ。実はロバだったりして」

「ハリー、お尻をひっぱたきますよ?」

「お前たち、いい加減にしたまえ」ペイルは二人を怒鳴り付けた。「これ以上、私の審理を邪魔するのなら、ただちに出て行ってもらうぞ」

 ハリーとエドは畏まって頭を下げ、ペイルはふんと鼻を鳴らし、ビルに向き直り頭を下げた。

「すまない、ビル。私の身内が失礼をした」

「いえ、伯爵様。どうか、頭をお上げください」

 貴族に頭を下げられ、ビルは恐縮した。

「いや、それがだな」ペイルは、いかにも申し訳なさそうに言った。「実は今の騒ぎで、先ほど君が言ったことをすっかり忘れてしまったのだ。全くもって申し訳ないのだが、もう一度言ってはくれぬだろうか。今度は聞き落とさないように、ゆっくり頼む」

「伯爵様、そりゃあ――」

 ビルの抗議は遠慮がちなノックの音に遮られた。

 扉が開いて顔を覗かせたのは、アベルとダリルだった。

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